ライフヒストリー研究の断層
−学際的研究への眼差しを持ちつつ−
The Dislocation in the Life History Studies
:To the Discusssion of the Interdisciplinary
Approrach
1.問題の所在
現地調査をしていると、様々な人々に出会う。我々調査者/研究者はそこで、何人もの調査対象者(以下、対象者と記述)とのインタビューを通して、色々な経験に出会い、それを記録にとって自らの経験を積み重ねていく。
それらの経験は、民族誌(民俗誌)や何らかの調査報告書、論文等を書く作業によって文章化されていく。しかし、それら中では個々人の経験が「まるごと」記述されることは少ない。多くはインタビューの一部が、編集や記号化などの変形を施されて記述されていく。もちろん、その行間には色々な意味が込められるという言い方もできるかもしれないが、とにかく、現場で得た資料がそのまま記述されることは多くないだろう。
その解決策の一つとして、「生活史」あるいは「ライフヒストリー」を用いた研究が挙げられる。これは、ある個人に焦点を定め、彼/彼女の生涯を通じて取り巻く社会をみる方法である。そのため、その個々人が属する全体社会へ直ちに還元されるのではなく、
個々人そのものへ直接迫っていく可能性のある研究となる(1)
。
まず、この研究の出発点を確認しておこう(2)
。日本の社会学でライフヒストリー研究が盛んになっていく一つの契機として中野卓の『口述の生活史』を挙げることには異論ないだろう。中野は従来の社会調査に対し、「ありきたりの類型で割り切ってしまったような人間類型に人びとをあてはめて、数量的に測る、というふうに表面的な、機械的な操作
の対象にしてみたとしても、それでは本当に人間が人間として研究できない」と批判して、
個人を積極的につかまえる方法としてこの研究を導入したのであった〔中野、1981a:
85〕。それ以降、幾人もの社会学者たちは、それまでの社会調査が量的把握を目指していたのに対して、質的把握を目指す方向を持つ一つの方法としてこの研究をとらえ、その方法の問題点の解決などに議論を費やしてきた。一方、民俗学者の宮本常一も、『忘れられた日本人』でライフヒストリーの手法による「生き生きとした個人」を表現した(3)
。民
俗学の側ではさらに、1960年代後半から市町村史の編纂が進む中で「民俗編」が設定され、
その中で、従来の文献資料でとらえられなかった地域住民の生活を聞き取り、それを「○○の生活史」と記述する形式が幾つも見られるようになった(4)
。
現在、社会学や民俗学のみならず、人類学、歴史学、心理学などさまざまな分野で「生活史」「ライフヒストリー」と称した研究が提出されている。入手しやすいテキストとして、人類学ではラングネス・フランク〔1993〕、社会学ではプラマー〔1991〕と中野・桜井編〔1995〕、生活学としては松平・中嶌編〔1993〕らが挙げられる。特に、中野・桜井編〔1995〕の諸論文により、日本の社会学におけるライフヒストリー研究の現在の到達点及び問題関心が理解できると思う。この本の巻末には桜井厚の作成による文献目録が掲載され、多数の文献が紹介されてある。
しかし、それでもなお、筆者は問題点を指摘したい。それは、それぞれの学問分野の中では各々議論を展開し、研究成果も多く蓄積されたが、他の学問分野での議論を吸収して広く論じてこなかったように思われる点である。先に挙げたテキスト群も、松平・中嶌編〔1993〕でわずかに生活に関連する諸分野に目配せしている程度であった。そこで、筆者は本稿で、それらの架橋をなす議論を展開させる前段階として、まず、各々の議論を参考にしつつ、ライフヒストリー研究の到達点を素描し、今後の筆者の研究課題と関連付けて
いこうと思う(5) 。筆者の関心に従い、社会学における諸論を主にみていくことになるが、
人類学・民俗学・歴史学における議論にも言及する。
以下、次章で用語の基本的な整理を行い、次々章で四つの局面での問題を議論していく。
2.ライフヒストリーとは何か?
まず、用語の整理を行う。というのは、等しく「生活史」や「ライフヒストリー」と題した論文・研究報告書・単行本を見ていても、その内容は「生活」に焦点を当てたものと「個人」に焦点を当てたものとが分かれ、さらに、「個人」の歴史に関するものでも、ライフヒストリーの一部を扱うものと全体を扱うものなど、調査者/研究者によってかなり異なって使用されているからである。そこで、先行研究の整理を参照しつつ、この用語の本稿における使用法に言及したい。
ライフヒストリー研究を概観すると、中野以降の社会学者たちは、概ね「個人」の歴史を「生活史」=「ライフヒストリー」と呼んでいるようである。しかし、この二つにも違いはある。中野自身は次のように述べている。「ライフヒストリーを生活史と訳してしまうと、いまの日本語の慣用では、ある社会の主として消費生活面の一般的な生活のありかたの歴史と思われてしまいがちである。それゆえ使いたくもないカタカナ=横文字の言葉で「ライフヒストリー」などと書き、漢字では個人生活史といったり、ときおり「パーソナル・ヒストリー」と言いかえたり、「パーソナル・ライフヒストリー」と合成語で表現したりする」〔中野、1981a:50〕。また、有末賢は、生活史とライフヒストリーとを「政治史・経済史・法制史などと比較した生活の歴史」と「個人の生活歴(=ミクロの生活歴)」と区別している〔有末、1984:49〕。一方で、有末は「生活史」概念がさまざま
な概念の重層的な視角の上に成り立つとし、「生活史という概念は、ライフ・ヒストリー、個人史・事例史、個人的ドキュメント、ライフ・ストーリーなどの関連概念や派生概念を含む包括的な概念である」とも述べている〔有末、1993:62〕。
「生活史」の語を用いる中嶌邦は、これを二分する。一つは「歴史的展望の中での生活変遷史」であり、「同じ時代を生きる人々のマクロ的な生活状況をとらえ、その歴史的変化を追究する」ものである。もう一つは「個人の生活を追」い、「ミクロ的な、固有名詞による」研究である〔中嶌、1993:9〕。また、大久保孝治は「生活史」を本人自身が記述した自伝と、口述された内容を聞き手が編集し記述する口述生活史に区分しつつ、広義にとらえている。以上のように、ライフヒストリーの邦訳が生活史であるのは確かなのだが、「生活史」自体は多義的な意味を持っていることと、各人の区分にレベルの差異があることが確認できたと思う。
本稿では、これ見解を受け、以下のような区分を提出したい。
まず、調査者の関心によって「生活史」を大きく二つに分ける。対象者本人に重心を置いた「個人生活史」と対象者の含まれる社会の生活に重心を置いた「社会生活史」である(6)
。前者の場合は(パーソナル)ライフヒストリーと称される。本稿で照準となるのはこの「個人生活史=(パーソナル)ライフヒストリー」である(以下、ライフヒストリーと称す)。それでは、個人の歴史に照準を置くライフヒストリー研究では、いったい何が追求されようとしているのだろうか。
桜井厚によると、ライフヒストリー研究には「ライフヒストリーを手法として考えるもの」と「ライフヒストリーそのものをテーマとするもの」という二つの方向性があるという〔桜井、1992:144〕。前者は、ある個人のライフヒストリーによって、その個人の属する社会・時代などをとらえようとする志向を指す。言い換えれば「資料としてのライフヒストリー」となるだろう。後者は、個人を対象とした研究の中でライフヒストリー法の問題点や質的調査としての方法論と関連する。言わば「方法としてのライフヒストリー」ということになるだろう。そして、その議論の末に一つの提案として「作品としてのライフヒストリー」が掲げられる。
次章では、ライフヒストリー研究の各局面の問題点を論じていくが、特にこの二つの方向性に注目しておきたい。
3.議論の焦点
1 対象設定
個人を対象とした研究としてライフヒストリー研究を位置づける場合、問題となるのは対象者たる個人であろう。宮本や中野には、それまでの研究者たちがとらえ切れなかった人々への眼差しがあった。例えば宮本は世間師や元馬喰の乞食などを対象とし、中野は小さな大師講のリーダーや日系移民女性などを対象としていた。これは、彼らの資料収集法が面接によるものであることとも関連する。自伝や自叙伝もライフヒストリー研究の資料として重要であろう。ただし、それらを残すのは偉人・著名人といった類が多い(7) 。これに比して、口述によるライフヒストリー研究ではどちらかというと無名人たる個人が対象となっている。では、その対象者はどのように選択されるのであろうか。2 面接の現場
ライフヒストリー研究のための資料は、作成過程により大きく二分される(8)
。文献資料か口述資料かである。前者は、自伝・伝記・日記・手紙・手記・メモなど多種多様な形態の資料が挙げられよう。先の『ポーランド農民』でも50組の家族の手紙とウラディックという一人の移民の自伝が用いられた(9)
。特に、自伝や自叙伝の研究はそれだけで一分野を形成するような蓄積がある。一方、中野以降のライフヒストリー研究では主に口述資料が用いられている。調査者が、現在生活している対象者に会い、そのライフヒストリーを語ってもらうことで資料を作成するのである。
ライフヒストリー研究の資料収集として口述を選択した場合、実際に調査者は対象者と面接を行ってこれを得ることになる。そこで、面接に関する議論を確認しておこう。
福岡安則は、聞き取りの資料自体が調査者と対象者の相互作用の所産であることにまちがいはないが、その聞き取りが調査者と対象者との「共同作業」であるという言に対して違和感をあると述べている。それはあくまでも聞き手の枠組に拘束を受けた話になり、聞かなかったことは語られないからだという〔福岡、1995:175
〕。福岡のような、相手の言いたいことを話してもらう方法は、新しい問題を発見できる可能性もある。しかし、その前になぜ面接をするのかという問題を議論し直さなければならないのではないか。福岡のように、在日韓国・朝鮮人を対象とする場合の特殊性を考慮しなければならないだろう。
つまり、調査者の聞きたいことを対象者がある程度想像して、それを話すことと自らの語りたいことが重なる場合は、福岡の言い分−対象者は調査者の枠組みに拘束される−も通用するだろうが、それが果して一般化できるかというと疑問である。
例えば、前山隆〔1986〕は自らの単行本のもとになった対象者との語りは、単なる聞き取りではないと強く主張する。彼は、調査者自らの体験を語って対象者の自己史解釈を誘発し、お互いに話し合ったのだという。続いて、聞き手の視点をもってからめとる以外に語り手の視点をとらえる方法はないという考えから、「ライフ・ヒストリーの調査・研究は、このような語り手と調査者との本来的な協同作業であり、相互の解釈装置間の対話の過程である」と述べる〔前山、1986:285-292〕。この場合は、お互いがそれぞれ枠組みを持ち、それが衝突・対話している例として挙げることができるだろう。福岡のように一回二時間という面接調査と、前山のように何回か継続して行われ、しかも補足調査もある面接調査とでは、自ずと相互の関係が変わってくるのは自明である。
また、中野のように、対象者の語りに対して、調査者はただあいづちだけという方法は、
まさに職人芸であり、それは経験を積むこと、さらに調査者のパーソナリティーの問題も関係してくるだろう。
小林多寿子は、ライフヒストリーは「聞き手と語り手の対面的相互作用」であり、「会話のイニシアティブは語り手が主導権を握るがフレームコントロールは聞き手に側にある」と述べている〔小林、1992:90〕。ライフヒストリー収集の現場では、対象者はあくまでも調査者という相手がいて始めて語り始めるのである。そこでは、調査者の質問やあいづちも、対象者の語りに影響を及ぼすであろう。小林は「複数のヴァージョンの可能性の選択肢からオーディエンスに合わせたヴァージョンを言いあらわ」すと言う〔同:101〕。
やはり、ライフヒストリー研究の面接は調査者と対象者との共同作業という表現が適切なのではないだろうか。
3 分析と記述
今日、口述資料を扱うならば、ほぼ欠かせないのがテープレコーダーであろう。面接の現場における対象者の語りと調査者の質問やあいづちが共にテープに録音されることは、双方がそれぞれ対象化されることを意味する。さらに、面接での相互作用が、文章化されることによって明確になる。テープ起こしは、ライフヒストリー研究においては欠かせない作業であるが、この後、文章化された語りを全部を記述するか、要約の形をとるか、一部を切り取るかという、幾つもの処理方法が考えられる。
さて、ライフヒストリー研究に投げかけられた最も大きな問題は、提示されたライフヒストリーが第一次資料なのか、それとも完結された研究成果なのかという点である。
これに積極的に解答している二人の議論をみていこう。
まず、大山信義は調査の目指す方向性の違いを述べる。統計的調査が結果析出を目指すのに対して、ライフヒストリーなどの質的調査では過程把握が重視されるというのだ。換言すれば、「なぜ起きたか」という仮説の検証のために行う研究ではなく、「どう思っているか」という解釈の研究だというのである(10)。そして大山が反省モデルという語によって、このライフヒストリー研究が、結果を結果そのものとして理解する特徴のモデルであるという〔大山、1988:381-384
〕。
井腰圭介は違った位相から論じている〔井腰、1995〕。彼は、調査者/研究者の「分析・解釈」は記述と編集を通してライフヒストリーに一体化して埋め込まれていると述べる。対象者の語ったことをそのまま記述するのではなく、注釈や時系列の整序、時代背景などの加筆、いわゆる編集を施してライフヒストリーを提示するやり方は、調査者一人一人の分析・解釈が反映していると述べる。また、ライフヒストリーに関して「作品」という表現があるが、これにこの方法の特質があるのだという。ライフヒストリー研究は、話者と書き手と読者が作品を媒介として取り結ぶ「表現と解釈」という関係性を前提に成立しており、その意味で完結した研究であるという。「編著」というスタイルは、ライフヒストリー研究の単行本では良く見られる。この形式、及び作品という言い方にこの研究の特殊性が見られると言えよう。
これに対し、ライフヒストリーはあくまでも資料として扱うとする立場もある。例えば、川村邦光は東北の巫女研究で、彼女たちの成巫過程をライフヒストリーから描こうとしている〔川村、1984;1987;1991〕。川村は従来の巫女研究は、研究者の枠組みによって対象者を選別したものであり、そこから得られた情報が均質なものと考え、社会性・歴史性を無視していたと批判している。しかし川村自身の論考では、ライフヒストリーを著した何人かの巫女の選別基準は明確でなく、結局その成巫過程の定型的パターンを析出するための補助として用いているのであった。
また、民俗学の報告書における「○○の生活史」という記述は、この立場であろう。この資料としてライフヒストリーを扱う場合の一つの特徴は、調査者の発話が記述されないことが挙げられる。どのような文脈における語りなのかは読者に提示されない。あくまでも調査者の枠組みにおいて切り取られた語りが提示されているのである。筆者がこの立場に疑問を投げかけているのは、調査者の枠組みでライフヒストリーが提示されるならば、それは、語りの文脈とズレている場合もありうるが、それに関して調査者/研究者は考慮しているか、読者へ明らかにしていない事例が多いことによる。先に挙げた川村のいずれの論考でもこの問題は解決していない。
先に挙げた前山も調査者の発話を消去して対象者の語りのみ記述したライフヒストリーを著したが、これは自覚的な方法に基づいていることは確認済である。記述の形式は、調査者が全く影に隠れた形であるが、内容面では「作品としてのライフヒストリー」という立場であろう。
さて、一部の民俗学者は、語り手と聞き手の存在を明確にするという目的でテープ起こしをそのまま、編集をせずに記述するという方法をとっている。しかし、そこでは、面接の現場を克明に文章化する目的は何か、対話の間の沈黙や言語以外の挙動に関しての処理や、それで何が表現できるのかという方法論的反省が見られないように思われる。これについては、由谷裕哉が辛辣に批判しているので参照されたい〔由谷、1992a
〕。
作品としてのライフヒストリーのみが唯一の方法とは思わないが、その他の立場におけるライフヒストリーの利用は、今確認したように、議論の余地が十分あると思われる。確かに、調査者の術語で記述するのではなく、対象者の言葉を研究に生かせないかということは、我々の多くが感じることだろう。しかし、語りをそのまま記述して「どうです、面白いでしょう」というのでは、ただの作文に過ぎないのだろう。調査者/研究者としての我々は、アリバイ(存在証明)作りを、用いる方法論を列挙するだけでなく、資料の取扱いに関しても十分に示して行かねばならない。
4 公表
個人に焦点を当て、微細に渡る事柄を聞き取り、記述していくという方法をとるライフヒストリー研究は、その対象者が公表を拒否するという問題も生じ得る。そこで、これを二つの事例から考えていく。
まず、田口純一は学生のレポートを編集し出版するに際して、その年の最も力作とも言えるレポートに関して、その対象者から拒否を受けたことを考察している〔田口、1992〕。
この論文の中で、田口は口述を公表する際、対象者へ文章を送付し校正してもらった。そこで校正対象となった部分を以下の五つに分類している。すなわち、文章表現上のミス、卑近すぎる話題、ディテッタントなおごり表現、個人名・地名・民族名、管理体制批判である。面接の現場では調査者と対象者との二者関係であるが、公表の段階では読者という第三者を考慮せざるを得ない。そこで、「他者との関係維持という論理」や、「分断された<I>と<me>を統合することにより、自己を正当化する論理」によって、他者への配慮がなされるのである〔同:121
〕。さて、先の公表拒否の理由として、田口は、口述から校正までの時間の経過の中での対象者自身の生活の変化と、この対象者がプロの芸術家であり、文章形式の表現方法に対して自らの方法と異なる点でのというものを指摘している〔同:123-124
〕。ただし、これはあくまでも調査の現場に立ち会ったのではない第三者たる田口の考察であり、その解釈がどの程度妥当だろうかという問題は残る。
篠原徹は新しい試みとして対象者の発話に対して自らの感想やその発話の背景を挿入したところ、公表を拒否された〔篠原、1991〕。篠原はその原因を、自らの天皇制に対する発言に求めているが、筆者はその行為自体が対象者に拒否されたのだと考えている。というのは、彼の行った試みとは「ライフ・ヒストリーを聞いてそのテープ起こしをして編集だけであれば営為としての学はほとんどないに等しいと考え、編集の段階で質問と私自身の感想とか調べたことをほぼ同等に併記する形」であった〔同:110
〕。この試みは、言外に、「語りのみ」を記述するスタイルの民俗学におけるライフヒストリーの利用に対する批判があったことは理解できる。しかし、筆者は、篠原の方法では対象者は受容できないのではないかと考える。なぜなら、この方法は対話の形式をとりつつも現実の対話とは大きく異なっているからである。対象者の発言に対する修正は全く施されていないにもかかわらず、調査者自身の部分には、現場での発話とは大きく異なった文章が記述されるという編集が施されるのでは、とても同等とは言えないだろう。調査の段階では対等であったはずの対象者と調査者の関係は、記述された文章においては対等の関係とはなっていない。そこでは対象者が単なる口述資料の提供者に止まっている。今回の対象者が「彼の述べたところはいいが私の書いた部分は容認できない」と述べて公表を拒否するのは、そのように考えると至極当然と思われる〔同:117
〕。
この二つはライフヒストリーの公表を断念せざるを得なかったことの考察である。ライフヒストリー研究は、対象者の個人的な事情に触れつつ行っていくものである以上、調査者の一存で公表されるべきではないだろう。先に述べたように、テープレコーダーの使用は調査者自身をも対象化することとなった。一方、文章化されたライフヒストリーを読むことにより、対象者自身も対象化が可能となる。ライフヒストリー研究の従来の議論は、調査者側がライフヒストリーを記述する点に関するものが殆どだった。ライフヒストリーを資料として文章化していくのはあくまでも調査者だからである。しかし、面接の現場では相互作用によってライフヒストリーが編み出されているのならば、それを記述し公表する際には(公表せずに、文章化したまま/せずに放置するというケースも考えられなくはないが)、対象者の作用もあり得るだろう。そのうちもっともマイナスの方向に働くのが公表の拒否ということであろうか。
ライフヒストリー研究においては、当然、実際に面接し、ある個人の詳細な歴史を聞き取りそれを文章化していくことになる。調査者が「そのまま」テープ起こしをしても、対象者は「そう言ったつもりはない」というクレームをすることもある。先に田口が分類したように、自らの言説を客観的に「読む」作業を行うと、自らの言いたかったこととギャップを感じることも多いだろいう。これまで、このような点はあまり議論されてこなった。それは、公表に関してあまり注意を払って来なかったからではないか(11)。
作品としてライフヒストリー研究を進めていくならば、もう一度、調査者と対象者と関係に注目するべきだと思う。調査者も対象者も自分独りではライフヒストリーは編むことができない。二人の(あるいはそれ以上の)共同作業ということは、この研究においては極めて重要な意味ある指摘ではないかと思われる。
4.今後の課題
人間を対象とした研究に興味関心を持つ我々は、ライフヒストリー研究に大いなる魅力を感じている。しかし、ただ単に対象者の生活歴を聞いて、それを調査者の想定していた枠組に則って記述するだけで終わるのでは余りに安易ではないだろうか。面接調査における分析視角の明確化、方法の洗練化、認識論的反省、など多くの問題がこのライフヒストリー研究での一連の議論を通して、ある程度明らかとなり、かつ、より深く考慮していかねばならない問題が残存していることを検討・指摘してきた。
本稿では議論を拡散させないため、専ら日本における研究動向に関する議論に止めた。もちろんライフヒストリー研究は世界的に見ても多くの成果が挙げられる。例えば、有末は1986年の世界社会学会で分科会「伝記と社会」に出席し、その内容から世界的も学際的広がりを確認している〔有末、1988:236-239
〕。さらに、ライフヒストリー研究に関する論考ではベルトウ編の『伝記と社会』〔1981〕の中の幾人かの論文や、デンジンの論文〔1983;1989等〕など、まだ邦訳は少ないものの、度々引用されている。社会学の中での幾つもの専門領域のみならず、現象学などとの関連も考慮せねばならない。
さらに、筆者の専門分野である宗教社会学の方法としても、個人の回心過程をとらえる場合などでこの研究は有効だと考える(12)。今後、この方法論ノートを基礎として、自らの実証研究においてライフヒストリー研究を一つの手法として導入してきたいと考える次第である。
註
1)社会学においてこの研究が注目されるのは個人や集団の主観的な側面の理解をしよう という方向性が出てきたことによる。それ以前の社会調査が「個人」をそのままつかみ とるのではなく、その属する社会構造に還元されていたことへの反省を含めている。これは社会学に独自の問題意識ではない。人類学の研究者たちにも同様の意識があった。人類学で個人研究に注目するようになったのは、従来の民族誌に対する強い疑義が大 きい。特に、異文化体験を民族誌に表すことは人類学の一つの大きな特徴であるが、こ の作業の結果、具体的な個人は抽象化されて記述されることが多かった。現地での面接 や参与観察の場においては「生き生きとした個人」であっても、民族誌として記述され る段階では抽象化と引換えに匿名化してしまっていた。何名かの対象者への面接で全体 社会を表現したかのような民族誌ではなく、より反省的に民族誌を考えた場合、直接触 れ合う個人が注目されるのであった。そして、ライフヒストリーの手法が利用され、実際に「実験的民族誌」と呼ばれるものの中で、個人は主役として扱われるようになった。