<牧師夫人>が抱える諸問題に関する一考察
 −当事者たちの実態調査を中心に−


1.本稿の課題
 聖職者と信徒の違いは、一般にはかなり大きなものと認識されている(1)。神の下の平等を説くキリスト教であっても、聖職者には信徒と異なる立場がある。司教・司祭などの位階制(ヒエラルヒー)が明確に定まっているカトリック教会はもちろんのこと、万人祭司のプロテスタント諸教派であっても、世俗の職業に就いている一般信徒と、神学校で学び、聖職者としての召命を持ち、各々の教会を牧する聖職者との立場の違いは一目瞭然である。
 そして、独身主義を貫くカトリック教会ではおこり得ず、プロテスタント諸教派で問題にされることの一つに、聖職者の子供や配偶者に関することがある。少なくない数の信徒たちが牧師の家族を理想的な家族と見なしており、そのことが牧師の家族員にとって、無言の圧力になっていることも耳にする(2)。さらに、信徒たちが「牧師先生はいいけど、奥様が・・」、またはその逆のことを発言することすらある。
 教会生活を送る信徒たちにとって、毎週神のことばを伝えてくれる牧師がとても重要な存在なのは当然である(3)。教職でないならば、牧師の配偶者は一般信徒と同じ立場にある。だが実際には、そのように考えていない信徒たちも多い。
 本稿で筆者は、牧師夫人に関する幾つかの問題点を見出したい。牧師夫人を対象にした社会学的・宗教学的な研究は、こと日本においてはほとんど見られない(4)。従来の研究は、宣教師や牧師、熱心な信徒などを対象にしたものが多かった。現代日本のキリスト教における受容の問題を追究している筆者にとっても、この牧師夫人という対象は新たな研究になる。
 だが、未開拓ということだけが研究対象の理由ではない。筆者は、死者儀礼・教会に通っていない<信徒>など、幾つかの視点を設定して日本のキリスト教受容研究を続けている(5)。この牧師夫人研究は、牧師と一般信徒の「境界上」に立ち、それぞれにさまざまな関わりを持っているという点が重要だと思われる理由の一つである。また、とくに日本のキリスト教は都市部以上に農村部でマイノリティのまま推移している。キリスト教受容の問題を考えるときには、そのようななかで伝道・牧会を行っている牧師だけではなく、牧師の家族や牧師夫人の存在も、研究対象として考えていく必要があるのではないだろうか。
 本稿の試みのように、牧師夫人の生活の諸相を見ることは、日本のキリスト教受容に関して、まだ明確ではないが、何らかの新しい視座が提示できるのではないかと思われる。
 さらに、牧師夫人自身の言葉を借りれば、一方では夫たる牧師から、他方では信徒側から、さまざまな役割期待を受け「せっぱつまった役割葛藤」の中にあるのが実態だという[依田 1988:9]。すなわち、彼女たちの状況を考察することは、「役割」「家族」「ジェンダー」などの社会学的なテーマにつながるだろう。
 本稿は牧師夫人に関する基礎的議論を試みる。まず次節で用語の問題を取り上げ、さらに当事者たちの調査を中心に、このテーマでは何が問題となるのかを考察していこう。

2.<牧師夫人>という語彙の問題
 それでは最初に「牧師夫人」という用語自体を検討しておこう。
 牧師夫人はもちろん牧師の配偶者を指す語である。だが、単純にそう言い切ると「牧師の夫」というカテゴリーを失念していることに気付かされる。牧師は男性とは限らないという当たり前のことが、何の前提もなしに「牧師夫人」と呼ぶことでスポイルされる危険性もある。近年の神学校では女性の学生が増加し、その結果、各教派では女性教職者が増加している(6)。
 では牧師夫人の生活はどのように知ることができるのだろうか。夫が著名な牧師の場合、評伝[高見沢 1969]や伝記[関屋他 1961]などに、牧師夫人のことも多少書かれている。牧師夫人たちの声を集めて本を出版している教派も若干ある(7)。
 それらの書物でも述べられているが、牧師夫人は牧師と異なり、それぞれの教派で職制が定まっているわけでも、教会での正式な役割が決まっているわけでもないということである(8)。「牧師夫人」という項目はキリスト教事典にもなく、特別に講座が設置している神学校もない。牧師夫人たちは、先輩や数少ない実践書などから、自らの務めなどを学んだという[大谷 1979など]。そして、彼女たちの中には、自分たちで研究会を結成し、さまざまな調査研究を進めている者たちも出現した(9)。
 そのような状況のなかで、近年、牧師夫人ではない呼称が模索されている。「牧師の妻」「牧師の夫人」などを推奨している教派や地区もある。アメリカでの変化−「minister's wife」から「 wife of minister」、「minister's spouse 」へという状況−を参照しつつ、「牧師の夫人」「牧師の配偶者」と呼ぼうと提案する牧師もいる[三永 1998a:26]。「準教職」、「助け手」、「ministry」などの代替案も挙げられている[日本基督教団全国牧師夫人研究委員会『道のり』37号、1995年](以下、[37/1995]などのように号数と年号のみの表記は『道のり』からの引用を指す)。決定的な賛意を得られたものはまだない。
 むしろ、「牧師夫人」の方がいいと述べる者もいる。
 本稿は、前節まであえて括弧で括らずに牧師夫人と記述してきた。だが、上記のような議論があることも踏まえ、最善ではないかもしれないが、<牧師夫人>(もしくは「牧師夫人」)と表記することにする。ただし、括弧書きにしたからといって問題は解決するわけでもない。逆に、問題を棚上げしただけと指摘されるかもしれない。だが、すでにさまざまな語彙が提案されているが、それは定着されるに至らず、<牧師夫人>に代わる適切な語彙は、まだ見出されていないというのが現況だろう。今後何らかの語彙の定着を待つわけにもいかない。したがって、従来からある問題を検討するという本稿の目的から考え、この語を括弧で強調して用いることにする。

3.それぞれの<牧師夫人>像
 前節で用語の検討をしたので、次に、この<牧師夫人>の現況を見ておきたい。
 対象を把握するためには、文献収集や、参与観察・インタビューなどの方法が採られる。筆者はすでにそれらの調査をある程度進めているが、本稿の中心資料には<牧師夫人>自身の手による実態調査を用いることにした(10)。この実態調査は、社会調査の観点から見ると、対象者の選択や、質問項目・質問文、アフターコーディングの処理、などさまざまな部分で問題がある。だが、その欠点を補って余りある利点として、<牧師夫人>自身が自らをどう捉えているのかが直接反映されている資料ということが挙げられる。
 本稿では2つの教派の調査を検討するが、いずれも、牧師夫人自身が常に抱えている問題を浮き彫りにしたものと言えるだろう。そこで、次節では、当事者たちの実態調査を、筆者なりに検討してみよう。
 本節では調査結果を検討する前に、簡単にではあるが、<牧師夫人>自身や、牧師、信徒たちが持っている<牧師夫人>像を確認しておきたい。「像」というものは、時代社会によって変遷するものだろうが、ここでは現代の「像」を見ておきたい(11)。
 まず<牧師夫人>自身だが、「牧師夫人の位置づけがはっきりしていない」[12/1980]、「聖書をひもとくと信仰者のあり方は二つしかなくて、羊飼いであるか羊であるか」であり、「牧師夫人という立場は虚構、共同幻想だとまで言ってしまえるほどのもの」[39/1997]などの声がある。さらに、自らのことを「単なる信徒の一人」言う者もあれば、「召命を受けた特別な立場」だと解している者もいる。彼女たちはすべてが異なる状況にいる。教職者としての資格のある者・ない者、大きな教会・小さな教会、開拓した伝道所・歴史の古い教会など、その状況はさまざまな点で区分できる。もちろん、それぞれの育った環境も異なるだろうし、何よりその配偶者たる牧師の性格なども大きく関わる。だが、以下で確認するように、牧師や信徒もそれぞれの<牧師夫人>像を持っているのである。
 次に牧師側だが、例えば「牧師夫人はですぎてもいけないし、その反対でもこまります。ほどほどというのが理想です」という発言がある[辻 1981:193]。「夫は牧師ですが私は一信徒にすぎません、ではすまされない。できれば、聖書学校か神学校に入学し、献身者としての心得、または厳しさを身につけることも望ましいことのではないだろうか」と、ある理想像を述べる者もいる[松見 1986:142]。また、牧師たちが<牧師夫人>を「信徒の一人」か「牧師の秘書役」だと見ていると述べる者もいる[大沢 1989:1]。
 続いて、信徒側は「『牧師夫人も信徒の一人である』確かにその通りであると納得しながら、一寸したショックを受けました。私たち教会員には『牧師夫人は信徒であるよりも、牧師夫人という名の教職者である』という思い込みがある」という発言[30/1989]や「牧師夫人のみ教会員の無言の期待をこめた『牧師夫人』という名称に大きなプレッシャーを感じていらっしゃるのも事実のようです」という発言が見られる[32/1990]。また、信徒たちの<牧師夫人>像として、「会堂の管理人(雑用係)」、「信徒と牧師の仲介者」「牧師の同労者(準教職)」、「教会のよき奉仕者」などを挙げる者もいる[大沢 1989:1]。

4.当事者たちの調査
 日本にはプロテスタント各派が150以上もある。本稿ではそのなかで、自ら実態調査を実施した、日本バプテスト連盟・日本基督教団という2教派を取りあげる(以下、連盟、教団と略す)。いずれも、NCC(日本キリスト教協議会)に所属している(12)。この2教派は、いずれも信徒数が1万人以上であり、日本のキリスト教のなかでは比較的大きな教団と言えよう(13)。
 本稿のような問題発見型の研究においては、対象の限定によってある程度の偏りが出てしまう可能性があっても、甘んじて妥協せざるを得ないだろう。まず問題を見出すことが優先されるからである。本稿では、当事者たちが明確な目的意識を持って調査したという点を最重視して、この2教派を扱うことにしたのである。
 以下、@教派の概要、A調査の概要、B主な質問項目を記述する。連盟の調査に関しては、Bで自由記述の回答も広く引用していく。教団の調査は3回実施され、質問項目は属性以外、自由記述を含めてそれぞれ30問ほどある。その全てではなく、Bでは3回とも質問されたもの、2回質問されたものに分け、筆者なりに選択したものを議論していく。

(1)日本バプテスト連盟
 @教派の概要
 1889年に北九州へ伝道を開始した、アメリカの南部バプテスト・ミッションにより日本バプテスト西部組合が結成された。後に、日本基督教団へ合流した。戦後、日本基督教団から分離した16教会が1947年4月に日本バプテスト連盟を組織した。各教会は自主独立、会衆主義により運営されている。近年では、海外伝道も積極的に行っている。1997年現在、333教会、教師数343人、信徒数3万3211人である。

 A調査の概要

【表省略】

 ※Aは筆者が集計一覧から算出、全体の割合・B・Cは『バプテスト』524号より転載

 連盟の機関誌『バプテスト』編集部は、1998年度の年間主題として「教会形成」を掲げた。そして1998年12月、同連盟に所属する全ての教会・伝道所、合計240教会の牧師の妻宛に質問紙を郵送した。その結果が『バプテスト』1999年3月号において「牧師の妻について考える」という特集で紹介されている。回収率は54.8%(132名)だった。
 この「牧師夫人アンケート」は、連盟結成以来、50年の歴史で初めての試みであった。編集部では「現実を知ってもらう、考えてもらう」ことを目標に行ったという。反響として「女性の目から、よく取り上げてくれた」「自由に言えるようになりたい」などの声もあり、回答者だけでなく、それ以外の会員からも一定程度の評価を受けたようである(14)。

 B主な質問項目
 A)「あなたは、教会から何か期待されていると感じますか」
  →「感じる」が75.4%
 具体的なコメントを挙げよう。
「奉仕などで『牧師夫人だからするのがあたりまえ』という雰囲気が感じられる」(30代)
「年配の人から『縁の下の力持ち』『陰の働き』」(30代)
「赴任当初は『牧師夫人』なんだから(あたりまえでしょ)ということを言われた」(40代)
「担当の奉仕を休んでも、牧師夫人が何とかしてくれると思っている」(40代)
「教会の母親的存在でいてほしいと期待されているように思う」(50代)
「いつも笑顔でつらいときがあっても表に出さないよう言葉でいわれた」(50代)
「牧師夫人だから〜するのが当然という考えをもっている人たちがいる」(60代)
 <牧師夫人>は、信徒たちから非常に多くのことを期待されていると感じたり、実際に言われたりしていることが分かる。年代別にみても概ね7割以上「感じる」と答えていた。
 上記以外にも、「婦人への牧会」「事務、管理、雑事」「教会内の潤滑油」「教会員の牧師への不満対処」「各集会の細かな準備」「高齢者の訪問」「信徒の模範になる」などとと多岐にわたってコメントされていた。

B)「夫である牧師はあなたにいわゆる『牧師夫人』的働きを期待していると感じますか」
  →「感じる」が56.5%
 これも具体例を挙げよう。
「ノンクリスチャンの夫を持つ教会員への電話連絡など」(30代)
「牧師の補佐的な仕事」(30代)
「教会に来る女性のカウンセリング」(40代)
「うかがいなしに、プログラムの中の役割を決められている」(50代)
「牧会パートナーでいてほしいと思われている」(50代)
「教会の大切な会、セレモニーには出席が暗黙のうちに求められている」(60代)
「男性牧師にできない女性の心のケア」(60代)
「一人住まいの婦人の訪問は二人で」(60代)
 年代別にみると、30・40代と50代以上とで大きく異なっていたが、コメントにおいては内容にあまり差はなかったように思われる。上記以外のものとして、「婦人・青少年の牧会」「牧師の助け手」「長欠者への週報などの発送」「女性の心のケア」「礼拝後の食事の準備」「オルガニスト」「事務的働き」「牧師と同じ召命感に生きる」「地域との付き合い、交流」なども挙げられていた。

C)「あなたはいわゆる『牧師夫人』としての何か特別な職務があると思いますか」
  →「ある」は31.7%。
 「ある」と答えた者の理由は、「牧師の仕事を理解し励ますことが必要」「牧師一人に教会管理は無理」「共に献身と召命感がなければ良い働きはできない」「〈職〉ではなく〈務め〉がある」「男性牧師では牧会上、難しい領域もある」「牧師の妻として支える役割があるはず」などとコメントしていた。
 一方、「ない」と答えた7割の者も、その理由には「一教会員なのであってそれ以上に期待すべきでない」「招聘を受けていないのだから職務上はない」と言いながら、「形のうえではないが、無形の要求がある」「職務はないが立場はある」「自分にはないが、外から限りなく求められている」「夫を支え、主に仕えることは職務ではない」などとコメントしている例で示されるように、「ある」と答えた者同様に、現実には教会の要請に懸命に応えているのであった。
 これらを見ると、「職務」という語句に回答者たちが違和感を持っていることが分かるだろう。編集部の質問意図とは別に、それぞれが独自に解釈したため、結果として「ある」「ない」の区分が曖昧になってしまったことは否めない。
 <牧師夫人>たちが、教会に関して自ら行っていることは、「職務」というよりは「務め」「立場」ゆえと認識しているようである。なお、年代別にみると、20代が5割と多い他、30・40代は2割程度で、その後、年代が上がるにつれて割合が増加する傾向があり、60歳代は4割を超え、70代で5割に達していた。

D)その他
 上記三つ以外を含めて、自由記述のコメントを見ておこう。
 まず、「教会が忙しくなると子供のことがおろそかになる」「教会会計が緊迫しているところは牧師館の台所も大変」「夫の退職後が気にかかる」と家族の生活上の心配、「教会に縛られ自由な時間がない」という問題が挙げられていた。このような日常生活における課題の他には、「教会員より信仰的に深く、しっかりしていると思われることがプレッシャー」「牧師と教会員が対立する場面での身の置き所に困る」「牧師夫人への高い理想が教会にあり、それにこたえようとするほど重荷でした」と、「立場」による精神的拘束がかかり、「牧師よりはっきりしない立場なので牧師より大変」「自分自身の『牧師』がいない。相談する人がいない」という状況も述べられていた。

 編集部はこの調査結果を、<牧師夫人>の存在の大きさと、働き・立場の特殊性の故に苦慮している実状としてまとめた。また、回答者の多くが「牧師夫人という職務はないが、牧師の妻という立場はあると思う」という内容のコメントを記述していることも踏まえ、夫たる牧師の理解とサポートを呼びかけている。さらに、年代・教会の状況などの多様性を踏まえ、全国・地方単位・有志によるグループなどの、「牧師夫人会」「牧師夫人の集い」などを通じての、学びや話し合い・交わりが有効ではないかと述べている。
 後述する教団の調査が、教会の経済や牧師館の規模なども詳細に調べているのに対して、連盟の調査はあくまでも<牧師夫人>の意識が中心だったので単純比較はできない。だが、自由記述のコメントを上記のように挙げてみて分かる通り、直接質問していなくても、個別の細かな問題は、次に述べる教団の調査で判明したことと重なるものも多いのであった。

(2)日本基督教団
 @教派の概要
 日本のプロテスタント諸教派の間でずっと課題だった「教会合同」は、なかなか実現しなかった。日本基督教団は、そのようななか、1939年に成立した宗教団体法を背景に、ほとんどのプロテスタント諸教派が加盟して1941年に成立したのである。第二次大戦後は宗教団体法が廃止され、新しい教派結成などのため、離脱する団体もあったが、教団自体は幅広い諸伝統を受け継ぐ合同教会として存続した。現在でも日本のプロテスタント諸教派のなかでは最大のグループである。1997年現在、1726教会、教師数は2163人、信徒数は20万6002人である。

 A調査の概要
 調査は、婦人伝道専門委員会と、組織改革によって結成された教団の全国教会婦人会連合(以下、婦人会連合と略す)の下部組織である牧師夫人委員会(以下、委員会と略す)が実施したものである(15)。

 【表2 省略】
 
1回目は1967年に行われ、男子教職の夫人宛で1523通発送し、回収率は25.8%(392通)だった。2回目は1978年に行われ、1610教会に発送し、回収率は15.2%(245通)。3回目は1995年に行われ、1580教会に発送し、回収率は23%(363通)。本稿ではこれら3回の調査を、西暦の下二桁で67年調査、78年調査、95年調査と記述する。
 この調査に回答した<牧師夫人>たちは、調査に対して賛否両論の反応を示した。
 67年調査の総括では「いわばタブー破りの印象をさえ、一部に与えたらしい」と述べられていた[日本基督教団婦人伝道専門委員会 1968:8]。また、95年調査の自由記述から幾つか抜粋すると「現在まで本当にいろいろ悩み続けて結婚生活を送ってきた。(中略)このようなアンケートをして欲しいと思っていたので集計結果が楽しみ」、「スペースの不足で十分に書けなくて残念」という積極的賛成から、「牧師である妻をもつ牧師でない夫にもこのアンケートをするのが平等と思う」という意見、さらには「牧師の妻がクリスチャンである事を前提としてアンケートが作られるのはおかしい」という発言もあった[いずれも、40/1998]。
 [表2は]回答者の年代を示したものである。回答者の中心が、30代→40代→60代と推移していることが分かるだろう。<牧師夫人>全体に関する基礎となる統計資料はなので、これだけで教会の高齢化を指摘することは拙速だが、後に見るように、老後の問題は教会全体の大きな問題となっている。

 B質問項目
 A)3回とも実施

 【表3 省略】

 牧師館の位置、私生活の尊重に関しては[表3]に示した。
 まず、牧師館の位置だが、これは前2回の調査に比べ、95年調査では、牧師館と教会堂が直結している割合と借家・借間に牧師館があるという割合が大幅に増加した。委員会はこの結果を、教会堂建て替えによって会堂内に併設されたり、マンションに牧師館を設けるところが増加しているからだろうと述べている。教会堂建て替えのときに、二階や三階の部分を牧師館とする教会が少なからずあり、なかには入り口を独立させる場合もある。牧師館の位置に関する議論はあまり見られない[白戸 1999など]。
 また、牧師館に関して、建坪・部屋数・住み心地(住み易さ・日当たりなど)なども問われている。これらは、私生活の尊重に関わるものであろう。私生活の尊重に関する結果を見れば、徐々にプライバシーは守られてきていると見られる。これは、牧師館の変化は大きいのだろうと推察される。
 その他、3回とも問われた問題に、収入や支出・謝儀などの金額、子供の教育の経済負担などがある。

 B)2回実施
 [表4]の通り、67・78年調査では牧師の収入内容を3分している(95年はなし)。とくに67年調査では、収入と支出の項目を細かくたずねており、教会の経済問題が重要視されていたことが推察できる。その調査では「家族の健康が維持できない」などのコメントもあり、かなり苦しい家計をやりくりしている<牧師夫人>の生活の一部が垣間見られた。78年調査でも「謝儀が足りない」という回答も全体の38%が答えている。
 また、67・78年調査では<牧師夫人>の就業・職業と収入についてをたずね、95年調査では、意識調査として「牧師の妻が職業を持つことについて」をたずねている。[表4]のように、就業率は平均5割以上であった。職種は、幼稚園・保育園などの教会附帯事業で勤務する割合が、67年調査では57.1%、78年調査では58.1%と、それぞれ最も多かった。
 67年調査では、神学校を卒業し教師の資格を持っていても教会で担当教師となっているのは54.8%、さらにそのなかで謝儀を得ている者は43.5%となっており、教会全体の経済問題とは言え、女性教職者が厚遇されているとは言い難い実態が判明した。

 【表4 省略】

 78・95年調査では「伝道について牧師とともにどのように歩みたいですか」という自由記述回答の質問をしている。それぞれ多くの回答が集まった。
 78年調査で委員会は、これらを「積極的参加・内助の功・信徒として」に分類した。
 「積極的参加」としては「幼児教育を通して、教会の枝として働く」「宣教と教育の役を分担して伝道している」「車の両輪のつもりで励んでいる」などが代表的回答だろう。
 「内助の功」としては「牧師の秘書役」「伝道の妨げにならなぬよう後からの援助者」「家庭を守ることで協力する」などが挙げられる。
 「信徒として」には、「信徒が神につながれ、救われることを祈る」「神にご奉仕する」などが挙げられる。
95年調査で委員会は、これらを「牧師の妻として・夫は夫・一信徒として」と分類した。そのうち「牧師の妻として」は「教職・同労者・助け手・補助・夫と別に伝道」に細分している。以下、その内容を、幾つかのコメントを通じて見ていこう。
 「妻として・教職」は「牧師同志ですから協同者」、「妻として・同労者」は「二人三脚と考えている」「チームプレーをしていきたい」、「妻として・助け手」は「牧師の教会形成、宣教、牧会の方向を信頼して助け手として歩みたい」、「妻として・補助」は「縁の下の力もちとして」、「妻として・夫と別」は「方向、立場、考え方など違うことが多いので出来れば別の場所で伝道したい」、「夫は夫」は「伝道は夫の仕事、基本的には自分とは関係ない」、「一信徒として」は「一教会員として存在したい」、などのコメントがある。
 78・95年調査では「老後」の項目を設けて幾つもの質問をしている。
 その中で私有住宅を保持しているかどうかを問うたところ、保持している割合は、78年調査で20.0%、95年調査で25.6%だった。牧師は教会附属の牧師館で生活することが多い。その場合、別に私宅を持つことは容易ではない。さらに隠退後、新たに私宅を得られるだけの年金が得られるかというと、必ずしもそうなるとは限らない。
 「老後」関する自由記述については、「教団年金の充実を」「経済的に不安がある」「教会が小さいと老後の備えはしにくい」などの意見が目立った[40/1998]。
 教会での奉仕について、67・95年調査ではその内容を自由記述する質問があった。すると、合計で30件以上のものとして、奏楽・教会学校・掃除・雑用・週報印刷・食事・受付・訪問・事務などが挙げられていた。

5.考察
 前節を検討した結果、大きな問題として次の4点を指摘することができるだろう。それぞれに関して、若干の議論をしておく。

(a)プライバシー
 教団調査では3回とも牧師館についての質問項目があり、またプライバシーが守られているかどうかも問われていた。「来客を自分の家に招くかどうか自分の側で選択できるようなプライベートな住宅が必要」[40/1998]という意見に代表されるように、自らの生活の場は<牧師夫人>にとって、大きな問題であることは異論がないだろう。
 67年と95年を比較すると、プライバシーはある程度守られてきているということは言えるだろう。
 一方、連盟調査ではこの質問項目はないが、自由記述で「心身共に疲れた時、教会を離れて、人に気を遣わずに休める場所が欲しい」というコメントがあるように、まだまだクリアされていない問題だと言えるだろう。

(b)<牧師夫人>の就業と家計
 牧師の家庭の経済問題について、「手もとに財が乏しい時でも、祈れば与えられます」という確信から、「財を産み出す信仰の祈りを、牧師夫人は持たなければならないと思います」と主張している<牧師夫人>がいる[大谷 1979:38]。
 比較的小規模な教会が多い日本において、教会の経済、さらには牧師謝儀に関する問題は、例えば、「牧師謝儀では子供二人をとても私大には入れられない」と率直に述べる者もいるように[13/1981]、見過ごすことはできない。だが、「信仰さえあれば、祈りさえあれば」ということで、実際的な解決を公に議論してきたとは言えなった。少数の牧師がわずかに論じた程度である[辻 1981:178-185]。
 教団調査では3回とも扱っているように、家計を扱う(ことが多かったであろう)<牧師夫人>にとっては、大きな問題であることに間違いはない。ただし95年調査では、それ以前のような詳細な質問はしておらず、多少はよくなってきたのかもしれない。
 また、これに関連するのが<牧師夫人>が職業を持つかどうかという問題である。牧師謝儀だけで家族の生活を支えるのが困難な場合、家計の補助のためにパートタイムの仕事を持った経験のある<牧師夫人>もあるだろう。結婚前からの職業を続けようとする場合もあるだろう。67・78年調査で、教会関連の職種が多かったということは、逆に考えれば、それ以外の職種には就きにくいとも言える。
 95年調査では「職業を持つこと」への賛成は80.7%だった。コメントを見る限りにおいて、自ら「伝道のさまたげにならなければ」とか「教会の益になるなら」などと述べている者など、あくまでも教会・伝道が中心であると考えている者と、「一人の人間として自立すべき」「個人の自由でよい」という考えの者が混在しているようである。

(c)老後
 教団の78・95年調査では、老後に関する質問項目が幾つもあった。連盟では質問項目がなかったが「将来(老後)の経済的裏付けが不安」というコメントもある。
 この牧師の老後の問題は、プロテスタント諸教派それぞれが抱える最重要課題の一つである。牧師は定年制がなじまない職である。さらに牧師が生涯現役を貫いたとしても、その死後<牧師夫人>がどういう生活を送るかという問題など、個々の場合によってさまざまな問題があるだろう。
 隠退牧師家庭の現状報告を見る限り、経済的に豊かだとは言えない(16)。30年以上の長きにわたり同じ教会で牧会しても、その教会が十分な退職金を与えられないのが現状という場合もある。
 この問題は、この資料だけではなくもっとさまざま資料からの検討が必要であろう。

(d)役割葛藤
 牧師自身が気の置けない者どうしの間で、「おれの牧師生活は女房ゆえに成り立っている」などと密かに感謝をともなった告白をしているとの指摘もある[岸・高塚他 1983:91]。
 夫の死によって、<牧師夫人>から牧師へ転じた者の一人は、「自分が教職になってみて痛切に感じたことは牧師夫人が欲しいなということでした。裏方になって助けてくれる人の存在が必要ということ」を述べている[16/1982]。
 牧師一人がすべてをこなすことは、ある程度の大きさの教会になったら不可能に近いだろう。したがって、牧師は最も身近な信徒であり、愛する配偶者である妻を、自らの仕事がカバーできない部分で力を発揮してもらおうとする傾向にある。
 連盟の調査で見られるように、信徒からも牧師からも「何か」を期待されているのが現状であり、それは<牧師夫人>十分感じ取っている。だからこそ、この葛藤に苛まれているとも言える。

6.まとめと今後の課題
 前節までの議論から、<牧師夫人>の問題が浮き彫りになったと思われる。先に挙げた4つのなかでも、筆者は現代的課題としては「老後」と「役割葛藤」を指摘したい。
 前者は、教派によってはまだ大きな課題とは言えないかもしれないが、連盟や教団などある程度の歴史を持つ教派では、多くの隠退牧師や高齢者の牧師もおり、またその予備軍も多数いるわけで、必ず対処せねばならない問題であろう。
 後者はおそらく多くの教派で共通の、最も大きな課題だと思われる。牧師・信徒・<牧師夫人>、この三者が<牧師夫人>に期待する役割が重なる部分もあれば、異なる部分もあり、またその役割も、教会や個人的状況に大きく左右されることが、この問題が簡単な議論ではすまされないようにしている。
 役割葛藤に関して、<牧師夫人>が教会外で、奉仕活動・趣味・経済活動などの自らの働きを持ち、同時に一般信徒たちが教会でのさまざまな役割を果たすことであるという、<牧師夫人>の「役割の相対化」が提言されている。[大沢 1989:1]。もちろんこれは教会にとっての一つの理想像と言えるだろう。だが、これには「牧師、牧師夫人、そして一般信徒も『相対化』を絶えず意識していることが肝要で」あり、かつ、理想ゆえに、その実例はなかなかあらわれないのも現状だろう[大沢 1989:1]。
 牧師館という名称を「牧師先生の家」と変えたり、牧師の夫人に定休日を与えて、教会に関する一切のつとめを行わないようにという提案もある[三永 1998a:27]。だが、一方では、「夫である牧師が御言を語り、妻である夫人は人々の言葉を聞く。この見事なコンビが伝道・牧会を豊かにする」というように、<牧師夫人>には一般信徒とは異なる役割があるとも述べられている[三永 1998b:27]。
 いずれも紙幅の制限のなかでの提言とはいえ、これらの提案は、牧師の仕事を陰で支える<牧師夫人>像という、固定化された像に対する応答のように思われる。前節で述べたように、現代の多様化した状況のなかで、さまざまな<牧師夫人>が存在し、それぞれ異なる問題を抱えている。対処法は個々異なるだろうが、幾つかの大きな問題点を整理することが必要だと思い、本稿では先のように分類したのである。
 もちろん、筆者は実践神学ではなく社会学の立場からこの問題を追究しているわけであり、次稿で問題解決法を議論し、提案しようとまでは考えていない。
 今後、例えば幾つかの<牧師夫人>のタイプごとに分けた上で、より具体的な事例に沿った考察を加えることは、筆者にも可能だと思う。すでに類型化においては先行研究があるので、それを踏まえつつ、キリスト教受容研究の一つの視座として、筆者なりの研究を進めていきたい(17)。

【付記】
 この研究に際し、資料の提供などで便宜を図っていただき、インタビューに応じて下さった、日本バプテスト連盟の矢野満氏と、日本基督教団下谷教会の山添和加氏には、深く感謝してここに記したい。また、長時間にわたるインタビューにも関わらず、熱心に自らの生活史を語って下さった多くの<牧師夫人>の方々にも、一人一人のお名前は挙げられないが、記して感謝したい。筆者が聞かせていただいたことは、何らかの形で間接的にこの論文に反映されていればいいのだがと思う。

【註】
(1)本稿での聖職者と信徒という区分は、牧師と信徒、教師と信徒などと言い換えてもよ い。もちろん、プロテスタント教会における牧師の身分をあらわす教師にも、主任・担 任教師や巡回教師、無任所教師などの区分があることや、信徒にも長老教会のように二 種信徒制をとっているところがあることは承知している。細区分することによる議論の 煩雑さを避けるため、二つに単純化して区分したことは了承されたい。
(2)将来的には牧師の家庭全体に対象を広げることも考えているが、本稿では配偶者とし て女性のみを扱う。牧師の家庭については[有馬 1999]や[笠原 1999]などを参照。
(3)牧師像については、牧師たちの座談会での率直な発言などを参照[今橋 1993:2-13]。(4)米国では牧師夫人の研究は、社会心理学の立場による研究が1960年代に幾つも提出さ れてきた。例えば、ダグラス[Douglas 1965]やデントン[Denton 1962=1997]の著作や、 その他の研究も検討している[深田 1999]を参照のこと。また、オーツは牧師への牧会関 する実践的な書物のなかで、その妻に関して若干論じている[Oats 1964=1968]。日本で は、住職の妻に関する研究が若干見られる。曹洞宗における資料を分析した[内野 1982] などを参照。また、牧師夫人も経験している川上朝恵牧師は、神学校の卒業論文で、牧 師夫人の実態調査をまとめた[川上 1986]。
(5)死者儀礼の研究は[川又 1998]、教会に通っていない<信徒>の研究は[川又 1999]な どを参照。
(6)例えば日本基督教団の場合、1998年現在333名の女性の正教師、265名の補教師がいる。 海外の状況は、[生駒 1993]などを参照。
(7)本稿で取り上げていないが、日本ホーリネス教団[日本ホーリネス教団出版局 1992]や、 日本福音ルーテル教会[岸・高塚他 1983]などでは、関連の出版物がある。
(8)日本バプテスト連盟の場合、教会教育担当などのような役割をもって招聘される場合 もある。さらに、教職の立場にある<牧師夫人>の問題に関しては、例えば[依田 1989] などを参照。
(9)本稿では、日本基督教団の全国教会婦人会連合の下部組織のうち、牧師夫人研究委員 会が実施した調査を扱っている。婦人会連合には、婦人教職問題研究委員会もあり、と くに女性教職者の問題などを扱っている。また女性教職者に関しては、[岩村 1990]や  [山本 1995]なども参照。
(10)筆者は1999年10月現在、牧師夫人の口述生活史を約20名分得ている。だが、本稿では それらの知見を直接、引用してはいない。その資料を全面的に用いた論考は別に著す予 定である。
(11)[日本基督教団全国教会婦人会連合 1980]には、大正期を代表する<牧師夫人>岩村安 子のインタビューが掲載されている。そこで岩村は、実母で明治期を代表する<牧師夫 人>小崎千代と自らの生活を述べている。本稿では扱えなかったが、時代による「像」 の変遷も重要な視点であることは、指摘しておきたい。
(12)プロテスタント諸教派を区分する観点は様々である。その一例として連合組織別の分 類がある。NCCには日本基督教団、日本聖公会、日本福音ルーテル教会、日本バプテ スト連盟、日本バプテスト同盟、在日大韓基督教会総会が加盟している。NCC以外に も、JEA(日本福音同盟)、JEF(日本福音連盟)などがあり、この二者に所属する教 会を福音派と見なし、NCC系と比較することもある。
(13)『キリスト教年鑑』(1999年版、キリスト新聞社)を見ると、信徒数が1万人以上のプ ロテスタント教派は、多い順に、日本基督教団、日本聖公会、日本バプテスト連盟、日 本福音ルーテル教会、セブンスデー・アドベンチスト教団、日本キリスト教会、イムマ ヌエル綜合伝道団、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、日本イエス・キリスト 教団、日本ホーリネス教団の10教派であった。
(14)編集部矢野満氏談(1999年6月4日)。なお、この節における本文中の以下の引用は  『バプテスト』524号による。
(15)1967年5月に第一回全国教会婦人集会が開催され、そのなかである牧師夫人が自らの 生き方の問題を訴えた。同年11月、婦人伝道専門委員会が「牧師夫人生活実態調査」と いう調査を実施した。その後、教団内の組織改革により結成された全国教会婦人会連合 内の小委員会として牧師夫人委員会が1975年5月に開催された。78年には、同委員会が 先の実態調査を踏まえて「牧師夫人の意識と生活実態調査」を実施した。さらに、1981 年に牧師夫人研究委員会と改称したこの会が、95年に「牧師夫人の意識調査と生活実態」 の調査を実施した。調査実施主体の名称や参加メンバーの変動はあるが、基本的な立場 や調査の目的などは3回とも同じなので、本稿ではまとめて扱った。また、調査におい て<牧師夫人>の実数がつかめなかったので、彼女たちは全ての教会へ調査票を発送せ ざるを得ず、回答率の低さはこの点も若干影響を与えている。
 本稿中でしばしば引用した『道のり』は、以前は『全国牧師夫人だより』として発行さ れていた。だが、牧師夫人研究委員会は<牧師夫人>の問題を、信徒や女性教職者たち と共に考えていきたいとの思いが強く、会誌名を1992年34号より変更した。通算号数に 変更はないので、引用では会誌名の違いは記さず、通算号数で表記している。
(16)委員会では隠退教師の実態調査を1986年に実施して、小冊子にまとめている[日本基督 教団全国教会婦人会連合牧師夫人研究委員会 1989]。
(17)類型化の代表例を2つ挙げておこう。
 古屋安雄は、教会のサイズ(大・中・小)、夫のタイ プ(牧会・中間・説教)、夫人のタ イプ(外向・中間・内向)、役員会の力(強大・中間・弱 小)、夫婦とも牧師・夫人のみ 牧師、夫人が職業人と区分した[36/1994]。デントンは、小説のなかから、真面目な聖徒 ・牧師のアシスタント・母性型などのタイプを挙げ、彼自身は「無関与・家庭領域・副 牧師」という3タイプを掲げた[Denton 1962=1997]。
 現代日本における研究として、いずれが妥当かあるいは新しい類型を見出すべきかなど の検討は、後日を期したい。

【参照文献】
有馬式夫 1999「牧師と家庭」『アレテイア』25:10-15.
Denton,Wallace 1962 The role of Minister's Wife. Philadelphia:The Westminster Press. =1997 石井美恵子訳『牧師の妻の役割』印刷・ダイワ。
Douglas,William 1965 Ministers' Wives. New York:Harper & Row.
深田未来生 1999「神の恵みの器として・牧師の家庭とは」『アレテイア』25:4-9.
生駒孝彰 1993「女性教職をめぐるアメリカの現状況」『福音と世界』48(3):41-47.
今橋朗(司会) 1993「座談会 現代における教職理解−多様なミニストリーの現状から」
  『聖書と教会』323:2-13.
岩村信二 1990『三代目のキリスト教−伝統文化との対決から深化へ』新教出版社。
笠原義久 1999「男性牧師と聖家族」『アレテイア』25:2-3.
川上朝恵 1986「牧師夫人に関する考察」『聖書と神学』(日本聖書神学校キリスト教研究会)4:30-47.
川又俊則 1998「教会墓地にみるキリスト教受容の問題−日本基督教団信夫教会の事例を中心に」『年報社会学論集』11:191-202.
−−−− 1999「信仰の境界線−キリスト教の『信者』類型を中心に」『現代社会理論研究』9:185-195.
岸千年・高塚郁男他 1983『主よ、みこころのままに−牧師夫人の美しく強い信仰』聖文舎。
松見睦男 1986『信徒と牧師の教会づくり』いのちのことば社。
三永恭平 1998a「妻として、母として、信徒として−「牧師の夫人」について」『アレテイア』22:24-27.
−−−− 1998b「牧師の妻とカウンセリング」『アレテイア』23:24-27.
日本バプテスト連盟 1999『バプテスト』254号。
日本ホーリネス教団出版局編 1992『ここに遣わされて−女性教師の証し』日本ホーリネス教団出版局。
日本基督教団婦人伝道専門委員会 1968『牧師夫人生活実態調査報告書』(複写のみ)
日本基督教団全国教会婦人会連合編 1980『ここにつかわされて−牧師夫人の信仰と生活』燦葉出版社。
日本基督教団全国教会婦人会連合牧師夫人研究委員会編 1974〜99『道のり−全国牧師夫人だより』1〜41号。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1989『成熟への道のり−牧師夫人をめぐる考察』日本基督教団全国教会婦人会連合。
Oates,Wayne,E. 1964 The Christian Pastor. Philadelphia:The Westminster Press.
  =1968 近藤裕訳『現代牧師論−牧会心理学序説』ヨルダン社。
大谷賢二・松枝 1979『がんばれ牧師夫人』教会新報社。
大沢務 1989「牧師夫人考」『日本聖書神学校学報』80:1.
関屋綾子・斎藤文子・山室民子・佐波薫 1961『母を語る』日本基督教団出版部。
白戸羊子 1999「『夫たちよ、妻を愛し』ていますか」『アレテイア』25:16-21.
高見沢潤子 1969『二○人の婦人たち』(愛と希望の記録3)教文館。
辻宣道 1981『教会生活の処方箋』日本基督教団出版局。
内野久美子 1982「近代仏教における女性宗教者−曹洞宗における尼僧と寺族の地位向上」
 『宗教研究』253:21-41.
山本菊子編著 1995『豊かな恵みへ−女性教職の歴史』日本基督教団出版局。
依田康子 1988「教会の女性学」『聖書と教会』270:8-13.
−−−− 1989「『見える』と言い張る罪−『無任所教師』の議員資格をめぐって」『聖書と教会』277:2-7.


《 英文要旨 》
Abstruct
This paper is to propose adding research targeting “minister's wives” to
the empirical Christian studies. This study will clarify some problems of the
acceptance of the Christianity in present-day Japan. First of all, a problem of
the term of “minister's wives” itself is examined.
Then, from the result of the survey conducted by minister's wives themselves
to see what kind of problems they had, following four points are acquired:
occupation, privacy, old age, and role conflict. Among them, role conflict was
the most severe problem for minister's wives.
I want to examine these problems in detail through life history of each
minister's wives in the future study.

《 Key Words 》Minister's wives ,Role conflict ,Old age, Acceptance of christianity


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