教会墓地にみるキリスト教受容の問題
−日本基督教団信夫教会の事例を中心に−

Cemeteries and the Acceptance of Christianity


1.序
日本人の宗教観は、統計数理研究所国民性調査委員会やNHK放送世論調査部などの調査により説明されることが多い。そこでは「宗教心は大切だと思っているが、宗教を信仰すると表明する人は少ない」などと記される。これは、人々が宗教を「特定の教団に入信して、特定の神なり仏なり教祖なりを信じ」ることだととらえ、それなら自分は「宗教」を信じているわけではないと考えているからだ、と解説される[弓山 1994:110]。
さて、筆者は日本のキリスト教会を対象にフィールドワークを続けている。キリスト教会に所属する信徒は、まさに宗教を信じている人ということになるだろう。だが、仏壇や寺院墓地の対応に関する質問に対して「自分の信仰とは関係ないので大事にしている」と異口同音に答える信徒たちに、筆者は驚いたことがある。葬儀や墓地をめぐるキリスト教信徒と非信徒との衝突が、数多く報告されていたからである(1)。しかし一方では、これらの問題に思い悩んでいる信徒たちが依然としていることも、筆者はその後の調査で知った。現代でも、とくに「葬り」に関するさまざまな実際的な問題は、少なくとも信徒たちの間ではまだ解決していないのである。

2.本稿の課題
これまでの実証的な日本のキリスト教研究は「キリスト教が日本社会へ伝播・浸透・定着する過程における、相互の文化変容」の考察をテーマの一つとしてきた。その際、一つの教会での徹底的な現地調査や、複数の教会における質問紙調査などが行われた。そして「家」制度と密接な関係の「先祖祭祀」が受容の障害になることや、農村で教会が存続するためには、世帯主の受洗でキリスト教が「家の宗教」として定着する必要があることなどの知見が得られた(2)。だが、宗教的側面全体の分析が中心だったそれらの研究では、墓地・記念会などの検討は十分尽くされているとは言い難い。
そもそもキリスト教において「死」とは、神の下に迎えられ、永遠の命をあずかる希望の出来事である。聖書での「死」への言及は、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」(ルカ 9:59)や「わたしはよみがえりであり、命である。私を信じる者は、たとい死んでも生きる」(ヨハネ 11:25)など少なくない。だが、当然ながら信徒の死に関する具体的な指示はない。
欧米のようにキリスト教が支配的な地域では、キリスト教式葬儀の後、死者は教会堂や教会敷地内、あるいは共同霊園などへ埋蔵・埋葬される。一方、プロテスタント諸教派が渡来した明治初期の日本では、江戸期の寺檀制度の定着により、すでに寺院と「葬り」とのつながりが密接だった。明治以降キリスト教会が独自に墓地を新設することは困難であり、公営の墓地を利用する以外には、寺院側の厚意で寺院墓地の一画に墓を建てたり、外国人宣教師の墓地周辺に自らの墓を構えたりする信徒たちもいた(3)。
また、現代日本では火葬の一般化にともない、一つの墓石の下に家族の成員の遺骨を埋蔵する「家墓」が普及している。個人墓ではなく家墓をつくるということは、墓地が世代を超えた存在であるとの認識をもたせる。そのような認識は、「誰かが墓地を継承すべきである」との規範を人々に浸透させる。一方で、教会指導者たちは墓地を、信仰を貫徹した信徒の記念碑と見なしている[笠原 1989:85]。
 そこで筆者は「教会墓地」に注目し、キリスト教指導者たちの対応と信徒たちの実態を併せて見ていく。さらに、教会墓地以外のさまざまな死者儀礼も視野に入れ、キリスト教の宗教的受容の一側面を考察したい。信仰生活全体ではなく、その一部である死者儀礼に焦点を絞ったため、読者には議論の奥行きが足りないとの印象を与えるかもしれない。だが、筆者は本稿でキリスト教受容の問題点をより鮮明にするため、あえて限定した問題で議論することにしたのである。
筆者はまず「教会墓地」を概括的に把握するために質問紙調査を行った。その対象には日本基督教団(以下、教団)を選択した。プロテスタント諸教派はこれまで、日本の伝統的宗教習俗に対してカトリック教会より対決的な姿勢を示してきた。そこで先行研究との対比も念頭に入れ、プロテスタント諸教派の中で最大信徒数を誇り、歴史的にも代表しているこの教派を選んだのである。調査は東北地方で行った。キリスト教がこれまで都市の若年層・知識人層中心に受容されてきたことを踏まえ[井門 1954]、その個人主義的な原理との衝突は、大都市より地方都市・農村に見られると考えたからである。

3.死者儀礼の問題整理
 死者儀礼とは、ある個人の死に関する一連の儀礼とそれに結びついた宗教観念全体のことである。これを具体的に考察するには、儀礼と施設、つまり葬儀や葬後儀礼(記念会や回忌供養など)の実修と、家庭内外の宗教施設(仏壇・神棚などや墓地)との関わりに注目すればよい。
 森岡清美[1986]は、祭祀の対象となる先祖の世代深度に注目し、従来、画一的に「先祖祭祀」と用いられていた死者儀礼を、先祖と認知された死者への謝恩・宣誓・祈請が重視される儀礼と亡親に対する慰霊鎮魂に重心のある儀礼に区別している。
 筆者はそれを参考に、家の継承を第一義として子孫が先祖代々に対して行う儀礼「先祖祭祀」と遺族が近親物故者に対して私的な親愛や悲嘆のために行う儀礼「死者祭祀」とを区分する。そして、この二つを統合したものを、先に述べた「死者儀礼」と位置づけたい。
 すると、今まで一括りにしてきたキリスト教と「先祖祭祀」の問題は、次の二つの問題に区別できる。一つは旧来の「先祖祭祀」をキリスト教信徒が脈々と実修している場合である。具体的には、仏教徒の親族や寺院との関係などの問題である。もう一つは「死者祭祀」つまり、近親者が逝去したときのキリスト教信徒としての対応についてである。
葬儀に関する教会指導者の著書は数多く見られる(4)。非信徒も多数集まる葬儀は、重要な通過儀礼であると同時に、伝道の大きな契機になる。さらに、葬儀は死者儀礼の第一段階であり、墓地や仏壇など宗教施設や、記念会など葬後儀礼にも大きな影響を与える(5)。
だが、神学者の幸日出男[1985]が述べるように、教会指導者たちはこれまで「日本の葬祭の心情と習俗をひとくくり」に「すべて偶像崇拝であるときめつけ」てしまう傾向にあったのも事実である。それは「異教的要素の混入をおそれ、偶像崇拝をさけようとし」たからであるが、結果的に「先祖祭祀」に関して「多くの『べからず』を語」るに止まり、キリスト教信仰を貫いた全体的な「死者祭祀」のあり方を信徒に示すことは少なかった。その結果、筆者の調査でも、仏壇に供物を供え、盆・彼岸には檀家として僧侶に読経してもらうことを「先祖のために行う」と述べる信徒や、遺骨に関して「分骨したらホトケさんはどっちへ行ったらいいのだろう」と悩む信徒がいた。
 キリスト教では、死者の霊は死んだらすぐに神の下に行くのだから、遺骨にこだわる必要は全くない。しかし、日本の各地に定着した教会が死者儀礼を怠れば「キリスト教は仏教と比べて死者に冷たい」という世評となる。その上、信徒たちがそれぞれの儀礼における宗教的意味を知らない場合、焼香をし死者を拝むことも当たり前に行動することとなる。厳格なキリスト教徒には、それらの行為はすべて背教的と受け取られるだろう(6)。

4.教会墓地の現況
 筆者は1994年春(1-3月)に、東北地方の教団全149教会(当時)へ「教会墓地調査」という郵送法による質問紙調査を実施した。有効回答率は64.4%であった(7)。以下、表に従って、その結果を述べていく。その際、第一種教会・第二種教会・伝道所という教会の種類を指標にした(8)。

 【表:略】

 まず、墓地の有無を表1に示した。回答のあった教会は96だった(以下、回答教会)が、質問紙では回答を得られなかった教会に対しても、墓地の有無だけは電話や手紙で確認した(以下、対象教会=149)のでそれも併記した。この結果、回答教会の71%が墓地を保持していた。対象教会は64%なので、回答教会の方が保持の割合が高かったことになる。また、第一種教会では8割以上が墓地を保持していた。なお、回答教会の信徒数は、墓地を保持する教会(平均52名)は、保持しない教会(平均20名)より信徒数が多いことが判明した。結局、対象・回答教会共、信徒数が多く規模の大きな教会の方が墓地を保持する可能性が高いことが分かった。

 【表:略】

 以下は回答教会の結果であり、表2は墓地の場所である。公営霊園が一番多く、次の民営霊園と合わせると過半数を占めた。他方、山や郊外の農園などを造成したり教会敷地内に建設したという回答(合算で22%)もあった。
 表3の使用状況を見ると、収容予定の4分の1以下が8割近いことが注目される。後述する墓地の完成年を考えると、約半数が完成後20年を経ていないのだから、当然かもしれない。利用頻度は高いとは言えず、伝道所に至っては半数が未使用だった。

 【表:略】

 表4は墓地の完成年と教会の創立年のクロス集計である。教会創立の新旧を問わず、1970年代と80年代に墓地の完成が集中していることが明らかになった。さらに90年代以降や未完成を合算すると全体の4分の3ほどになる。教会墓地自体が70年代以降に完成したため、先行研究で問題化されなかったのも理解できよう。
 紙幅の都合で表にしていないが、墓地を保持する契機・場所選択の理由・保持しない理由も簡潔に述べておこう。保持の契機は、教会内で議論し準備を進めた場合と何らかの理由で突然条件が整った場合に二分される。第一種・第二種教会では「創立何周年かの記念事業」など前者が多く、伝道所では「教会員の寄付」など後者が多かった。場所選択にはどの教会も「教会から近い」「費用の面で」などの実際的な理由を挙げていた。墓地を保持していない場合、その理由として「要求がない」「個人の意思に任せている」などが多かった。第二種教会や伝道所では「資金不足」や「他に必要な施設がある」という回答も見られた。信徒からの要求自体は「有」が6割だったが、「話題に出る程度で止まる」という回答が圧倒的に多かった。
 以上から、教会墓地に関して次のような平均像が描けるだろう。
「教会墓地は、教会の記念行事や教会員の寄付などの理由から保持する。また、墓地は1970年代以降に完成し、教会からの距離や費用を考慮した上で、公営霊園など共葬墓地の区画を確保するが、使用状況は4分の1以下に止まる」。
 さらに、教会指導者の教会墓地に対する意識も同時に調査した。すると、ほぼ全員が教会墓地は必要だと述べていた。その理由を自由に記述してもらったが、それをまとめると、次の二つに要約できる。一つは、「信仰の証」や「生と死への責任として」「仏教からの独立」などと言及しているものである。これらは、「キリスト教的意味づけ」とまとめられる。もう一つは、「本人のため」「家族で一人だけの信徒のため」「墓地がない人のため」などで、「信徒の実際的な要請への応答」と言えよう(9)。もっとも、この意識はあくまでも教会指導者たちの意識であり、信徒たちとの間の差異も考慮されねばならない。
 では、教会墓地は信徒数増加に貢献しているのだろうか。そこで、1970年代に教会墓地を完成した18の教会について、その2年後と10年後の信徒数を『日本基督教団年鑑』(日本基督教団出版局)で調べ、表5にまとめた。すると、2年後は半分以上の教会で増加したものの、10年後での増加は半数以下であり、残りの教会では減少している。信徒数の増減は、ただ一つの要素で決定されるものではない。だが、必ずしも「墓地の保持によって信徒が増加する」とは言えないことが明らかになった。
 筆者は東北各地の教会で、牧師や信徒への面接、座談会や勉強会への参加、礼拝や墓参などを繰り返している。その結果、墓地の形態は大きく3タイプに分けられることが分かった(10)。「分譲墓(家墓)・共同墓・納骨堂」である。分譲墓とは個人・家族ごとに墓石・区画を使用する墓であり、これは先述の「家墓」と外見上同じものである。共同墓とは一つの墓石・区画を信徒(さらにはその家族)が一緒に使用する墓である。
 後二者は後述するので、ここでは分譲墓の問題点を見ておこう。奥羽教区のH市では、市内の複数の教会が共同で、市営霊園の約100区画を「キリスト教墓地」として管理している。建設当初は区画を求める信徒が殺到したが、その後20年を経ると、他に家墓をつくって移動する信徒たちも出てきた。その原因として、墓を建設した信徒が逝去したとき、他所に住む非信徒の子供が、他へ埋蔵して所在不明となる事態が数件おき、その管理されない墓の問題が解決せずに、信徒を不安にさせたことが挙げられる。
 教会墓地は墓地のない信徒を安心させる効果はあるが、すでに持っている信徒を改葬させるに至ってはいない。信徒数増加に結びつかないことも含めると、教会墓地は伝道の補完的な役割とはなり得るとしても、それ以上の貢献をなすとは言いがたいのであった。

5.日本基督教団信夫教会の事例
 (1)歴史・社会的背景
 筆者は信夫(しのぶ)教会が本稿の課題追究に適切な事例だと考えている。それは、前牧師である小林喜成が筆者の問題関心に共感しており、調査に非常に協力的だったという便宜的理由もある。それよりも、東北地方の教会墓地の一つの典型であることが主たる理由である。公営霊園の一画に墓地を建設し、使用状況は4分の1以下であり、共同墓と納骨堂という二つ形態を併設した墓地なので、各々の問題点を信徒がどう意識しているのか理解できるのではないかと思われる。
 では、歴史・社会的背景をみておこう(11)。
 福島市に位置する信夫教会は、1895(明治28)年6月に創立された。1899年10月には福島鉄道技師の自宅で集会を定期的に持つようになり、翌年にはメソジストの一派である日本美以(みい)教会に講義所と承認された。最初は代務牧師が任じられていたが、1902年4月に白鳥甲子造が初代の定住牧師となった。1907年にメソジスト三派が合同した際には、日本メソジスト福島教会と称した。
 明治・大正時代は借家を転々としていたが、第13代牧師の藤田恒男は1936(昭和11)年に、積年の課題であった教会堂と牧師館を現在地に建設した。これを機に補助教会から自給教会となった(12)。1941年にプロテスタント諸教会の合同で日本基督教団が結成されたときは、第2部に所属し、翌年日本基督教団信夫教会と改称した。
 第二次大戦後、近隣の戦災引揚者住宅に幼児・児童が多いことと、信徒の中に保母がいたことから、1948(昭和23)年4月に教会付属の保育所「信夫保育園」を開設した。これは55年3月には「志のぶ幼稚園」へと改められた。
 小林は1957年に赴任した。60年には創立65周年記念事業として会堂内外を改修し、68年11月には新会堂を建設した。そして、94(平成6)年には創立100周年を迎えた。97年3月に小林は牧師を引退し、同年4月からは塚本一正が着任した。
 97年3月現在、福島市にはプロテスタント教会が28(うち教団は4)、カトリック教会が2、日本ハリストス正教会が1教会存在する。全人口(28万5754人、平成7年国勢調査)に占める信徒率(0.56%)は決して高くはない(全国平均0.86%)。だが、他の福島県内の市と比べると教会数などは多く、キリスト教が受容されない土地柄ではない(13)。
 市内には、1932(昭和7)年に渡来したカナダ・ノートルダム修道女会が、桜の聖母学院という幼稚園から短大までの学校法人を運営している。また市内の新旧両教派が合同でクリスマス講演会など幾つかイベントを催している。

 (2)牧師の指導と墓地建設
 小林は就任当初から、教会が独自の墓地を持つことを課題の一つとしていた。その理由は、キリスト教式葬儀・墓地を望んだ信徒が、仏式葬儀の後、寺院墓地へ埋葬された経験を何度か持っていたことによる。小林と同年代の若い教会員たちが、その意見に賛同して大きな原動力となり、信夫教会は教団の他教会より早く、1958(昭和33)年9月、市営の渡利墓地内に10坪3区画の土地を獲得した。同墓地は、教会から自動車で10分という位置にある。福島市のカトリック2教会が、53年より同墓地内に教会墓地を保持していたことが、場所選択の理由として挙げられている(14)。
 60年のイースターのときに、高さ・幅・奥行共に1mの納骨堂が完成した。さらに、92(平成4)年には高さ1mの十字架を上部に備えた高さ2mの花崗岩の墓柱が納骨堂の隣に建てられた。墓柱は「望新天新地」と刻まれ、その下にはカロートを設けた。
 被葬者は教会員に限らない。教会墓地の使用管理規約はまだ定められておらず、教会の役員会で認否が決まる。これまで遺族が教会員の場合、非信徒の被葬は認められていた。
 92年には、カロートへ埋蔵された者の名前を刻む墓誌とメールボックスが納骨堂の脇に設置された。メールボックスの中にはB6版の記帳ノートが置いてある。墓参者が自由に記帳できるようにという小林の提案で、91年8月から実施されている。墓参者は、先に書いた記述を読めるし、信徒以外も記帳できる。97年8月現在で4冊目を使用している(15)。このノートによれば、墓参者は被葬者の遺族が多いが、それ以外の教会員も来て掃除などをしている。墓参の時期は春秋の彼岸・盆・被葬者の命日などが多いようである(16)。
 20年ほど前から小林は、高さ20pほどの木製の十字架を遺族に渡している。引退までに80個の十字架が遺族に渡され、遺族たちはこれを居間の棚などに故人の写真と一緒に飾っている。この十字架には故人の名前と誕生日・逝去日が書かれており、位牌の代替物とも言えなくもない。だが、信徒たちは「その十字架のおかげで、既製の仏壇を購入することなく、キリスト教的に死者の記念を家庭内でできる」とも述べている(17)。
 毎月第一日曜日の礼拝に、その月に生まれた教会員の誕生日を週報に記して読み上げる教会がある。その際、小林は逝去した者の逝去日も記し、読み上げている。多くの信徒たちがこの試みを支持していた。
 小林は引退までに数多くの葬儀を司式している。告別式は教団の式文にならって行い、略歴を記した式次第も他の教会と同様である。式場は教会が中心だが、小林がキリスト教式葬儀を指導した市内の葬儀社の式場を使用することもある。逝去後一年たつと、小林が遺族に確認して記念会を開く。その場所は自宅や教会など、遺族の希望に応じている。その後は遺族の要請により適宜、記念会を開いている。

 (3)信徒の実態
 続いて信徒たちの言動を見ていこう。
 この教会では共同墓と納骨堂を併設しているが、共同墓の建設は近年なので、これまで専ら納骨堂が利用されていた。だが、そのほとんどは、信徒が自らの家墓を建てる前に預け、完成すると引き取るという遺骨の一時預かり所として利用していた。37年間に26柱の遺骨が納骨堂に収蔵されたが、97年8月現在で収蔵されている遺骨は10柱である。それ以外は信徒たちの家墓へ改葬された。
 小林は、納骨堂の中の遺骨を共同墓へ移葬することを95年に提案した。すると直ちに、納骨堂に預けていた信徒数名が家墓を建設し改葬した。結局、小林の提案は見送られた。96年1月に初めて共同墓への被葬者が出たが、これに続く者はまだ出ていない。
 次に3名の事例を紹介し、その後、他信徒の発言も見ていこう。ここで取り上げるのは、90年代に近親者を亡くし、納骨堂へ収蔵した2例と他の墓地へ埋蔵した1例である。最初に属性(97年8月現在の年齢、性別、最終学歴、職業、子供は信徒かどうか)も記した。

(A 70歳、女、高等女学校、自営業、信徒)
 信徒の息子は東京で妻と娘二人で暮らしている。A自身は1990年8月に夫が亡くなってからはずっと一人暮らしで、インテリア小物の販売業を続けている。他に墓地はなく、夫が死を間近にしたときに、「俺もクリスチャンになろうかな」と言っていたので、教会墓地へ納骨。亡くなった当初は毎日のように墓参していた。熱心な仏教徒だった夫の死後、仏壇の世話はAが続けている。
 Aは記帳ノートへ「必ず主が救けて下さることを信じて感謝してお祈りいたします」と92年6月に記入して以降、月1回以上名前や文章を残している。93年3月には「神の試練と思われる日々、今、私は信仰を試されているものと、これらのことをひとつひとつ祈りつつ耐えています」となり、同年8月には「神のおはげましで少しずつ強くなれそうです。年をとっても新しいことに雄々しく積極的に志にあたれるようにしたいと思っています」と心境の変化が見て取れる。95年1月には筆者に「墓地で神と対話することにより慰められ励まされる」「墓地で草むしりなどして過ごすと心が安まる」と述べていた。だが、自らの死に際しては、墓参の都合などを考慮して息子夫婦に任せると言う。

(B 62歳、女、専門学校、主婦、信徒)
 Bは一家全員が信徒というクリスチャンホームに育った(18)。1975年頃、父の退職を機に山形県から福島へ転居してきた。元在籍していた教会でも教会墓地が60年頃に建設されたので分譲の契約をしたが、その後そのままにしている。敗戦以前は朝鮮半島で生活していたが、そのとき幼くして亡くなった妹3人の遺骨は、引き揚げてきてからずっと家の箪笥の上に保管していた。そして、76年8月に信夫教会の納骨堂へ納めた。91年7月に逝去した亡父も生前、墓参した際「俺はここでいいなあ」と言っていたため、この納骨堂へ9月に収蔵。逝去後1周年の記念会は教会で行い、96年8月には5周年の記念会を自宅で開いた。その際、親族が20名ほど参加し、会の後に墓参した。墓参はBと母だけで来ることもあるが、その他、年に数回、Bの子供や孫が集まったときにも行っている。
 Bは、自らの意志に反して仏式葬儀や寺院墓地へ埋蔵された故人を二人ほど知っているので、自らの葬り方について、前もって親族に知らせておく必要があると痛感したという。だが、自分に関しては夫婦・息子とも信徒なので、安心して教会墓地に入る予定である。

(C 69歳、男、高等小学校、退職、非信徒)
 熱心な仏教徒だった母が1992年に亡くなったとき、母と同居していた実妹に一任したため、日蓮宗の寺院墓地へ埋蔵された。Cは長男だったが、就職して早くから実家を離れて生活したことと、キリスト教信徒だったことから、喪主にはならなかった。
 Cは賀川豊彦の伝道集会を契機に信夫教会へ通うようになり、49年4月に受洗した。教会の青年会などで活動していたが、徐々に仕事が忙しくなり、しばらくはクリスマスなどの行事など以外は教会に通っていなかった。だが、定年退職した89年頃から再び教会へ戻ってきた。教会から離れていた77年頃、福島市内で墓地建設が盛んだった機会に、自らの墓地として、曹洞宗の寺院が管理する無宗派の民営霊園の一区画を確保した。
 Cは現在、イースターなどの墓前記念礼拝にも積極的に出席している。記帳ノートなどから多くの信徒の墓参を知り、教会で育った者として、教会員に覚えてもらう教会墓地の方がいいと思うようになったという。夫婦とも信徒だが、二人の嫁いだ娘は信徒でないので、どちらかが使用すればいいと思うので霊園の区画はそのまま保持している。

 上記の信徒たちはいずれも教会墓地に肯定的であるが、他信徒には反対意見もある。
 96年8月18日に開かれた教会の夏期研修会では、60名ほどの信徒が参加して、キリスト教信仰と葬儀・死の問題について議論した。そこでは、キリスト教において墓地や葬儀がそんなに大事なことなのかという者から、やはり墓地は信仰の証だという者、信仰共同体として墓地は必要だという者、自らの葬りの際に不安を感じている者など、多くのさまざまな立場からの意見・感想が出た。献体予定なので葬儀などいらないという者や散骨を希望したいという者もいた。
 それらの中で、筆者は「財力がなく自らの墓地を持てない人たちのために教会墓地が存在すると考えている信徒が多い」という発言に注目した。研修会中は、直接これに賛同した者はいなかった。だが、他の機会に話を聞くと、墓地は自らの家族で持ちたいと述べる信徒もいた。特に子供たちが信徒でない場合には、Aのように「祀りやすいような場所」に自らの墓地を求めたいと述べる者も少なくなかった。
 また、福島市の市街地を離れると、念仏講(近隣住民によって葬儀を行う互助組織)が葬儀を支えている地域もある。その地域で一人だけの信徒が、最近の葬儀を自宅で執り行えず、結局、教会で行ったと述べていた。洗礼を受けるとき親族に「キリスト教はちゃんと葬ってくれるのか」と聞かれたという経験を持つ信徒もいた。

 (4)小括
 小林の試みのうち、木製の十字架、逝去者名の読み上げ、記帳ノートなど、伝統的宗教習俗に接近した試みは信徒に積極的に受容されている。だが、教会墓地に関しては、納骨堂の一時預かりのみであり、共同墓はほとんど利用されていない。長年教会に通い小林の指導を受けてきた信徒であっても、家墓の利用が中心である。それは、墓地が各家族の宗教施設であるとの認識が強いからだろう。
 教会墓地は、教会指導者にも信徒にも、信仰共同体の証として建設される。だが、信仰を持たない子供たちの墓参を考慮し、公営霊園に家墓を新たに建設する信徒も少なくない。これは結局、信徒たちが「先祖を子孫が祀る」という「先祖祭祀」観を持っているということである。何も信夫教会の信徒に限ったことではない。少なくとも筆者の調査してきた地方都市・農村の信徒たち広範囲に、旧来の「先祖祭祀」観が残っている。
 教会墓地が利用されない理由は、そればかりでない。教会墓地の形態からも説明できる。分譲墓は「家墓」であるため、上記の通り、信仰が継承されていないときは望ましい墓と思われない。共同墓は合葬が基本であるため、遺骨が個別化されない点で心理的違和感により拒否される。信夫教会の共同墓は完成から間もないが、すでに教会墓地を建設して20年も経っている教会の事例では、合葬の共同墓へ分骨する一方で、家墓へ埋蔵する信徒が大半というところもある。納骨堂はあくまでも「土に還る」ことがないので、信夫教会以外でも、一時的な保管場所とされることが多い。
 墓への対応だけで信仰の真摯さは捉えられない。だが、上記の言動からは、キリスト教的意味づけを持った死者儀礼を行おうという意識は読みとれない。
 ここまでの議論で直ちに想起されるのは、日本ではキリスト教は信仰ではなく、一つの思想として受容されているために、まったく私的なものとなっているという指摘である[古屋 1989:218]。日本のキリスト教は「ゆりかごから墓場まで」の信仰として信徒に受け入れられているのではなく、「墓場の手前まで」の現世における思想として受け入れられているということではないだろうか。それゆえ、子供たちには自らの信仰を伝えるのではなく、信仰とは無関係な「家墓」を残すことになる。
 現代ではクリスチャンホームでなくとも信仰を守ることは可能である。信仰が家庭内で継承されることが望ましくとも、個人的信仰告白を基本とするキリスト教では、必ずしも信仰は強制されない。身近な人々へ自らが良いと思う信仰を伝えるのは普通だろうが、筆者が調査した教団の多くの信徒たちはクリスチャンホームを必ずしも形成しておらず、一代限りの老年期の信徒たちも多い。彼らは逝去するとき、どのように自らの信仰を他に証していくのだろうか。

6.結び
 信仰共同体の証として建設された教会墓地という施設を中心に議論してきた。小林の言葉を借りれば、いまだに「真に主にある共同になっていない」のが現況なのだろう。
 結局、キリスト教は日本において、いまだ旧来の「先祖祭祀」の影響を受けていることが、現代の死者儀礼に関して検討した結果でも再確認された。
 もちろん、教会墓地自体が近年に完成したところも多く、これから解決していく課題だとも言える。換言すれば、教会墓地というハード面の準備が整いつつある今後、キリスト教信仰に基づく「死者祭祀」のあり方を指導者たちが信徒たちへどのように示し、信徒がこれにどう呼応して実践していくか、というソフトの問題になってきたのである。キリスト教的な意味づけを持った死者儀礼は、現在進行形の課題なのである。いずれにせよ筆者のこのような見解は、今後は他教派・他地域などの調査で確認していかねばならない。
 同時に、これまでは日本においてキリスト教信仰を「持つ」ことに関する研究が多かったが、さらに信仰を「伝える」ことにも注目すべきだと言えよう。すなわち、本研究を通じて、「信仰の継承」という問題が、筆者にとって大きな課題として見出されたのである。


(1)神奈川県鎌倉郡の村長代理が寺院に埋葬を拒否されて横浜海岸教会信徒の私有墓地へ埋葬されたこと が報告されている(『福音新報』明治41年6月18日)。昭和初期には納骨堂建設をめぐって近隣住民が行政訴訟を起こした事件もある[奥村 1987]。近年も「お寺に墓地があるような場合にそこのお寺でお葬式をしなければ墓地に入れてくれない」などと報告されている[日本基督教団宣教研究所 1993:232]。
(2)代表的な論考に、カトリック教会を扱った鈴木[1974]、安齋[1984]、プロテスタント教会を事例に扱った森岡・新保[1959]、西山[1975]、大濱[1979]、Berentsen[1985]、Reid[1991]、などが挙げられる。
(3)本稿では墓地を「遺体・焼骨を埋葬・収蔵する施設」と定義し、その中で納骨堂を「地上にて、焼骨を収蔵する施設」、墓を「遺体を埋葬する施設。または地下に設けたカロート(納骨室)にて焼骨を収蔵する施設」と区分している。
(4)この幾つかは既に拙稿[川又1995]で紹介している。「死とキリスト教葬儀」という公開講座(91年11月、中杉商事)を主催する葬儀社もある。
(5)実際には遺族の意向が重視される。遺族が非信徒の場合、葬儀はキリスト教式で行っても後に寺院墓地へ埋葬され、その後は仏式で回忌供養を行うことも多い。逆に、それまで関心がなかった遺族が、記念会などを契機に教会に通うようになったという例もある。
(6)厳格な教団の態度として、美濃ミッション[1964]の小冊子が参考になるだろう。一方、1960年代に開かれた第二バチカン公会議以降、カトリック教会は多元的神観念から他の習俗へ寛容な姿勢を示している。そして日本の宗教習俗にきわめて寛容な指導書を著した[日本カトリック司教協議会諸宗教委員会 1985]。これに対しては、プロテスタント各教派から、多くの否定的見解が出された。また、家庭祭壇や逝去後の記念会を「民俗儀礼化したもの」と否定的に見なす者もいる[大濱 1987]。筆者は、伝統的宗教習俗に対応した形式の儀礼・施設であっても、「キリスト教的意味づけ」がなされているかどうかが問われるべきだと思うので、それを直ちには否定しない。
(7)教団は東北地方を奥羽教区(青森・岩手・秋田県)と東北教区(宮城・山形・福島県)に分けている。調査時点での教会数は(第一種教会・第二種教会・伝道所の順に)、奥羽教区が59(29・23・7)教会、東北教区が90(44・32・14)教会であった。
(8)教会の種類は、概ね信徒数と献金額で区分される[日本基督教団事務局 1991]。献金額は信徒数に大きく影響されるので、第一種教会=50名以上・第二種教=20名以上・伝道所=20名未満、が目安となる。
(9)面接した牧師たちは、葬儀などの原則を『死と葬儀』[日本基督教団信仰職制委員会 1974]により説明することが多かった。また、東京都大森めぐみ教会の牧師岩村信二[岩村 1990;川又 1994]や秋田県横手教会の牧師笠原金吾[笠原 1989]による実践も、一つの理想として言及していた。
(10)幾つかの教会墓地の事例は既に拙稿[川又 1995]で紹介している。また、本稿の「共同墓・納骨堂」は、森謙二が「複数の家族あるいは血縁関係にない人々が一つの墳墓あるいは納骨堂を共有している墓制」と定義する「総墓」を二分したものと言ってもよいだろう[森 1993:114]。
(11)歴史的背景では、小林[1975;1989]、日本基督教団福島教会[1990]、日本基督教団信夫教会[1995]、などを参照した。
(12)補助教会とは信徒の献金だけで教会が運営できず、ミッションや教団などから金銭的援助を受けている教会であり、自給教会は援助なく運営できる教会を指す。教会設立のときに補助教会だった場合、まず、自給を目標にする。
(13)福島県下の主要都市において、教会数と対人口比(教会数/人口、‰)を見ると、いわき市29(0.08)、郡山市19(0.06)、会津若松市7(0.06)である。福島市31(0.11)はこれと比べると高いことが分かる。
(14)97年11月現在、約200区画がカトリック信徒の家墓として利用されている。また、カトリック2教会は市営御山墓地にも約100区画の教会墓地を保持している。97年11月2日(諸聖人の日)の墓前ミサには筆者も参加したが、参列者は29名だった。当日は教団でも聖徒の日と定めている11月第1日曜日であり、他の教会でも早朝や午後に墓前礼拝を行っていた。
(15)記帳ノートを最も多く書いたのは、93年7月に逝去した専門学校生の高校時代の同級生である。彼女は教会員の孫であり、志のぶ幼稚園には通っていたが信徒ではなかった。死後1、2年の間は、彼女関係者の記述がノートの半数以上を占めていた。
(16)記帳の件数(同じグループでの墓参と見なされるものを1件と換算)を92年から95年までの4年間調 べると、合計303件だった。月別平均件数(1年分)は以下の通りである。1月=4、2月=2、3月=12、4月=3、5月=4、6月=3、7月=10、8月=15、9月=12、10月=7、11月=4、12月=3。
(17)この十字架をもとに家庭祭壇を設ける信徒もいる。「頂き物をしたときにその前に置いておく」とか「正月の雰囲気を出すためにその前に鏡餅を置く」との発言もあり、「仏壇代替物」を連想させる[西山 1975;磯岡 1983]。
(18)クリスチャンホームとは、一般に家族内の成人(特に夫婦)がキリスト教信徒の場合を指す。

参照文献
安齋伸 1984『南島におけるキリスト教の受容』第一書房。
Berentsen,J.M. 1985 Grave and Gospel. E.J.Brill.
古屋安雄 1989「歴史的考察」古屋安雄・大木英夫『日本の神学』ヨルダン社:25-224.
井門富士夫 1954「我国プロテスタンティズムに於ける信徒構造の変遷-基督教主義教育を通してみた一試論」『宗教研究』139:1-35.
磯岡哲也 1983「日本村落における基督教の受容-千葉県福田聖公会の事例」『常民文化』6:1-34.
岩村信二 1990『三代目のキリスト教-伝統文化との対立から深化へ』新教出版社。
笠原金吾 1989『続雪国の伝道』横手聖書学舎。
川又俊則 1994「死者儀礼のキリスト教的意味付け-大森めぐみ教会の事例より」『常民文化』17:1-25.
−−−− 1995「キリスト者の先祖祭祀への対応」『常民文化』18:23-43.
小林喜成 1975『日本キリスト教団信夫教会八十年史』日本キリスト教団信夫教会。
−−−− 1989「キリスト教」『福島の文化』(福島市史別巻Z)福島市教育委員会:292-309.
美濃ミッション 1964『日本における真のキリスト教葬式の手引き』。
森謙二 1993『墓と葬送の社会史』講談社現代新書。
森岡清美 1986「先祖祭祀と日本の世俗化」『東洋学術研究』25(1):43-56.
森岡清美・新保満 1959『地方小都市におけるキリスト教会の形成』日本基督教団宣教研究所。
日本カトリック司教協議会諸宗教委員会 1985『祖先と死者についてのカトリック信者の手引』カトリック中央協議会。
日本基督教団事務局編 1991『日本基督教団 教憲教規および諸規則』(改訂)日本基督教団出版局。
日本基督教団福島教会 1990『日本キリスト教団福島教会百年史』。
日本基督教団宣教研究所編 1993『老い・病気・死-教会の現代的課題』日本基督教団出版局。
日本基督教団信夫教会 1995『日本キリスト教団信夫教会創立百周年記念誌』。
日本基督教団信仰職制委員会編 1974『死と葬儀』日本基督教団出版局。
西山茂 1975「日本村落における基督教の定着と変容-千葉県下総福田聖公会の事例」『社会学評論』26  (1):53-73.
大濱徹也 1979『明治キリスト教会史の研究』吉川弘文館。
−−−− 1987「キリスト教会にみる死者供養」『真理と創造』10:61-97.
奥村直彦 1987「近江ミッション『共同納骨塔事件』-昭和初期の地域行政訴訟」『キリスト教社会問題研究』35:104-144.
Reid,David 1991 New Wine. Asian Humanities Press.
鈴木範久 1974『日本のカトリック村』宗教学研究会。
幸日出男 1985「キリスト教と『祖先崇拝』の問題-カトリック教会の『手引』をめぐって」『出会い』8(2):52-56.
弓山達也 1994「現代日本の宗教」井上順孝編『現代日本の宗教社会学』世界思想社:93-130.

付記)調査に協力して下さった教団の各教会の関係者、信夫教会の教会員の方々、何より小林喜成・香ご夫妻には記して感謝したい。また本稿は、成城大学民俗学研究所の所員研究例会(1997年12月4日)での発表原稿を大幅に加筆修正したものである。


《 英文要旨 》
   The purpose of this article is to study the acceptance of Christianity in and
through the use of cemeteries. The findings of this study are based upon
survey research in Tohoku region and fieldwork at Shinobu church.
Results show that most ministers regard a cemetery as one of the essential
   facilities of their churches, in spite of the fact that few make earnest use
of it. Fieldwork at Shinobu suggests that it is difficult to transmit
Christian faith and rituals over generations.


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