キリスト者の先祖祭祀への対応
 Christians condact the Japanese ancestor cult

はじめに

 キリスト教が日本へ渡来してからの歴史を概観すると、様々な障害があったと言わざるをえない。江戸初期からの禁教政策は明治初期まで続き、カトリシズムは表向きは根絶し、一部は隠れキリシタンとなった。幕末に渡来したプロテスタンティズムは明治期になって禁教、黙認、公認としだいに規制は解かれるものの、実際は、国家神道体制のもと第二次大戦の敗北までは邪教視される面があった。特に地域共同体の結びつきが強い間は、少数派であるキリスト教信徒は、地域共同体や「家」が障害要因として働いていた。戦後も一時のブーム後は鎮静化し、教勢は微増に止まる(1)。
 文化的な側面では、太陽暦の採用、キリスト教主義学校、文学書等の浸透、クリスマスをはじめとする年中行事としての受容が見られると言ってもよいかもしれないが、その信仰という点ではとても受容されたとは言いがたい。キリスト教信徒がいつまでたっても日本の総人口の1%前後であることは、『宗教年鑑』を資料に多くの識者が指摘しており周知のところである。
 本稿で主に論じられる日本基督教団(以下、教団と略す)(2)では、『日本基督教団年鑑』を創設以降ほぼ毎年出版しており、その現住陪餐会員数が『宗教年鑑』の信徒数に相当している。現住陪餐会員とは、聖餐式というキリスト教(新教)にとって、洗礼とともに最も大切な式に参加することのできる会員のことである。これには未受洗の求道者は、毎週礼拝に来ていても含まれていない。当然、教会に一度来た人などは含まれず、個人単位の計算なので、数字の厳密さという点では信頼できると思われる。キリスト教の信徒数を第二次大戦後で縦断的にみてみると、1950年頃のキリスト教ブームのときに激増した以外は、現在に至るまで微増微減に止まっており、停滞していると言って間違いはない。
 教団自身当然この問題には取り組んでいる。新教宣教百周年に当たる1959年までの数年間には宣教百周年伝道を行った。また、55年には宣教研究所を開設し、ここは幾つものプロジェクトを組んで多くの出版物を刊行し、教会指導者や信徒へ啓蒙活動を繰り広げた。ただし、信徒数によって結果を示すならば、この試みは必ずしも大きく成功したとは言えない。勿論、信徒数が全てではない。個々の信仰にはプラスに働いているであろう。

1.キリスト教受容の障害

筆者は「現代日本におけるキリスト教の受容」というテーマで研究を進めている。本稿では、キリスト教が日本で受容される際に障害となるものについて論じたい。ただ、障害と一口に言っても、具体的には様々なものが考えられる。『日本伝道の基本方策−伝道方策研究委員会報告−』(日本基督協議会、1952)をみてみよう。この報告書は教勢の進展をみない実情から、伝道方策についての根本的な検討を行うことを目的として、新教各派の代表者や研究者による協同調査の結果である。指導者の育成、信徒の組織化の問題から職域伝道・農村伝道などの伝道対象の問題まで言及されている。更に、「日本伝道上の支障とその対策」という項目では、日本が他と比べて特異性を持つという認識のもと、更に細かく以下の事柄が挙げられている。聖書の予備知識の不足、日本の伝統的文化、保守的な封建性、社会生活の問題・経済事情・家庭の無理解・地理の不便・他宗教の迫害、時代精神の影響・制度変革の影響・国際事情変遷の影響、などである〔同:89〕。実に様々な要因が挙げられているが、首肯しがたい部分もあり、またその全てを考察するのは本稿の意図とするところではない。
 筆者は社会学の立場からアプローチを試みている。従って、日本の社会構造や伝統的文化、もっと突き詰めて言えば日本社会に根ざしている伝統的宗教習俗という障害に注目したい。そこで、まず、先学の研究を総括して問題を明らかにしておこうと思う。
 カトリック教会調査は主に集団洗礼の事例が挙げられ、村落内の人間関係や社会背景を軸に、在来の信仰との接触についての観察がまとめられた。プロテスタント教会調査は森岡清美とその門下生によって主に調査された。そこで、明らかになったのは、「個人的信仰告白・個人的宗教帰属を原則とする基督教も、集団単位の家の宗教とならないと安定し難」い一方で、「基督教は、仏壇を拠点とする祖先信仰によって最も強く影響される」ということであった〔西山、1975:53〕。これらは主に地方都市や農村の教会調査であったが、それは目的とするものが、キリスト教の日本文化への受容と定着、言い換えれば文化接触・文化変容という観点だからである。そこで得られた知見というのはキリスト教受容の障害が、主に家制度と密接な関係にある先祖祭祀と、個人の宗教たるキリスト教が家庭内で継承されずにクリスチャンホーム化せず、少数派のままであるという点であろう(3)。
 もちろん、早くからキリスト教が基盤にあった西欧に対し、日本ではカトリシズムの渡来から現在まで5世紀を経ず、プロテスタンティズム渡来に至っては150年に満たないのであるから世代が深化されていないという基本的な部分は忘れてならない。キリスト教はいまだに異教的地盤の中にあると言う表現もできよう。
 社会学者たちばかりでなく、教会指導者による調査報告書も若干挙げられる(4)。本稿では教団宣教研究所による改宗の実態調査(土居真俊他、1960、以下改宗調査と略す)をみてみよう。1958年度の受洗者を対象としたこの調査では、受洗前の宗教、改宗の理由、家庭内での仏壇の有無、地域社会の祭事への参加などを郵送調査で40%の回収率で分析ている。
 以前の宗教を放棄した理由は牧師の人格に関するものが約3割、信徒の生活に関するものが25%と多く、教義に関しては1割弱であった。また、キリスト教の何にひきつけられたかという点では教理や説教を挙げたものは3割弱である。また、他宗教に入った理由は「家の宗教だから」というものが75%に達していた。ここで、日本の宗教が家族制度と深く結びついていることが確認される。
 キリスト教への洗礼に対して妨げが全然なかったという者が7割弱あった。
 これに関して土居は「寛容性・宗教的無関心・家族的拘束力の弛緩」を理由として挙げた〔同:46〕。また、3割の妨げがあった者の具体例としては、「親戚との交際上」「家督相続上」「結婚の妨げ」「仏壇を守る者がいなくなる」ということで反対された者や「死後、夫と別の墓に入るのが淋しい」という者もあった。妨げのあった数は少ないとも思われるが、このデータは洗礼を受けた者によることを考えると、今挙げられたものがそのまま洗礼に至らない理由としても考えられる。
 仏壇の有無に関しては家族がキリスト教徒の場合は有が4割、家族責任者が非教徒の場合は有が76%であった。また、祖先をまつる気持に関しては「祖先の霊に敬意を払うため」が6割弱、「家族との調和をはかるため」が2割、「習慣的に」が2割弱、「拝み、祈願するため」が3%であった。ここで、キリスト教徒となった後も「祖先崇拝の気持が相当強く残ること」や「家族主義の拘束力がまだ相当強い」ことが示されている。土居は結論としてクリスチャンホームの造成と「死人の復活と個人格の永続を信ずる」キリスト教の「来世観に基き、また日本人のメンタリティーに即して、故人に対する敬愛の情を表現する」をことを提唱する〔同:49〕。
 幾つかの研究報告を概観した。これらによって、個人をそれまで規制していた家制度とその家制度に密接な先祖祭祀(5)が受容の大きな障害であったことが確認できたのではないか。 森岡はかつて「婚葬の儀式や年中行事の形態について伝統的なものを認めるのなら、その新しい意味づけをもっと重視すべきでないか。もっとしっかりとしたキリスト教的意味づけを組織的に考えるべきではないか」〔1958:172 〕という展望を示した。個別の教会レベルでは儀礼に関して、特に葬の分野において積極的に実践している例を見ることができるものの(6)、教団レベルの取り組みには至っていない。ただし、現在は教区ごとにまとまっており、教区単位での取り組みは散見する(7)。
 以上で得られた知見を自らの事例(8)に照らしあわせて検証すること、更に、キリスト教会指導者の提言・考察を合わせみて、極めて限定的ではあるが、現代日本における受容の障害という問題点の検討が本稿の大きな目的である。
 社会学者によるキリスト教会調査は主に1950年代から70年代前半にかけて行われた。また、同時期にキリスト者による障害への提言も多くなされている。
 これらを中心にしつつ、時代を下だってから提出された幾つかの研究報告も参考にして、現代日本をテーマとする筆者の問題と絡めていきたい。

2.先祖祭祀へのキリスト者の提言

 本稿で問題にしている先祖祭祀の中でも、特に葬儀に関しては多くの教会指導者が著作・論文の中で考察、提言を行っている。それは、教会における多くの行事の中でも葬儀は先祖祭祀の第一段階となるからである。それは、後の墓地や仏壇をどうするかという現実問題に深い影響を与えるし、また、多くの会衆を前にして、キリスト教の独自性を示せる場所として宣教の大きな契機ともなる(9)。そこで、本節では指導者の提言を取り上げて考察していく。
 カトリック教会は、『祖先と死者についてのカトリック信者の手引』〔カトリック中央協議会、1985、以下『手引』と略す〕を出版した。「日々の生活の中で、諸宗教との関わりや死者についてどのように考え、対処したらよいのか思い悩んでいる多くの信者」の「心配と不安を少しでも軽くするために」作成したこの小冊子は「キリストの復活信仰に根ざした死者との関わりについて、より明瞭な問題解決を述べ、実践の手引きとなすもの」である〔同:13〕。具体的な問答式の部分ではかなり寛容なものであり、これは、後にプロテスタント教会の指導者たちが問題点として指摘している(10)。
 それでは、プロテスタント教会はどうであったろうか。幸日出夫は以下のように述べている。「日本のプロテスタントはピューリタニズムと日本型儒教道徳の影響が強く、純粋と潔癖さを求めて、時に独善的と見られてもやむをえないようなところがなかったとはいえない。葬祭についても、異教的要素の混入をおそれ、偶像崇拝をさけようとして、多くの『べからず』を語ってきた。日本の葬祭の心情と習俗をひとくくりにして、『祖先崇拝』と定義し、それをすべて偶像崇拝であるときめつけてきたようなふしがないわけではない」〔1985:53〕。「これまで、キリスト者が伝統的な祖先まつりや死者儀礼に消極的であったのは、それらを一括して偶像崇拝と見る見方が強かったということであるが、同時に、近代日本の社会変化の中で、生活構造の上で過去とのつながりのうすい階層にキリスト者が属していたということでもあろう」〔同:56〕。初代信徒たちによる、仏壇や位牌の投棄・焼却という行動は、まさにいまの説明の通りであった。
 一方で、初代信徒たちは浄土宗などの伝統的宗教に対しては「批判はあっても、それらをみな否定するといった敵対的、排他的な態度は見られない」という〔古屋、1986:96〕。また、二代信徒たちは「まず、自己の信仰の確立こそ急務であると考え、キリスト教と諸宗教の問題に軽々には手を出さなかった」。それは「キリスト教自体を神学的かつ歴史的に理解するだけでも精一杯であって、他を研究する余裕などなかった」からだとも言る〔同:103 〕。そのため、この先祖祭祀へ積極的にかかわりを持たなかった。
 それではキリスト教の葬儀に対する理解はどのようなものであろうか。
 「われわれは葬儀によって死者を神とするのでもなければ、また単に遺族を慰めるだけでもない。葬儀は人生の重大事件に面しての礼拝であり、かねて死者との交わりに対する悲痛な礼儀である。したがって、葬儀の方法が社会の慣習的な仕方に対して、教会ではいちじるしく異なるゆえんである。われわれは死者に供え物をしない。死者の霊に祈らない。この点では、死者をして死にいたらしめるのみとも言われるであろう。しかも、われわれは、死者の滅亡を信じない。死者を大能の御手にかえし、主イエスの御手にゆだねるのである。この確信ゆえに、われわれは死者の運命について安心し、感謝し、その祝福を祈ることができる」〔熊野、1982(1935):124-125〕。「キリスト教の葬りの中心的意味は何処までも復活信仰に基礎づけられているのであるし、そうでなければならないのである。葬りの諸儀礼は、キリスト教徒にとって単なる別れを惜しむとか、逝去者への愛情を示す最後の機会であるとか、遺族への同情を表すための社会慣習たるに止まらない。勿論、そういう牧会的配慮も全然否定することは出来ないにしても、これは、そのようなセンチメンタリズムから出発したことではなく、信徒の復活信仰に基礎づけられ」ていると述べられている〔高地、1969:24〕。
 いま、二人の記述を掲げたが、彼らは一様にキリスト教的な意味付けを持っていることが理解されよう。これは日本の伝統的宗教習俗としての葬儀とは明確に異なっている。他にも葬儀に関するQ&A形式やハウトゥー的なキリスト教関係者の手引き書は多数出版されている。いずれも、キリスト教信仰に基礎付けられた葬儀をすべきというで一致している。
 葬儀の次には墓地の問題がある。「基督教式の葬式を、教会で行って後、死体を寺院境内の墓に埋葬するに際して、改めて仏式の葬儀を済まさないと、仏寺の僧侶は中なか埋葬を許さない」〔比屋根、1959:49〕という実際的な指摘がある。筆者が1994年1月に実施した「教会墓地に関する調査」(11)においても、墓地保持に関する意識の自由回答欄で以下のような記述が見られた。「外部の人々にキリスト教は死んだ後は寺の世話にならなけらばならないと声高に教会をあざ笑うことがありました」「信仰を貫いた方が教会の墓地がないために寺の墓に納められれば、本人の意志があっても当然仏式となり本人の信仰の証しは無視される。すると、本人の信仰は一時的なものとしか理解されない」「まだまだ地方では個人の墓地が寺の境内にあり、キリスト教で葬式をした場合仏式でし直さないと埋葬を認めないケースがある」。墓地の問題は現在でも看過しえない問題として存在することが分かる。
 年忌法要にあたる記念会についても幾つかの提言がある。「記念会というものも年忌の代りに行われるが、ここにもキリスト教的な意味をはっきりと打出すようにしたい。故人を記念して感謝の思いを新たにし、またその遺志を偲んで新らしい祈りを促されることは、極めて意義深いことであるし、故人を中心としてた友情の連なり・交じりを暖め、互いの協力を故人の徳として進めて行くことは、美しくまた楽しいことである」〔松村、1959:90-91〕。「プロテスタント教会の場合には、その信仰内容からいって、故人の供養とか、とりなしの祈りをする時ではない。しかし、記念会が遺族を励ますとともに、お互いに自らの死を自覚し、主の恵みを感謝する意味で、日を定めて親しい人々がお宅を訪ねたり招いたりして交わりを持ち、故人とその信仰を思い起こし、故人を生かした主の恵みをともに賛美することであれば、有意義なことである」〔山本、1974:269 〕。
 今までみたように先祖祭祀の儀礼行為及び墓地に関しては、それぞれ教会指導者たちは、しっかりしたキリスト教的意味付けを持っている。
 だが、これらを信徒の側の実体からとらえた大濱徹也は「前夜式はお通夜であり、記念会は年回供養にほかならず」、「いかに死とその儀礼がもつ神学的意義が説かれようとも、民俗の儀礼の場にとりこまれることなく、死と葬送の儀礼は成立しえない」と言う〔1987:60〕。彼は家庭祭壇やメモリアルデッキが販売されている実情を見て、それが「仏壇のまがいものにほかなかならない」ことを看守し、彼岸前後に行う墓前祭と称する墓参という教会行事を「民俗をふまえた仏事儀礼をキリスト教会がとりこむことで、新しい『教会習俗』を生み出している」と見ている〔同:61-62 〕。しかし、彼の結論は「今ほど自己のよるべき場をきずかねばならない」ということで止まっている。

3.先祖祭祀の変容

 さて、本稿では葬儀と葬送儀礼一連を「先祖祭祀」として一貫して使用している。用語自体の検討は脚註5でしているので、この章ではその内容の変容と、キリスト教という文脈での若干の考察をする。
 まず、出発点として『新社会学辞典』をみる。すると「先祖祭祀」は「社会的に正統と認知された子孫を確保した者が、死後、その子孫によって祭祀されることにより、子孫およびそれを取り巻く社会集団とも関わりを持ちつづけるという宗教観念に基づいて営まれる儀礼」〔孝本、1993:893 〕と定義されている。この定義を示した孝本は、日本における先祖祭祀研究を総括しているので、それを簡単に記述してみたい。
 家・同族研究は日本の社会学で優れた成果を残した。家と同族の行事であり、またそれを祭祀の単位としてきた先祖祭祀は、世代を超えた家・同族が永続されねばならないという要請を内包し、それを絶やしてならないという規範を持っている。しかし、日本は第二次大戦後、量的にも質的にも大きく変動した。家族制度という点では、概ね直系制家族から夫婦制家族へという変化が認められる。その中では先祖祭祀自体の衰退が予測されていた。しかし、その後の多くの実証的な調査報告によって、実際は実修率が増加していることが分かり、衰退していないことが明らかとなった。
 だがそれは、それまでと相違点が見られた。高橋博子は仏壇・神棚保持の分析から「家の継承を第一義とする先祖祭祀の儀礼は減少する。しかし、先祖と子孫の『心的交流』の儀礼は、家族の根基機能と共に、日本庶民の宗教行動として存続する」との仮説を検証した〔1975:41〕。岡山・浜松の墓地調査から分析した孝本は、「継承者が規範的要請から状況適合的な方向へ変容し、始祖−家長という先祖の軸が過去の家族の成員、更に夫婦双方の系譜を取り込む傾向、守護神的機能から思慕的、一方で処罰的への変容から、系譜的先祖祭祀から縁的先祖祭祀」が存続するという〔1978:58〕。また、森岡は家系上の先人を中心に言わば直系的に単系的に連結される「家的先祖」と夫婦双系的拡大の「非家的先祖」に分離し、近代において後者の登場を示した〔1984:145-147 〕。
 このように、研究者によって多様な用語で述べられているが、いずれにせよ、先祖祭祀自体が以前とは変容した形ではあっても、存続しているというのが結論となっている〔孝本、1992:23-31 〕。
 変容しつつも存続している根拠として、孝本は存続の根拠として「自己のアイデンティティの精神的拠点」を挙げている〔1984:28〕。森岡は同様に「自己の実存的位置づけの確認」としての先祖を想定し、これが聖なる存在との関連においてなされると述べた〔1984:262 〕。特に「社会変動の激化により、墳墓の地を離れて核家族的な居住形態をとる人々が多くなった現在、先祖による自己確認の必要はいっそう切実である。とりわけ、家庭夫人や退職者のような勤務先のない人々においてしかりである」と述べている〔1989:212 〕。
 更に、森岡は現代的様態の一特色として、祭祀対象先祖の世代深度の浅さに言及する。簡単に言うと亡親の供養しかしない場合などを「先祖祭祀」と呼んでいいのかということである。そこで、このような場合「死者供養」という語を設定する。「先祖祭祀」は謝恩・宣誓・祈請にその意義があるが、「死者供養」は慰霊鎮魂にあるとの区別である〔1986:44〕。更に、この区別を「死者のうち、先祖と認知された死者への儀礼が先祖祭祀であり、これに対して先祖と認知されえない死者あるいはそう認知されていない死者への儀礼が死者供養」と規定した〔同:44〕。家族制度や経済社会の変化により、従前の「単系の規定的な先祖代々にたいする公共的な性格の強い義務的でフォーマルな先祖祭祀」と現代の「双系的選択的な物故近親にたいする私的個人的性格の強いどちらかといえば任意でインフォーマルな祭儀」たる死者供養とを区別する〔同:53〕。
 先祖祭祀を研究している者はこのように厳密にこの用語を使用しているが、必ずしも、すべての研究者がそうではない。例えば、先に紹介した改宗調査においては同じ文脈で「祖先祭祀」と「祖先崇拝」が用いられている〔土居他、1960:47〕。その他のキリスト教会指導者の著作、論文でも整理されたものは少ない(12)。
 『手引』では「『祖先崇拝』という言葉から、ただちに、祖先を神として崇拝することと結論づけではなりません。(中略)。多くの場合、尊敬の意味に使われていますが、状況によって違うので、祖先を神として礼拝している場合があるかも知れませんので注意すべきです」と述べている〔同:11〕。「崇拝」という語で、死者に関する行為一般を表現するのは危険がある。一方「祭祀」は神道、「供養」は仏教的な意味を持った用語であり、民俗信仰ということでは使用できるかもしれないが、キリスト教信徒の行為に対しては認められまい。
 「先祖」は指し示す範囲が漠然として広いので気をつけなければならない用語である。筆者の調査では、話者により多少の違いは有るものの、近親物故者を指し示していることが多い。また、「先祖代々」と刻まれた墓であっても近親物故者のみの場合もある。一方で、墓碑に10数世代遡った逝去者の氏名が刻まれる「先祖代々」の墓もあり、この用語の持つ範囲の広さが再確認できる。
 以上から、特にキリスト教を論究する筆者は「先祖祭祀」ではなく、同等の儀礼実修に関する表現として「死者儀礼」を提案したい。神学上、死者の霊が祟ることや墓地に霊が盆・彼岸に戻ってくるなどということは認められないキリスト教信徒にとって、上記のように「先祖祭祀」「祖先崇拝」「先祖供養」という用語はとてもなじめない。また、本来「先祖」とならない死者の存在の取扱い自体も問題がある。そこで、極めて包括的な用語であるが「死者」を使用する。また、記念会は年忌法要とは異なった文脈で行われている。ただ、死者が身近で出た場合、悲嘆にくれる近親者が、徐々に心理的に立ち直るという契機という点においては記念会も年忌法要も重要な意味を持つ。年忌法要を行っている者でも、現実に「死霊を供養する」という意味を積極的に持って実施しているかどうかは疑問もある。ならば、同等の儀礼として「祭祀」や「供養」ではなくて、中立的な用語として「儀礼」を用いても良いのではなかろうか。以上の理由により、筆者は「死者儀礼」を提案する。ただし、本稿では包括的な死者儀礼に含まれるものとして日本の伝統宗教習俗として「先祖祭祀」を設定し、それに対してキリスト者の様々な考察・提言に言及している。そこであえて「先祖祭祀」を使用した。
 「先祖祭祀」の問題点を確認しておこう。今までの考察から二つが挙げられる。一つは旧来の先祖祭祀(伝統的直系制家族に適合した死者儀礼)が脈脈と実修されている場合である。これを実践しているキリスト者は言わば確信犯である。これは宗教ではないと言いつつ仏壇に供物を供え、盆や彼岸に檀家として僧侶に読経してもらっているような場合を指す。一方は近親物故者への死者供養(核家族で見られる死者儀礼)にキリスト教的意味付けを行わずに放置されている場合である。近親物故者が出現したときに、キリスト教としてどう処置すべきか、曖昧な面が多々あったため、各教会・各牧師ごと対応されていた。熱心にキリスト教的意味付けを行っている指導者ならいいが、関心が薄い指導者もいる。その場合、どうしても仏壇や位牌や寺院墓地というように伝統的宗教習俗をそのまま受け入れることが考えられる。
 今まで、キリスト者が論究していたのは、特に前者のことが多かった。それは、先祖祭祀といった場合、多くのキリスト者は戦後の日本社会の変化とそれに伴う先祖祭祀自体の変容を一切考慮せず、一様に旧来のものを指していたからである。そこで、本稿ではそれを整理したのである。

4.事例と考察

 ここでは現代の事例を提示して、若干の考察をしていく。ただし、先祖祭祀という儀礼実修の中で、筆者はここで特に墓地を中心に見ていくことを予め述べておく。視点の置き方として儀礼の実修や仏壇・神棚・墓地等の宗教施設の保持形態などいろいろ考えられる。筆者はその中でも教会と各家庭の接点として墓地を考察することがより適切と考えているからである。教会は宗教集団として存在する以上、死者の取扱いは大きな問題である。特に葬儀や墓地という現実に必要な問題に対して何らかの提示をなさねばなるまい。また、墓地は江戸期以降、一般家庭でも持つようになり、家庭の問題でもある。そこで、その取扱いをみることで、キリスト者の先祖祭祀への対応の一面がよく理解できると思われるのである。
 では、教団の奥羽・東北教区の事例をみていこう。

(事例1:青森県)
 T霊園は、1968年にH教会の創立90周年記念行事の一つとして墓地建設を企画したことに始まる。礼拝堂裏に納骨堂建設が不適当ということで、結局、教団所属の近郊4つの教会を含めた5つの教会によって市郊外に72年、T霊園を設けた。94年8月現在、71区画中19区画が未契約、21区画が墓石未建築という状況である。これはいずれも個人墓地(各教会所属の家族が使用できる)となっており、それとは別に共同の墓というものがある。これは、遺骨の一時預かりと合祀を兼ねる。納骨棚には一時預かり、中心部分は2‰の穴を作り、現在24体の遺骨が合祀されている。毎年9月下旬に合同墓前礼拝を行っており、大体30名位参加している。問題点としては、ある教会牧師が個人墓地の契約をしたが、他県へ転居の際それを解除したということがある。牧師でさえ、墓地を利便性でとらえてることから、墓地をキリスト教的な意味付けを持って積極的に押し進めるのがなかなか難しいことを示している。

(事例2:岩手県)
 M墓苑は、戦前から寺院墓地を利用していた数名のキリスト教信徒がいたことに始まる。1963年、使用していた同所がM市の所有となって、市と利用者との間に貸借関係が始まった。77年に所有権を市から購入。市内8教会(教団5、バプテスト2、聖公会1)で組合をつくって管理運営をしている。
 同所は市郊外で火葬場や寺院墓地に隣接している。94年8月現在、115区画中10区画は未契約、50区画は墓石未建築という状況である。個人墓地(各教会所属の家族が使用できる)と教会墓地(各教会で使用。ただし、2教会では墓石未建築)の二種類で、草刈り等は各自で行っている。毎年イースターに組合主催の合同墓前礼拝がある。しかし、近年は10名未満しか来ていない。専ら、各自で墓参をしている。問題点として、個人墓地において、継承者が未信徒かつ転居のため、墓参にも来ない、維持費も払わないというケースがあった。墓地管理規定では8年間維持費を払わない場合、権利が抹消されるとされている。従ってこの問題はしばらくの間解決されないことが予想される。今後、同様のケースが起こってからでは遅いので対策を考えなければならない。また、区画の大きさが決まっており、教会墓地を大きくしたいという要求があるが、それに応えられない。個人墓地ではなく、教会墓地を中心にしていけば、二つとも解決できるが、もともと個人墓地からスタートしたから、なかなかすぐ変更できない。

(事例3:秋田県)
 1992年O市にO墓地が建設される際、その中の自由墓地に市内4教会(カトリック、聖公会、ルーテル同盟、教団)がキリスト教共同墓地を建設した。それぞれが独自に墓石を建築した(ルーテルは墓石未建設)。教団の教会ではイースターと11月第1日曜日に墓前礼拝を行っている。ただし、自ら墓地を保持している教会員は関心がなく、墓前礼拝にも参加しない。逝去者名簿には受洗者以外が多く載っており、教会墓地は現牧師の赴任前は特に関心がなかった。

(事例4:宮城県)
 K墓地は、明治初期にS市の宣教師の墓としてR寺から提供されていた。1970年代以降、それまで個別に利用していた(教団の3教会、バプテスト1、聖公会1)教会が各々納骨堂を建設した。明治以降、キリスト者の墓の区域の中にこれらの教会はそれぞれの場所を確保していた。個人の墓が一杯になり、これ以上墓所を増やせないので、教会墓地として納骨堂を建てたのである。K墓地で保持していなかった他の教会は、近年市郊外に建設された市営霊園を利用する例が多い。K墓地では特に中心となっている二つの教会で、9月中旬に共同の召天者記念礼拝を実施している。折角造ったの納骨堂だが利用者は必ずしも多くはない。それは個々で既に墓地を確保しているからと考えられている。召天者記念礼拝は出席者が多いが、その大部分は納骨堂ではなく、各々個人の墓地に埋葬されている遺族である。

(事例5:山形県)
 S伝道所では1958年に一人の教会員が市内の山の一部を購入し墓地用に寄付し、墓地を新設した。その後墓石を合計4基建て、90年には、更に納骨堂を建設した。しかし、48体入るはずのローッカー式の納骨堂は未使用である。
 S伝道所は隣市の教会の牧師が兼牧し、会員自体94年9月現在で7名、という教勢であり、死者も出ないのである。ハードはあってもその有効活用はされていない。墓地が即伝道にはつながらないという例である。

(事例6:福島県)
 F市にある教団の二つの教会はそれぞれ単独で墓地を所有している。そのうち、S教会は市内近郊にある市営霊園の一画を1962年に確保した。教会墓地の近くにはカトリック教会が100 区画ほど確保している。そこでは個々の信徒が家の墓として利用している。S教会では60年に納骨堂を建設し、遺骨を一時預かる場所としての利用が多い。納骨堂の隣にはポストを置き、その中にノートを置いて記帳ができるようにしている。会員以外でも気軽に墓地へ来て、その旨を書いている。

 以上、特に東北地方の各県から、複数の教会で墓地を保持している4ケースと単独で保持している2ケースを取り上げた。全てを網羅した上での代表的なケースとまではいかないが、ある程度の参考にはなるだろう。問題点として挙げられていたのは、教会墓地として設定した場所に個人で墓石を建て保持した場合である。墓地を教会で一つ持つか個人(あるいは一家族)で一つ持つかということが大きな相違である。事例1、2などでは、特に個人墓地の方で問題が発生しやすいことが分かった。
 墓地は宣教・伝道のために必要という教会指導者もいるのだが、事例5のようにそれが直接影響しているケースはほとんどない。先に紹介したように、寺院からの攻撃や墓地を持たないことで対外的に与えるマイナスのイメージは教会墓地を建設すること解決出来る。しかし、それ以上の効果はどうかというと、教会員の中で墓地がない者や家族で一人だけの者、単身者の安心につながるのみに止まり、既に保持している者にとって大きな影響をもたらすわけでない。教会墓地を保持している教会の牧師自身でさえ、自ら継承した先祖代々の墓に埋葬されるということもある。墓地に関しては教会で一つの
 墓地より先祖代々の墓の方が、現段階では優勢であるのではないか。すると、東北地方においては旧来の先祖祭祀が依然として浸透している面があることが理解されよう。
 先に見たキリスト教会指導者の提言は、「先祖祭祀」に対していずれもキリスト教的意味付けを行って実践していこうという姿勢が見られる。これは、先の森岡提言への答えにもなっている。しかし、事例で見たように、これを実際の牧会の場で生かせるかどうかはそれぞれの教会によって大きく異なっている。生かしきっていないというのがより正確かもしれない。著書などを出版している指導者たちはキリスト教的意味付けを実践していく立場が見られるが、多くの現場の指導者たちがそれと同じだとは言えない。また、指導者とその他の信徒との間にも大きな隔たりが見られる。近親物故者への思いが強い現代では、これに対応したキリスト教的意味付けを提唱する局面を迎えているかもしれない。

むすびにかえて
 今後の展望を述べたい。本稿は、キリスト者の対応ということで論じていたが、ここで論じられたキリスト者とは、専ら教会指導者を指し示す。脚註7でも触れたが、信徒レベルの調査を今後の課題とする。研究対象へのアプローチの仕方には、狭い範囲で精密な調査を繰り返し、全体像を浮かび上がらせるものと、全体をある程度把握した上で、対象を絞った理解を目指すものとがある。数々のキリスト教会調査報告では前者の方法が取られていた。
 筆者は、現代の状況を把握することを第一義に考え、全体の把握を目指した。
 しかし、この方法ではある程度までしか掴めない。今後の信徒レベルでの調査により、現時点での理解が正しい方向であったのかどうかが明らかになるだろう。


1)歴史的背景に関して古屋安雄は、明治以降「欧化と国粋」が繰り返され、 日本のキリスト教受容に大きな影響を与えていたと述べている〔1989:116 〕。そして、彼は特に入信が主として知識階級に限られてきたこと、 日本のキリスト教がきわめて欧米的であること、欧化主義やアメリカ主義 が流行してキリスト教に接近し入信するものが少なくないことから、反動 の国粋の時代には、以前入信した多くがキリスト教から離れたという〔同:117-119 〕。
2)本稿では若干カトリック教会にも触れるが、主として新教の中でも最大の信徒数を抱える日本基督教団の教会調査によるデータをもとに報告してい る。
3)クリスチャンホーム、信仰の継承という問題も大きな課題である。古屋は、キリスト教信仰が一つの思想として受容されているために、信仰がまった く私的なものとなっており、夫婦に共有されておらず、まして子供に継承 されていない場合が多いと述べている。「わが国の仏教や神道が『家の宗 教』、『家の宗旨』であったために、キリスト教に入信するためには、一人一人の個人的な決断が要求されたのは当然であった。しかし、キリスト 教信仰は個人主義的な私的なものではない。一人でも多くのものに伝えず にはおれない福音(グッド・ニュース)への信仰だから」だという〔1989 :218-219 〕。筆者はこの問題に関して稿を改めて考察していきたい。
4)これ以外にも東京教区における報告書『東京教区教勢の実態調査を中心と した考察』〔小林恵一・石居英一郎・中島房男、1961、日本基督教団宣教 研究所〕や京阪神教区における報告書『変容する社会と日本の教会』〔日 本基督教団宣教研究所関西ブランチ、1963、日本基督教団宣教研究所〕な どが挙げられる。
5)この類似用語として「ancestor worship」の邦訳として用いられている。「祖先崇拝」もあるが、本稿では「先祖祭祀」で一貫している。この語を 「先祖と認知された死者の、人間を越えた力に対する信仰に基づく、儀礼 の総体」と定義した森岡〔1984:215 〕や孝本〔後掲〕の考察に異議を唱 えるほどの論拠は持っていないばかりか、基本的に異論はない。ただし、 森岡自身、一旦は排除した「祖先」を用いて、死者供養と先祖祭祀を統合 した用語として祖先祭祀を提唱している〔1988:11〕。筆者はキリスト教を含めた文脈では本文中で述べるように日本語としては死者儀礼としたい。
6)例えば、横手教会の笠原牧師は1951年、学生のとき夏期伝道に派遣されて横手教会に墓地がないことを知り、2年半後に伝道師として赴任したとき、まず墓地の設置から伝道を開始した〔1989:58-61 〕。また、大森めぐみ 教会の岩村牧師に関しては拙稿を参照されたい。
7)教団の北海教区では、1972年に『キリスト教の冠婚葬祭について』を発刊 し、85年にも一層具体的データを収集すべくアンケート調査を実施した。 その結果は〔島田、1984:43-48 〕参照。同じく東京教区では、1957年小 平霊園内に「日本基督教団東京教区基督者之墓」という教区墓地を建設した。現在でも春秋の2回、教区主催で墓前礼拝を行っている。
8)これは日本基督教団奥羽・東北教区全146教会を対象に行った、質問紙による調査と、その後行った教会指導者の面接調査を指している。前者は郵 送法で行い、有効回答率は64.4%であった。本稿で取り上げたのは、主に 後者の面接調査によって得られたデータの一部である。前者の詳細は第67 回日本社会学会(宗教2)において報告した。この調査は教会指導者レベ ルの分析だったので、今後、信徒レベルの分析を行い、別の機会に発表す る予定である。
9)例えば島田牧師は「未信者であった頃、始めて先輩のお母さんの葬儀に参列し、その時に受けた『想い』が、受洗にまで導かれた大きな契機となっ たことを否定できない」〔1984:37〕と述べている。
10)例えば『出会い』8-2,3 〔1986〕では多くの論者がこの問題に言及しているので参照されたい。
11)註8の調査のうち、「教会墓地保持の意識」という項目において、教会墓地 は必要か不必要かという質問(全員が必要と回答)の理由に関する自由回 答である。
12)若干、論及を加えているものとして「祖先というコトバの意味(祖先と先祖は同じか違うかなど)と崇拝というコトバの是非を検討しておきたい。 まず前者については、すくなくとも現代の用法としては祖先と先祖はほぼ 同義と見てさしつかえないであろうと考える。それよりも、どちらの言葉 を使うにしても問題はその中味である。(中略)これが神礼拝というよう な意味でのworship だとすれば、まずキリスト教から見てまちがったもの ということになる。(中略)しかし、あることがらをこちらから祖先崇拝 とよんでおいて、そして崇拝だからけしからんというのは順序が逆転して いる。それで正確には『普通に祖先崇拝とよばれているもの』『いわゆる 祖先崇拝』というような表現をする方がよいのかもしれない」〔幸、1986 :1-2 〕を挙げておく。

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