宗教調査論・展開編
−ライフヒストリーの導入に関する試論−
1.はじめに
「宗教集団」に関する調査法の議論が本報告書の課題だが、本稿で筆者はこの課題に、視点を変えて応えようと思う。それは、従来の「宗教集団」調査でとらえ切れない対象へのアプローチの提案という形でなされる。
宗教現象をとらえるためには、もちろん研究者がその対象を「理解」しようとするわけだが、宗教現象の独自な部分をどのように考えていけばいいのだろうか。これに対して筆者は、以前、宗教調査を広義の社会調査として考える立場で議論し、ライフヒストリー法の導入を提案したことがある[川又
1997]。本稿はその議論をより具体的に展開させる形で構成される。すなわち、自らのライフヒストリーを用いた研究を、一部ではあるが提示して、宗教研究にいかに効果的に導入できるのかを検討していこうというのである。その前提として、ライフヒストリーのさまざまな議論を整理し、さらに関連する先行研究を概観しておきたい。
一人あるいは少数の個人史を、長時間の濃密な面接によって聞き取った研究者が記述し、考察していく。この口述生活史がライフヒストリーとして、対象者の主観的意味把握の追究を重視する近年の人文・社会科学において、広く用いられるようになっている。特に1970年代以降、口述生活史を用いた論文や作品が刊行されつつ、方法論的議論もなされて20年を経過した。そして、現代日本の人文・社会科学において、一定の位置を占めるようになったと言ってもよいだろう。
本稿ではこのライフヒストリーのなかで、口述生活史と自分史に関して事例を挙げて議論していく。両者とも、本格的なライフヒストリーとして提示するには、ある程度の分量が必要だと思われる。したがって本稿の議論は、あくまで試論の域を脱し得ないことは予め述べておきたい。それぞれの、より深化した研究は、筆者の別稿で行われる予定である。ただし、筆者はこのような研究の見取り図を提示しておくこともまた、重要な作業だと思うのである。
2.ライフヒストリーの整理
ライフヒストリーとは、一人または複数の個人が、自らの経験や社会的世界に関して解釈した記録を、その時間的経過を踏まえてまとめたものである。具体的には口述生活史・自分史・日記・手紙などのいわゆる自伝的資料を指すことが多い。
この資料を用いる目的として「調査者の枠組ではなく語り手の個人の主観的現実の構成のあり方を探る」ことだとの主張がある[桜井
1992:47]。筆者はまさにその点を重視している。つまり、さまざまな宗教的意味世界を対象とした研究には、かなり有効な方法だと思うのである。
さて、歴史学や民俗学では、支配階層と対比した民衆・庶民などの階層の歴史、集団や地域社会の歴史に「生活史」という語をあてて用いてきた。1970年代以降の社会学・人類学などで、集団ではなく個々人の生活に注目した研究を意味するライフヒストリーは、「生活史」と表記されることもあるが、前者との差異を強調する意味で、近年では、ライフヒストリーとそのまま表記して用いる場合も多い。英語ライフの意味のうち生活だけではなく、生命・人生も重視し、「個人の生活史」の意味で用いられているのである。
筆者は、すでに、口述生活史および自分史に関する方法論的課題を検討しているので、本節ではそれを要約しながら問題点などを整理しておこう[川又
1996;1999a]。
日本の社会学では中野卓による作品が、後に続く研究者たちに大きな影響を与えたことに異論あるまい[中野
1977他]。研究者が対象者である口述者の個人史を聞き取り、それを注釈などを加え「編著」として文章にまとめたものである。研究者と対象者の対面的相互作用によって得られた口述資料を原資料として、時系列配列やその他の情報を加えて編集したものを「作品」として公表したり、それを「資料」と見なし、何らかの論考を加えて論文として提示する場合などがある。
第二次大戦後の社会学では、質問紙による大量調査が多く用いられ、統計的な手法に基づいて得られた数値をもとに議論する傾向も強かった。だが、近年の人文・社会科学では、全体社会における行為者としての個人に視点があてられる傾向が見られるようになった。本稿ではライフヒストリーに議論を集中させるが、この分野は、他のミクロアプローチである現象学的社会学や象徴的相互作用論、エスノメソドロジーなど、解釈学的・主観的パラダイムと重ねられて議論が展開されている。その関心は周知の通り、従来の社会科学がもっていた還元主義・客観主義・静態的把握といった傾向への反動とも言えよう。
このような自伝的資料を用いた研究自体は、それ以前になかったわけではない。だが、それまでは、自伝・日記・手紙などを資料とすることが多かった。1970年代以降は、テープレコーダーの普及により、調査の現場が音声によって再現可能になったことから、個人の語りを重視し、同時に、聞き手である研究者の立場など、調査方法論の議論とともに多く用いられるようになったという点がそれまでとは大きく異なる。その結果、口述生活史が、語り手の素朴な主観的現実をあらわしたものではなく、聞き手との関係や語りの場などのコンテクストにもとづき構成されていることが広く理解されるようになってきた。当然、同じ出来事についても、語られた時と場所との関わりのなかで語られるのだから、内容も異なる可能性がある。だからといって、語りの内容が虚構だと批判されるものではない(1)。ある個人が過去をとらえ直しながら生きていることは、日常経験から理解されるだろう。
調査対象者は無作為抽出されるわけではない。口述や自記資料の真偽などの部分で、この資料を価値のないものとみる者もいる。だがこの研究は、そもそも質問紙調査のような仮説検証型の研究とは異なる。個人の歴史を見ていくなかで、社会とのかかわりをつかんでいこうとする研究であり、問題発見や仮説索出を目指す研究と言ってもいいだろう。たった一人であってもその個人史を詳細に聞き取り、それを分析していくことで、より効果的な研究はできるという前提のもとでこの研究は進められている。研究者ごとに複数の資料を比較検討したり、長期にわたるインタビューの実施を何度も試みたりするなどの方法で、資料批判の部分に留意しつつ研究を進める者は多い。
またこの方法は、いわゆる「境界人」とされてきた人々を対象とした研究で多く用いられていた。ランダム・サンプリングによって行われる質問紙調査が有効と言えないような対象を扱うのに適しているとも言えるだろう。
近年では、口述生活史だけではなく、対象者自らが刊行した「自分史」を資料として扱う者もいる。1980年代後半以降、自伝ではなく自分史という語彙が広く用いられるようになってきた。自伝・自叙伝と呼ばれる、いわゆる著名な人々の個人史ではなく、無名の一般の人々の個人史として存在する「自分史」、これが近年多く自費出版されているのである。従来の伝記や自伝研究の対象が、いわゆる著名人たちのものだったことに対し、広く一般的に書かれたものが「自分史」という点では口述生活史と同じ層を対象にしていると言えよう。ただし、口述生活史の場合、研究者が媒介して資料が作成されるのに対し、自分史はあくまでも、対象者自身が語る内容を限定している点などで、研究者はその取り扱いに、より注意が必要とされる。
これまでの自分史研究には、収集した自分史を一定の基準に沿って操作的に扱う方法と、自分史と口述生活史を併用する方法が見られた。
前者は、理論的背景をもとに、自分史から個人の生活歴を抜き出して量的に扱う方法である。とくにライフコース論の応用として、対象群の傾向を見出す研究などで用いられた。さらに、生活過程の考察するために、語り手の文章を引用しながら、彼らの思考を追っていく形で分析を試みる方法も導入された。後者は、自分史執筆者との面接を行うことで、自分史と口述生活史という二つの資料を軸に何らかの考察が加えようとするものである。書き言葉と話し言葉との差異に注目して対象により深く接近しようとして試みられた。
以上、口述生活史と自分史を用いた研究をまとめた。これらを宗教研究に導入していこうというのが筆者の主張だが、もちろん先行研究がないわけではない。次節でこれらの検討をしておきたい。
3.先行研究の検討
(1)教祖研究における自伝・伝記の利用
宗教研究においてとくに個人に注目する場合、当然ながら主に教祖や著名人が取り上げれてきた。彼らに関する文献資料は一般信者よりも多い。そこで、教団出版物などさまざまな文献収集し、さまざまな角度からの検討を加えたり、生存する関係者にインタビューするという手法がとられた。以下で、自伝的資料を用いた研究を幾つか検討しておこう(2)。
新宗教研究の代表的なものとして、金光教教祖の赤沢文治における回心体験の背景に、精霊などの宗教的恐れを見出し、赤沢の宗教的孤独の形成を自伝的資料から例証したものがある[島薗
1980]。
新潟の修験寺院のリーダーとして活躍していた田村空観の15歳から31歳までの日記と74歳の自伝をもとに、深層把握を試みたものもある[白川
1986]。その結果、巨視的レベルでは、信仰の基調に母というテーマがある点と死と再生の体験に特徴があり、微視的レベル(四国遍路)では俗から聖への転換などの指摘がなされた。
新宗教教団には女性教祖も少なくない。これに注目したものとして、円応教教祖の深田千代子の自伝研究が挙げられるだろう[中村
1992]。この深田とキリスト教文化圏の女性宗教者が比較され、自己体験の真正性への疑念や自己主張が控えめな点が共通する一方、深田においては伝統的宗教的語彙の欠如が指摘された。また、深田が「書くこと」で自己実現の過程を確認し、言語表現のもどかしさを補うように行う修行の意味も見い出された。
以上、3つの研究を見ると、その全てが一般信者ではなく教団指導者などが注目される。さらに、一種類の日記や自伝ではなくて複数の資料を用いて対象に接近していることも判明した。研究者の態度としては当然とも言えるが、著名で資料が豊富な対象の場合であることも確認しておきたい。
(2)シャーマンや布教者における口述生活史の利用
続いて、口述生活史を用いた研究を検討しておこう(3)。面接調査で個人史を聞くことは少なくないが、ライフヒストリーを研究の中心にすえているものは多いとは言えない。本稿ではそのなかで3つの研究を検討しておきたい。
それまでの成巫過程に関する研究が要約・断片の叙述であることに対して、渡辺雅子は、ある女性祈祷師について、その人生全体を理解する試みとして、時系列配列を施した詳細な語りをまとめた[渡辺
1985]。対象者が、成巫以前から巫者として自立化していくまでの中で大きな転機となった、夫が出征中の叔母たちとの葛藤と神憑りの場面が、ライフヒストリーを通じて、とくに生き生きと描かれていた。
磯岡哲也はある布教師を対象に、信念体系受容過程に関する「本人の理解」の問題の考察のため、時系列の配列もせずに、本人の回想を叙述した[磯岡
1986]。この結果、彼女が自身の意味世界を形成するにおいて、円応教の信念体系と「親」である人物が、意味づけや適応に影響を与えていることが明らかになり、自身の病弱と夫の放蕩、信仰上の「親」の継続的な援助関係が、本人にとって新しい信仰体系受容の理由として理解されていることが分かった。そして、修法や行を通じて信念体系を受容するに至り、現在の状況に関しては、肯定的にとらえていることが見て取れた。
作道信介は、『青年ルター』などでも知られているエリクソンのアイデンティテイ論を手がかりとしながら、あるキリスト教会の創設者である牧師について、牧師自身への生活史に関するインタビュー・教会史・著書・関係者へのインタビューなどの資料をもとに、多く信者を獲得し、伝道所を次々に開いていった理由などを考察した[作道
1992]。
これらの対象は、祈祷師や牧師など「語ること」を職業とする人々が多かった。記述形式は、語り全体・語りの要約・語りの断片などの違いが見られた。語り全体を記述する場合に時系列配列の有無での区分もあった。またいずれも、語りの記述の後に、研究者たちの分析が記されていた。つまり、得たライフヒストリーを「作品」として提示するのではなく、自らの考察のための「資料」として扱っていたと言えよう。
4.事例へのアプローチ
(1)口述生活史研究の応用−<牧師夫人>
口述生活史が問題発見型の研究で有効であるならば、キリスト教会における<牧師夫人>を対象とした研究では、まさに適切だと言えよう。
実証的なキリスト教研究ではあまり注目されなかった<牧師夫人>だが、日本社会における女性と教団、宗教におけるジェンダーなどの問題は、近年大きく扱われるようになってきた(4)。これらの研究とも接合し得るのが、<牧師夫人>に関するさまざまな問題の分析なのである。すでに拙稿で指摘したように、<牧師夫人>たちには、役割葛藤や老後、プライバシーなど簡単に解決されない問題を抱えている[川又
2000]。
本稿では、筆者がこれまで20数名と面接してきたなかで、ある一人の語りを、現役<牧師夫人>の例として、要約・断片を記述する。とくに「学び」と「役割」の二点に注目したい。扱うケースは、東京のあるホーリネス系教会の40歳代の<牧師夫人>である(5)。
彼女は静岡の小さな町で、5人兄弟の2番目として生まれた。生後9ヶ月のときに母が受洗したことが契機となって、公的立場にあった父以外、5人兄弟全員が最終的には受洗した。彼女は短大進学の際に上京し、短大2年生のときに現在の教会に下宿することになった。そして、その教会の牧師の息子とは、年齢が近かったこともあり、自然と結婚することになっていったという。
この教会の初代牧師は教派を代表する人物であった。性格は非常に厳格で、礼拝のとき初めてきた子供などが騒ぐと「うるさい」と怒る人物だった。一方で、義母は<牧師夫人>としてそんな牧師の代わりに、教会の渉外担当をしていた。現在でも、息子の牧師が教派代表の職務にあるため、教会代表として集会に出たり、年一度程度、説教を行ったりするなど現役として活動している。
さて、彼女は<牧師夫人>の準備として、同じ教派の牧師たちから、聖書・神学・音楽などの教育を受けた。義父母も先生だった。義母の講義は一日だけで、後は全部実践、つまり、教会の仕事を身をもって教えてくれたという。義母は教えるのが大変好きな人だった。その後結婚して、朝から夜まで休むまもなく一緒に生活するなかで、さまざまなことを学んだという。料理・炊事は言うに及ばず、それらを一緒にするときに日常の会話のなかでも、いろいろと教えてもらった。とくに、「人によく思われるように努力してはいけない」「(下手に)いい人だと思われないようにしなさい」などの言葉は今も忘れないという。
さて、短大卒業後、21歳のときに婚約し、夫の留学からの帰国を待って、22歳のときに結婚した。24歳のときに長女が誕生し、結局、3人の娘をもうけた。みな洗礼を受けた。とくに長女は、神戸の聖書学院で1年間寄宿舎生活をしながら学び、その後、民間企業に勤めるが、献身を宣言し、教会に来ていた神学生と出会い、23歳で結婚した。
現在の日課は次の通りである。まず、日曜は礼拝があり、婦人会の相談役として企画などの相談も受けている。月曜は神学生と礼拝の反省会をし、礼拝欠席者へ週報などを送付する。水曜は祈祷会とその準備。木曜夜はブラスバンドの練習。この教会では多くの音楽行事があり、牧師をはじめ多くの教会員が参加している。土曜は会堂の清掃を教会員と行う。火曜と金曜は、何もなければ自由だが、実際は入院している会員のお見舞いやその他の教会の事務作業などをこなすことが多い。その他、共稼ぎの家の小学生を放課後預かったり、教会員個別の相談のため、訪問を受けたり、逆に教会員宅へ訪問することもある。
自らの役割として彼女は、牧師のできない部分の準備を心がけている。
例えば、集会・礼拝の時は、教会堂の後ろにいるようにしている。牧師が説教をしやすいように、席を詰めて座ってもらうなどの配慮をする一方で、教会員の後ろ姿を観察し、具合の悪そうな人などに積極的に声をかけたり、その場で声をかけられなかったときは、電子メールやFAX、手紙などを送っているという。また、礼拝の前後などでは、できるだけ教会員全員と会話するようにしているという。
この教派では、<牧師夫人>という呼び方はなく、みな牧師の妻は伝道師の資格を得ているため、婦人伝道師と呼ばれる。牧師の妻ではない女性教師も、同じく婦人伝道師と呼ばれている。教会内では、義母が「奥さん」と呼ばれ、彼女は「先生」と呼ばれることが多い。だが、彼女自身は「先生」よりも牧師の「奥さん」という意識が強いという。
彼女の語りで度々出てくるのは、義母への感謝の言葉であった。神学校で牧師になるためのカリキュラムはあっても、<牧師夫人>のマニュアルはない(6)。筆者のこれまでの調査でも<牧師夫人>たちは、それぞれ現場で一つ一つ学んだというのが多く聞かれた。その際、先輩の<牧師夫人>との交流や、親の姿を見て学ぶことは多くあるという。彼女の場合は、現在に至るまでずっと義母に「しつけられた」という。
また、彼女は<牧師夫人>という今の立場を積極的に受け入れているという。「自分は捧げている」という意識があるとも述べていた。小さい頃から教会に親しみ、教会学校の先生などを経験し、短大では保育科へ進学した彼女は、「誰と結婚しても教会にいたと思う」と言う。その意味で、<牧師夫人>という現在の立場は自らにとって自然に受け止められるという。そして、夫である牧師と一緒になって牧会しているという強い自覚が見られた。
彼女に悩みや問題が全くないわけではない。二代目の牧師とともに、教会の運営に積極的に取り組んでいる姿勢がとくに強く見られたケースであるが、筆者の調査した<牧師夫人>のなかで典型的なケースと言えるので、取り上げたのである。
(2)自分史研究の応用−<信者周辺>
筆者は「信者」の概念を再検討するなかで、自分史を用いて考察したことがある[川又
1998;1999b]。本稿では異なる観点から事例を取り上げよう。
<信者周辺>という聞き慣れない語彙については、すでに他で詳しく述べているので、本稿では簡単に、筆者なりの定義を示すだけに止める。本稿で「信者」とは、入信と入会を兼ね備えた者を指す。そして<信者周辺>は入信・入会のいずれか一方を欠いている者、もしくはどちらも途中の段階にある者を指す。さらにそれ以外の状態の者を「非信者」とする。例えば、キリスト教ではよく「求道者」と呼ばれる者がいる。まだ教会で洗礼を受けてはいないものの、日曜礼拝などには継続的に出席し、聖書研究会などで学んでいる者を指している。上記の定義ではこれは<信者周辺>に該当する。
日本のキリスト教の場合、教育や文学その他の美術などの「文化的」受容は、かなりなされたと言えるのにかかわらず、教勢面の「宗教的」受容は全くなされていない。このアンバランスをより深く考察するためには、教会調査以外の研究を進める必要性があり、その意味で<信者周辺>へ目を向けることが必要となると思われるのである。
受洗者数は毎年一定程度いるにもかかわらず、全人口比の信者数は諸教派を合算しても1%程度というのが、近年の日本のキリスト教の現状である。ということは、洗礼を受けた信者の一部は、信仰生活を全うしないことを意味する。にもかかわらず、従来行われてきた教団や教会での調査は、教会に通っている信者たちを主な対象として議論していたのである。参与観察・質問紙による面接調査などの方法がよく用いられてきたが、いずれにしても、主に教団・教会で調査を行うのだから、元信者や教会へ通わなくなった者たちへアプローチすることは、容易ではない(7)。
教会生活を続けていない<信者周辺>を、町に出て探したり、人づてにたどったりするなどの方法もあるだろうし、印象論的な議論も可能かもしれない。だが、筆者は、彼/彼女たちが著し刊行した自分史に着目し、これを用いた実証的な議論を展開しようとしている。この資料の問題点は先述した。筆者は、執筆者の意志が内容に強く反映されているという特徴を重視したい。つまり、キリスト教信仰が自らの人生において何らかの意味があると思って初めてその自分史にキリスト教の記述がなされる点に注目したいのである。
本稿で対象となる自分史は、基本的に、二つの自費出版閲覧施設およびキリスト新聞社内にある書棚に収集されている2600冊弱の内容を調べて、キリスト教信仰について書かれてあるものを探し出すという方法をとった。そして記述が一定の要件を整えているものを分析対象に選択し、32ケースを収集した(8)。
筆者が収集している自分史の執筆者たちは、1900年生まれから1950年生まれまでの人々だった。受洗時期は1910年代から90年まで分散しているが、最も多いのが40年代の6人、次が30年代と50年代の5人であった。
第二次大戦後、いわゆるキリスト教ブームがおき、多数の信者を生み出した。この戦後のブーム期(以下ブーム期と表記)の範囲は、研究者たちの間でも諸説あるが、本節ではブーム期の範囲を中間的に「戦後5、6年の時期」としておこう(9)。
このブーム期に受洗したクリスチャンたちの一方は、その後、各々の教会を支え、重要な役割を果たしてきた。彼らが受洗してすでに約50年を経過した。現在では彼らの子や孫たちが教会の要職につき、代表役員などをつとめる者もいる。だが他方、他の時期に比べると容易に教会に通うようになった人々の中には、ブーム期の後、教会を去っていった人も多かった[岩村/森岡
1995]。
ブーム期に受洗した自分史執筆者は6名である。この数の少なさに留意しつつ、今後の研究の方向性を示す上でも、これらの事例を検討したいと思う。
6名の内訳は、信者が4名、<信者周辺>が2名だった。信者のうち1名は教会を一度離れた経験がある。全体の32名と比較すると、信者の割合が低かった(10)。しかも、3名の「継続」信者の職業は、キリスト教主義大学の教員、<牧師夫人>としてずっと務めてきた主婦、そして牧師であり、3名とも受洗後の生活は大きくキリスト教と関わりを持ってきた者だったことが分かった。
一方、継続しなかった者たち3名の主たる職業は、主婦2名、会社員1名だった。そこで、それぞれ離れた理由や戻った理由を、自分史を引用しながら簡潔にまとめておきたい。
そこで、<信者周辺>の2例を見ておこう。
一人目は結婚前に受洗し、結婚相手も信者となり、順調な生活を送っていたが、カトリック教会の神父の態度に反発して教会を離れていた主婦である。彼女は、その後、セブンスデー・アドベンチストの教会に通うようになった。二人目は、中学のときに受洗したが、大学へ進学してからは教会から遠のき、新聞記者となってからはすっかり教会から離れてしまった会社員がいる。結婚のときは非信者の妻と、母教会で式を挙げるが、結局、自ら信仰を棄てたと表明するに至っている。
最後に戻ってきた信者の例である。
1946年の高等女学校3年のときに「アメリカ人は日曜日に家族そろって教会に行く習慣がある」と英語の先生に聞いて、疎開などで家族揃う機会がなかなかなかったことから関心を持った女性である。彼女はやがて、教会へ家族一緒に通うようになり、洗礼をみんなで受けた。
だが、保育園の保母として勤務しているときにある新宗教に熱心なある母親により、「聖書と讃美歌を近くに荒川に流してしまう」ようになり、教会から遠のくようになった。さらに、婚家の義父母が熱心な仏教徒だったため、教会へは通わず、義父母と一緒に仏壇前でお経をあげるような生活が続いた。だが、自らの火傷を通じて家族の大切さを改めて知り、「イエス様から離れて、仏教徒になりかけていたための試練だ」と気付いた彼女は、「罪深さを反省しつつ、主人が神様の前に導かれることを願って、心の中では主の祈りをし」ていた。
彼女が讃美歌を口ずさんでいると、夫の知っている曲だったことから、夫はその後キリスト教へ関心を示し出した。その後、夫は「本当の神様はイエス・キリスト」と語り、二人で教会へ通うようになり、さらにはキリスト教系の幼稚園に通わせた娘も受洗するようになったのである。
彼女のように教会へ復帰例は、筆者の手許の自分史のなかでは必ずしも多いとは言えない。ただ、彼女のように教会を離れた例は多くみられたので今回取り上げたのである。
5.おわりに
本稿で筆者は、自らのライフヒストリー研究の一部を示すことにより、その有効性を示そうとした。議論し尽くしていないかもしれないが、今後、それぞれの事例研究をより深化させたものを著すことで、足りない部分は補充したい。
しかし、先述したように、これまであまり取り上げられなかった対象へ接近する二つの試みが、それぞれ意味あることは示せ得たのではないか。口述生活史の記述により、教会は牧師だけではなく、<牧師夫人>が重要な役割を果たしていることが改めて理解されたろう。自分史の記述により、受洗した後に教会から離れていた人々の信仰生活の一端も知ることができ、自分史から信仰生活を考察しようとするこの研究の可能性の一つを示せたろう。
とくに自分史の考察は、事例自体が少ないため、不十分な点は多々あっただろうが、今後、より多くの事例を積み重ね、研究を進めていこうと思う。
【註】
(1)個人が自らの過去の経験を語る際、出来事に対する記憶が徐々に薄れていくことや、他者への羞恥心や遠慮、第三者への配慮などによって語ることが限定され、自らの選択によって忘却してしまうことも十分あり得る。だがこれはライフヒストリー研究だけの問題ではないだろう。本稿ではそのような問題があることを踏まえた上で、なおかつ個人的経験に注目した研究としてライフヒストリーを取り上げていきたい。
(2)本文の研究以外にも、綱島梁川・高山樗牛・清沢満之の比較検討[松本
1965]、聖テレジアの研究[鶴岡 1988;1989]など、著名な宗教者に関する研究はあまたある。
(3)本文の研究以外にも、ある個人の新宗教受容過程を聞き取り、一人語りの形式でまとめた研究や[エアハート
1994]。改宗による態度変容過程を描くために、そのライフヒストリーを対話形式で叙述したもの[大久保
1986]、オガミサマの成巫過程を中心にして巫者の軌跡の一端を、巫者の語り口を生かして記述したもの[川村
1991]、などが挙げられる。
(4)例えば、既成宗教の女性抑圧などを議論した[奥田/岡野
1993]、まさに女性と教団というシンポジウムを中心にまとめた[国際宗教研究所
1996]、仏教における女性の問題を議論した[女性と仏教東海・関東ネットワーク
1999]などがすぐに挙げられる。なお、<牧師夫人>と括弧書きで表記しているのは、この用語自身がさまざまな問題があることを自覚しているという意味を込めている。詳しくは拙稿を参照のこと[川又
2000:58-59]。
(5)筆者は1995年からこの教会の歴史や現況などについて調査を進めていた。<牧師夫人>に関心を絞ったインタビューは、1999年6月に3時間ずつ2度実施した。今回の資料はそれが中心である。
(6)日本バプテスト連盟が調査した結果、「<牧師夫人>としての学びを受けたことはありますか?」という問いに対して「ある」と答えたのは20%に過ぎなかった[日本バプテスト連盟
1999]。
(7)ある教団の反対派グループや、脱会者などへ接触するという方法もある。[櫻井
1998]、[黒田・竹ノ山 1998]などがその例と言えよう。また、「脱会」に焦点をあてた研究も近年幾つも見られるようになった[Wright
1984、他]。
(8)筆者は自分史選択の条件に、キリスト教に言及・基本属性などの必要事項を記載・人生を回顧した、という三つ掲げ、14ケースを分析したことがある[川又
1998]。その後、さらに調査を進めた結果が32ケースである。
(9)「敗戦後5、6年」は、[土肥 1994:434]を参照した。
(10)対象者32名のうち、信者は26名、<信者周辺>は5名、非信者は1名だった。
【参照文献】
バイロン・エアハート
1994『日本宗教の世界』(岡田・新田訳)朱鷺書房。
土肥昭夫
1994『日本プロテスタントキリスト教史(第3版)』新教出版社。
磯岡哲也
1986「ある新宗教女性布教師の生活史−信念体系受容過程を中心に」
『常民文化』9:89-117.
岩村信二/森岡清美
1995『教会教育による教会形成−大森めぐみ教会の場合』新教出版社。
女性と仏教東海関東ネットワーク編
1999『仏教とジェンダー−女たちの如是我聞』朱鷺書房。
川又俊則
1996「ライフヒストリー研究の断層−特に方法論に関して」『常民文化』19:33-56.
1997「宗教調査論・序説−調査者とインフォーマントの関係を中心に」
『宗教と社会』3:63-86.
1998「<信徒周辺>の信仰生活−キリスト教信徒の自分史を資料として」
『ソシオロジ』43(1):129-145.
1999a「ライフヒストリーの資料論−口述生活史と自分史の比較検討を中心に」
『上智大学社会学論集』22/23:103-119.
1999b「信仰の境界線−キリスト教の「信者」類型を中心に」
『現代社会理論研究』9:185-195.
2000「<牧師夫人>が抱える諸問題に関する一考察−当事者たちの実態調査を中心に」
『立教女学院短期大学紀要』31:57-74.
川村邦光
1991『巫女の民俗学−女の力の近代』青弓社。
国際宗教研究所編
1996『女性と教団−日本宗教のオモテとウラ』ハーベスト社。
黒田宣代・竹ノ山圭二郎
1998「Y会をめぐる人々のマインド」『現代の社会病理』13:115-128.
松本晧一
1965「宗教的人間の比較的考察−梁川・樗牛・満之」『宗教研究』38(1):45-65.
中村恭子
1992「宗教的自伝の語りと読み」
脇本・柳川編『宗教思想と言葉』(現代宗教学2)東京大学出版会:31-58.
中野卓編著
1977『口述の生活史−或る女の愛と呪いの日本近代』御茶の水書房。
日本バプテスト連盟
1999『バプテスト』254号。
大久保雅行
1986「メキシコ日蓮正宗における改宗過程の社会心理学的分析」
『東洋学術研究所紀要』2:184-207.
奥田暁子/岡野治子編著
1993『宗教のなかの女性史』青弓社。
桜井厚
1992「社会学におけるライフヒストリー研究−その手法における特質と問題点」
『ソーシャルワーク研究』18(3):144-149.
櫻井義秀
1998「新宗教教団の形成と地域社会との葛藤−天地正教を事例に」
『宗教研究』72(2):289-313.
作道信介
1992「羊飼いの肖像−ある日本的キリスト教の成立」
『文経論叢』(弘前大学人文学部)27(3):53-101.
島薗進
1980「金神・厄年・精霊−赤沢文治の宗教的孤独の生成」
『哲学・思想学系論集』(筑波大学)5:167-194.
白川琢磨
1986「『主観的世界』における聖−生活史からのアプローチ」
萩原龍夫/真野俊和編『聖と民衆』(仏教民俗学大系2)名著出版:383-408.
鶴岡賀雄
1988「『神学』としての『自伝』-アラビラの聖テレジアの『自叙伝』について」
『工学院大学研究論叢』26:71-89.
1989「『神学』としての『自伝』-アラビラの聖テレジアの『自叙伝』について(続)」
『工学院大学研究論叢』27:1-17.
渡辺雅子
1985「ある女性祈祷師の生活史−巫者としての自立と人生の構成」
『明治学院論叢』382:125-226.
Wright,Stuart A.
1984 “Post-Involvement Attitudes of Voluntary
Defectors from Controversial
New Religious Movements,” Journal
for the Scientific Study of Religion. 23(2):172-182.