幼稚園における宗教教育に関する予備的考察
一 問題設定
日本の宗教教育に関する論考は少なからず見受けられるものの、その多くは小中学校以上の教育課程を対象としている(1)。それらを見ると、公教育における宗教の問題に関するテーマでの議論が多く、それ以外の具体例に基づく議論としては、キリスト教教育に関するものが多い。そこでは神学的視座からキリスト教教育がどのように日本の教育へ貢献したかを歴史的に確認したものや、キリスト教教育を受けた学生がそれをどのように学び取ったか、あるいは教師側がどのような状況にあるかを質問紙調査によって分析したものなどがある(2)。
筆者は、小中学校以上だけではなく、幼稚園や保育所にも注目したい。経営母体が宗教法人の幼稚園や保育所では、その宗教的背景がどのような形で幼児教育や保育に生かされているのであろうか(3)。そして、他の幼稚園・保育所とカリキュラムや指導方法、その他でどのような違いが見られるのだろうか。そもそも教育自体、小中学校入学で開始されるわけではない。家庭では家庭教育、そして私立の幼稚園や保育所などではそれぞれ特色ある幼児教育・保育が実施されている。明治以降の幼児教育に関して、キリスト教各派が重要な役割を果たしてきたことに異論はないだろう(4)。しかし、幼稚園を経営する宗教法人はなにもキリスト教だけではない。仏教系幼稚園もそれに比するほどの数が存在している(5)。
さて、日暮里地区での宗教法人に対する聞き取り調査の過程において、浄土真宗本願寺派の本清寺が真成幼稚園を昭和二十五年から開設していることが分かり、同時に、西日暮里四丁目にある道灌山幼稚園は、大正末期から第二次大戦まで開園されていたひぐらし幼稚園が空襲で焼失、解散の後、地域の要望もあって昭和二十七年に設立された幼稚園であり、現在ではこの地区に欠かせない存在となっていることも判明した。さらに、今回は宗教法人の対象とはならなかったが、東日暮里四丁目に位置する日本聖公会東京教区の神愛教会は、かつて神愛幼稚園を併設していたことがある(6)。もちろん、日暮里幼稚園・東日暮里幼稚園という二つの区立幼稚園があることは周知の通りである。残念ながら、これらの幼稚園に関しては本報告書の第一部調査資料編では主として取り扱ってはいない。
これらを鑑み、本稿では、宗教社会学的立場にある筆者が、幼稚園における宗教教育に関する議論を今後深めていくために、日暮里地区、そして荒川区内全体の幼稚園を事例に取り上げる(7)。ただし、幼稚園や宗教教育に関して、筆者はこれまで十全たる知識があるとは言えない。そこで、直ちに、この事例に基づく自分なりの結論へ議論を展開させるに至らず、それ以前の段階に止まざるを得ないことはあらかじめ述べておきたい。つまり、宗教教育に関する基礎的議論の確認や、幼稚園における宗教教育をどのような分析枠組みで考察していくかなどの、予備的考察として本稿は位置づけられるのである(8)。
二 宗教教育に関する先行研究の検討
これまで宗教教育に関してどのような研究がなされてきたのかをここで確認しておこう(9)。そこで最初に、キリスト教教育に関する研究を検討する。
真野一隆は、のべ約二十校、三千三百人の高校の生徒へ昭和五十年から五十六年にかけて、「キリスト教へのコミットメント」に関する質問紙調査を実施した(10)。これは、キリスト教主義学校とその比較のために公立・私立の非キリスト教主義学校の生徒を対象としている。真野は日本のキリスト教主義学校の教育理念や目標を検討し、さらに宗教的態度・行動、宗教的価値観とパーソナリティ構造、入信行動と結婚観、教会出席行動と社会的環境的要因などを調査した。その結果、信仰や宗教的人格と学問・文化との統合に基づく人格教育の形成はほど遠い状況であることや、日本社会における結婚意識が受洗動機の阻害条件となること、日曜日礼拝の出席は社会的環境的多忙さではなく内的人生態度に依存されていること、などが結論として導かれた。
一方、北川直利は昭和六十一年からカトリック系校に対して質問紙調査を始め、予備的調査を踏まえ、昭和六十三年度は全国の三十三校に郵送法で教職員を対象に質問紙調査を実施した(11)。北川はこの意識調査を通じて、カトリック信者がカトリック系小中高職員全体の三割弱しか占めていないという現況において、信者と非信者の教職員の比較を試みた。だが、まだ中間報告として資料を提示するに止まっている。
青山学院大学のキリスト教教育研究プロジェクトは、プロテスタント・キリスト教学校の現状把握と、キリスト教学校の理念・日本における存在理由と課題を検討する資料とするために質問紙調査を平成四年八月に実施した(12)。回答した幼稚園十七園の中から、その回答の一部を紹介しよう。土曜日は保育を行わず、日曜日の教会学校出席を義務づけたり、隣接する教会への出席を勧めたりしている幼稚園がある一方、教会との協力体制を持っていないところもある。キリスト教教育の環境として、讃美歌を歌のプログラムに積極的取り入れ、聖画を飾り礼拝の時間にその話をしたり、年長組に聖句を書いたりしているところもある。現状の問題点としては、一貫教育でない限りは、非キリスト教の小学校へ進学することによってキリスト教的環境との関係が途切れてしまうこと、キリスト教徒の教職員が少ないことなどが挙げられている。
これらはキリスト教に関する調査だったが、仏教教育の論考もある。西元宗助は「わが国の仏教が従来、主として成人殊に老人層にたいする教化に専念して、青少年にたいする教育に立ち遅れた」が、仏教各派によって学園経営の力の注ぎ方も違い、特に、浄土真宗は小中高大および幼稚園数で他宗派に秀でて多いことを示した(13)。また、艸香秀昭は、仏教教育を実践している高校教諭の立場から、具体的な教育内容を紹介し、また、高校三年生の小論文を取り上げ、仏教教育の本質と目的が課題としていまなお残っていると指摘している(14)。
また、田島忠篤は宗教系高校生を対象とした質問紙調査を、井上順孝は大学・専門学校の学生を対象とした宗教意識調査を報告している(15)。
さて、日本では明治三十二年八月の文部省訓令第十二号で、「官公立学校及学科課程ニ関シ法令ノ規定アル学校ニ於テハ課程外タリトモ宗教上ノ教育ヲ施シ又ハ宗教上ノ儀式ヲ行フコトヲ許ササルヘシ」と規定されてからは、公立・私立を問わず、学校教育から宗教教育がはずされてきた。戦後、昭和二十年十月の文部省訓令第八号によって、私立学校に対する宗教教育の禁止事項は改められ、さらに、周知の通り、二十二年の教育基本法第九条では、国公立の学校での「特定の宗教のための宗教教育」は禁じているものの、宗教的情操教育が禁じられているわけではない。しかしそれにもかかわらず、現在に至るまで各校で宗教教育が自由に実践されているとは言い難い(16)。
三 幼稚園の歴史と現況
では次に、幼稚園の歴史と現況を、宗教教育と関連させつつ述べていこう(17)。
日本で最初の幼稚園は明治九年十一月に東京女子師範学校の附属として設立され、これは近代的保育施設の出発点と目されている。この幼稚園は設立当初は華族や高級官僚の子女が通い、幼児の自己活動と集団保育を重視する近代的な幼稚園教育が導入され、その後の幼稚園教育の原型となった。そして、十二年に制定された「教育令」第六十六条では「学令以下ノ幼児ヲ保育センガ為ニ幼稚園ヲ設クルコトアルベシ」と、「幼稚少学」ではなく「幼稚園」の名称が使われ、同年には鹿児島や大阪で幼稚園が開設され、徐々にその数を増していった。一方、三十二年には幼稚園保育及設備規程が制定され、保育課目として遊戯・唱歌・談話・手技の四項目が定められ、幼稚園の学級定数や施設設備などの国家基準が定められた。そして、翌三十三年に公布された小学校令改訂でそのなかに組み込まれた。また、大正十五年四月には初めての幼稚園単独の法令である幼稚園令が公布され、その第一条で幼稚園は「家庭教育ヲ補フ」教育施設とされた。そして、第二次大戦後の昭和二十二年に公布された学校教育法の第七十七条において幼稚園は「幼児を保育し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長する」目的と規定され、就学前教育を行う正規の学校教育機関として制度化され、小学校教育とともに初等教育制度の一部として位置づけられるようになったのである。そして、その中で毎日四時間を越えない保育時間などが定められた。二十三年に文部省から初めて公的な保育指針として保育要領が公示された。これは、三十一年に幼稚園教育要領として制定され、保育内容として「健康・社会・自然・言語・音楽リズム・絵画制作」という六領域が設定された。さらに三十九年には幼稚園教育要領が改訂され、小学校とは異なる幼稚園の使命と独自性が示された。その後、二次にわたる幼稚園教育振興計画により、就園を希望するすべての四、五歳児を幼稚園に就園させる措置が講じられた。平成元年には幼稚園教育要領が再改訂され、幼稚園教育の基本が「健康・人間関係・環境・言葉・表現」の五領域とされた。平成三年からの第三次幼稚園教育振興計画では、十年後までに入園を希望するすべての三歳児を幼稚園に就園させることを目標としている。
全国的にみて、幼稚園数は明治十五年には八園だったのが、二十五年には百七十七園、三十五年に二百六十三園、明治四十五年には五百三十四園、大正十五年に千六十六園へと増加した。昭和十年に千八百九十園、第二次大戦を経て、二十一年の千三百三園から三十一年には六千百四十一園と激増し、さらに四十一年には九千八十三園、五十一年には一万四百九十二園、六十一年には一万五千園を越えた。だが、その後は緩やかに減少し、平成七年では一万四千八百五十六園となっている。園児数も昭和五十五年頃がピークで二百四十万人を越していたが、平成七年では約百八十万人となっている。
また、昭和四十五年の私立学校法改正で、私立幼稚園の学校法人化が促進されると、宗教法人経営の幼稚園は減少した。平成七年現在、公立と私立の幼稚園数の割合はほぼ四対六であり、設置者別でみると、私立幼稚園全体の八割が学校法人、個人と宗教法人がそれぞれ一割となっている。
東京都内では、平成七年現在、幼稚園が千二百四十四園あるが、そのうち国立が二園、公立が二百八十一園、私立が九百六十一園である。私立の内訳は学校法人三百八十四、宗教法人が二百四十五となっている。荒川区内には公立幼稚園が十園、私立幼稚園が五園ある。私立の内訳は宗教法人が三、学校法人二である。
以上見てきたように、明治から大正にかけて徐々に人々の生活に広がってきた幼稚園は、第二次大戦後、急速に広がる。そして高度経済成長期をへた近年では全体の園児の七割以上が私立幼稚園に在園している。一方で園児数は近年減少している。出生率の低下にともなう幼児人口減少や都市部での遊び場減少、家庭の教育機能低下、そして核家族化など、社会環境が大きく変動し、幼稚園自体も学級内の人数が少人数になる一方、二年保育から三年保育へとの要求が高まってる状況下にある。そこで、幼稚園の変化は、その環境とともに個別事例を丁寧に見つめていかねばなるまい。
四 事例
(一)荒川区内の幼稚園の歴史と現況
では、荒川区の幼稚園についてその歴史と現況、そしてそれぞれの教育方針や行事をまとめよう(18)。区で最初の幼稚園は明治三十四年に開設された私立薗田幼稚園である。以下、私立幼稚園は、大正十三年に尾久幼稚園、南千住幼稚園、大正十五年に清和幼稚園、ひぐらし幼稚園が設立された。そのうち南千住幼稚園は、大正七年頃から日曜学校を開くなど教化事業に尽力し、町民の信望を集めていた浄土宗西光寺の住職笠原立定により建てられた。
日本聖公会司祭だった後藤粂吉が明治四十一年、下谷区下車坂町に設立した神愛幼稚園は、関東大震災で園舎を焼失した。そして大正十四年に日本聖公会神愛教会が日暮里に新設されると、昭和二年に幼稚園の移転が認可され、教会内に神愛幼稚園が開園された。また大正十四年に大震災の罹災者収容のために建設された隣保館は、乳幼児健康訪問及び相談、児童図書館などの事業とともに、保育活動を同年七月から尾久隣保館幼稚園として開始し、昭和二年の十二月に認可された。だが、東京都においては昭和十九年に幼稚園閉鎖令が出され、荒川区内の幼稚園も、それぞれ休園や閉鎖、戦時託児所への転換となった。
戦後すぐの二十一年、財団法人の仁風会館幼稚園が創設された。その後、二十五年に恵化幼稚園、北豊島幼稚園、真成幼稚園、二十六年に聖ローザ幼稚園、二十七年に神愛幼稚園、道灌山幼稚園、二十八年には三河島幼稚園、三十一年には荒川若葉幼稚園がそれぞれ開設された。だが、幼児数の減少や相続者不在、施設の老朽化などで経営が困難になり、現在までに四園(仁風会館幼稚園は私立保育所に変更、恵化幼稚園は三十六年度末、聖ローザ幼稚園は五十九年三月末、神愛幼稚園は平成三年七月)が廃園となり、その後の新設は見られない。現在の園児数は次に述べる区立幼稚園より少ないものの、四十年代から五十年代初めまでは上回っており、四十八年には千七百人を越えていた。だが、その後は減少している。
第二次大戦前には荒川区立の幼稚園はなかった。戦後、幼児教育に関心を持つ多数の保護者の要望で区立幼稚園設置の陳情書が出され、区議会は二十四年八月に幼稚園設置を可決し、二十四年九月に初めて尾久幼稚園、日暮里幼稚園が設置された。当初はそれぞれ、第七峡田小学校内、第二日暮里小学校内に開設されたが、その後独自の園舎に移った。そして、二十九年までに南千住幼稚園、町屋幼稚園、南千住第二幼稚園の三園が設立された。さらに学級増設や校区ごとの幼稚園設置の請願があり、四十年代に峡田幼稚園、東日暮里幼稚園、尾久第二幼稚園、南千住第三幼稚園という四園、五十二年に花の木幼稚園という一園が増え、現在は十園となっている。区立幼稚園の園児数の合計は五十年代初め頃がピークで千三百人を越していたが、その後は減少に転じている。
(二)各幼稚園の概要
では次に各幼稚園の略史と教育方針、行事などをまとめてみる。
二-一 私立幼稚園(設立順)
[北豊島幼稚園] 東尾久六-三十四-二十四
昭和二十五年四月に開園した当初は財団法人だったが、二十六年に学校法人北豊島学園を設立母体に変更。そして、北豊島学園が理想に掲げる、幼少・中・高一貫教育の第一歩と位置づけられている。「ゆたかな情操を養い心身ともに健康な子供を育成する。きまりを守り、友だちと仲よく遊べる子供を育成する。自分で考え、最後まで一生懸命やりとげる意欲ある子供を育成する」ことを教育目標に掲げている。運動会・遠足・夕涼み会などの行事がある。体育専門指導員による体操指導や週五日制・習字や英語などの土曜講座の実施、外国人講師による英語教育などが特色である。
[真成幼稚園] 東日暮里二-十四-二
浄土真宗本願寺派の本清寺附属幼稚園である。浄土三部経「大無量寿経」真成報仏恩の真成を園名に当てている。昭和二十五年に設立された。四十五年に寺院を鉄筋四階建てにした際、その一、二階部分を幼稚園舎とした。教育目標として「健康・人間関係・環境・言葉・表現・視聴覚教育と宗教的情操の教育を目標とし『思いやりのある幼児像』」を目指している。体操指導、美術指導、習字・英語指導なども行っている。隔月の園外保育や年長児の一泊保育などの他に、宗教的行事としては、四月に花まつり、七月にお盆の夕べがある。
[道灌山幼稚園] 西日暮里四-七-十五
昭和二十七年六月に現学園長である高橋系吾が開園。三十二年五月、学校法人道灌山幼稚園となり、三十五年五月には練馬区高松に高松幼稚園を設置。また、四十年には園舎を鉄筋に改築し、四十一年四月に幼稚園教員養成所を併設。さらに、保母の養成も行うため、四十五年十二月に道灌山学園保育専門学校と改称。「花を育て動物をかわいがる人は、心やさしい人になります」という教育理念から「情操を豊かにし、やさしい心を育てる(思いやり) 健康で意志の強い子どもに育てる(自立心) 社会性を身につけ、正しい知性を育てる(園生活を楽しむ)」という教育目標を持つ。植物の栽培や動物の飼育の他、新潟県六日町にある自然学園で二泊三日の宿泊保育を実施している。さらに、徒歩通園や無給食によって保護者と幼児との関係を密にし、保護者への家庭教育の重要性の啓発も行う。
[三河島幼稚園] 荒川四-五-一
真言宗豊山派の観音寺に属し、園舎は本堂隣にある。昭和二十八年開園。園側の目標には「生命尊重の保育 正しきをみて絶えず進む保育 よき社会人をつくる保育」の三つを、園児の目標には「いつくしみのおこない まことの心を持ち続ける 仲良い子になる」の三つを掲げている。その一方で「小学校への進学前提として学校教育法に従い幼児を教育し、適当な環境を与えて心身を助長すると共に、宗教的保育をほどこすこと」を目的としている。
そして音楽リズムや視聴覚教育に力を注いでいる。また行事としては遠足、運動会の他に、花まつり、みたままつり、盆おどり、成道会などもある。
[荒川若葉幼稚園] 南千住五-十六-十七
西光寺の住職笠原真応によって、境内に昭和三十年十月に園舎が建設され、翌三十一年に開園(19)。前身は南千住幼稚園であるが、二十年三月の空襲で全焼・閉鎖しており、その後、区立の南千住幼稚園が設立したため、名称を変更して再建された。西光寺は三十二年に宗門より独立し単立となる。四十七年に現住職の立晃が園長に就任し、平成六年に二階建の新園舎が完成。
宗教的情操教育(明るく、正しく、仲よく)をもとに、一人一人の子供が明るく、正しく、仲よく遊べるように日常保育を行う。年長児になると二泊三日のお泊まり保育を夏に行い、体育講師や外国人による英会話教室なども行う。運動会・作品展などの他に、花まつり、魂まつり、成道会発表会などがある。
二-二 区立幼稚園(地区順)
[南千住幼稚園] 南千住七-二十-十三
「明るく健康な子供 だれとでも仲よくできる子供 よく考え、根気よくやり通す子供」を教育目標にしている。個性尊重のきめ細かい指導と生活に根ざした保育をすすめている。
[南千住第二幼稚園] 南千住八-二-一
「健康な子供 考えて生活する子ども 友だちと力を合わせ励ましあえる子ども 想像力の豊かな子ども」を教育目標とし、平成四年より第四瑞光小学校休校に伴い第五瑞光小学校の併設となる。
[南千住第三幼稚園] 南千住一-十三-十七
「丈夫な子ども 心のやさしい子ども 力を合わせ、はげまし合える子ども よく考えて最後までやりぬく子ども」を教育目標とする。年長児には友達と協力しながら、自主的に行動したり創造的な活動ができるように、年少児には集団生活のきまりを理解しながら、安全に行動したりのびのびと活動できるように、ということに重点をおいている。また、プールや遠足・運動会・作品展などの行事がある。
[峡田幼稚園] 荒川二-三十-一
「健康な子ども 自分のことは自分でする子ども 十分にあそびや仕事が、たのしめる子ども 感じたことを素直に表現する子ども 力をあわせて行動する子ども」が教育目標である。また、個性を尊重し、五才児と四才児の交流を深め、いろいろな友達と仲良く力を合わせて行動できるよう、身の回りの社会環境に関心が持てるように指導の重点をおいている。遠足・運動会などの他に、近くの荒川自然公園散歩や図書館からの絵本の貸し出しなど自然に触れる活動や多様な経験を積む機会を取り入れている。
[町屋幼稚園] 町屋八-十九-十二
「友だちを思いやり仲よくできる子 進んでものごとに取り組みやりぬく子 明るく心の豊かな子」が教育目標である。偏見をもたないで人とかかわる力を養い、幼児の自立心や自発心の発達を促し、地域の人びととのかかわりを通して開かれた教育を実施し、幼児の主体性の育成を図る、などの指導に重点をおいている。荒川遊園・飛鳥山公園・品川水族館などへの遠足や、その他数多くの行事がある。
[花の木幼稚園] 荒川五-四十一-四
「元気で明るい子ども 仲良く遊べる子ども よく考えやりぬく子ども 思いやりがあり感動できる子ども」が教育目標。単学級であり、異年齢との交流を深める活動を重視している。
[尾久幼稚園] 東尾久一-三十六-三
「元気で心のやさしい子 力をあわせ、はげましあえる子 考え工夫し、さいごまでやりぬく子」が教育目標。健康な身体づくりとよりよい人間関係をつくり、幼児が主体的に物事に取組めるような指導に重点をおいている。交通公園や荒川河川敷などの徒歩遠足を取り入れ、自然体験やさまざまな体験ができる機会を設けている。
[尾久第二幼稚園] 西尾久八-二十六-九
「じょうぶな子 自分のことは自分でする子 よくあそぶ子 素直に表現する子 よく考える子」が教育目標。個性の伸張、創意工夫した保育、幼児自らが遊びや生活を充実しようとする意欲を高めるような援助、などに重点をおいている。遠足・運動会・もちつきなどの行事がありる。また、年少年長とすべて一階の園舎で交流保育をし、豊かな人間関係づくりにも努力している。
[日暮里幼稚園] 東日暮里六-四十九-二十一
「心身共に健やかに伸びる子ども 正しい生活習慣が身につけられるこども よく考えて、最後まで頑張る子ども 友達を大切にし、力を合わせて行動できる子ども 働くことに喜びを感じる子ども」が教育目標。平成元年四月よりひぐらし小学校併設園となる。
[東日暮里幼稚園] 東日暮里三-十-十七
「健康で心の豊かな子ども よく考えてやりぬく子ども 友だちと仲よく遊べる子ども」が教育目標。自主的・主体的に遊びや活動にとりくむ幼児の育成を図り、信頼できる人間関係を基本に、幼児の情操や自己表現力を豊かに育むような指導に重点をおいている。各地への遠足・屋上のプール・観劇などの行事がある。
以上まとめると、次のようになる。
教育目標に関しては、どの幼稚園も大きく異なることはなかった。いずれも、幼稚園教育要領第二章にある「健康・人間関係・環境・言葉・表現」というねらいを充分に踏まえて掲げられていると言ってよいだろう。一方で、宗教法人の幼稚園はそれぞれ、宗教的情操教育や宗教的保育をなんらかの形で掲げている。
幼稚園の年間行事を概観すると、どの幼稚園でも遠足や運動会などの行事があり、また、自然に親しむことに力を注いでいることは園庭で野菜を作ることや小動物を飼育することなども見られる。宗教的行事としては、真成幼稚園では花まつりや盆の夕べ、三河島幼稚園で花まつり、みたままつり、盆おどり、成道会、荒川若葉幼稚園では花まつり、魂まつり、成道会発表会などがある。しかし、それ以外は他の幼稚園と大差はない。
しかし、だから宗教教育があまり行われていないと結論づけるのは拙速である。少なくともここで取り上げている三つの仏教系幼稚園はいずれも寺院が隣接しており、仏教系であることは外見上からも明らかである。また、仏教に関する絵本なども用意されいる。しかも、宗教的教育を入園案内などではっきりと述べているのである。だが、今回はあくまでも幼児教育の外面部分の確認に止まったため、各園の宗教教育の詳細は明らかになっていない(20)。これを踏まえて、今後、実際の幼児教育の現場の関係者への聞き取りや、幼児教育の観察などでより深い理解へと向かわなければならない。一つだけ指摘できることは、宗教教育は標榜されているものの、あまり前面に出ているわけではないという点であろう。もちろん、園名から明確になる部分はあるし、幼児教育の理念の部分で宗教的教育を持っているとは言えるかもしれないが、少なくとも行事や各園の特色の部分では、他の幼稚園と大きな違いがあるとは言い難いのも事実であろう。
五 小括
前節まで、宗教教育に関する従来の研究を整理し、荒川区内の幼稚園各園の入園案内などの記事や『荒川区教育史』を概観し、とくに宗教法人が経営する幼稚園に注目した。そこで最後に、宗教教育の研究を幼稚園へと拡張できるかどうか検討しておきたい。
本稿で事例として挙げたものは、あくまでも「何を教育目標としているか」「何を実施しているか」という、外部者に向けて明らかにされている表層部分に限られた範囲内のことである。従って、それぞれの宗教法人側、教育する側がそれぞれの信仰に基づき、教育方針の記述などでは表現し尽くせない部分で宗教的教育を行っているだろう。それをとらえることこそが筆者にとって必要な課題となる。その後、その宗教教育を受けている幼児側がどのようにとらえているか、あるいはその後の人生に何らかの影響があったかなどをとらえる方法も、筆者の今後の課題となる(21)。なにしろ宗教法人の設立している幼稚園は、全国で平成七年現在七百六十五園もある。さらにそれ以外の幼稚園でも宗教的情操教育を志しているものもあろう。これらを一人で全部把握するには相当の時間がかかるであろう。
従来の宗教教育に関する質問紙調査は、まだ基礎資料の提示という段階のものも多かったように思われる。そこでこれらの詳細な検討も必要である。幸い、先述の通り、小学校以上の宗教教育に関する基礎的資料の収集は近年かなり進んできている。これを参考にして幼稚園へ研究を拡張させることは可能だろうと思う。ただし、幼稚園の場合は就学前教育、つまり幼児教育という部分で小中学校とは異なる。そこで、まず幾つかの詳細な具体例をもとに、幼稚園教育およびそのなかでの宗教教育のあり方・実践をとらえていこうと思っている。
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註
(1)近年出版されたものの中で、この問題について広く議論しているものとして、下村哲夫編『学校の中の宗教』(時事通信社、平成八年)が挙げられる。これは学校における宗教現象の取り扱いについてのさまざまな視座に立つ議論と、小中高校での具体的・実践的な問題の議論、教育現場からの声がまとめられており、非常に有益である。しかしこの書物でも幼稚園については全く触れられていない。また、小中高大学までの宗教系学校を対象にし全国的な調査をまとめた、井上順孝監修『宗教教育資料集』(すずき出版、平成六年)もたいへん貴重なものだが、ここでも幼稚園は対象から外されている。もちろん、宗教教育の議論は近年に始まったわけではない。すでに、鶴藤幾太「宗教教育の根本問題」(『教育学研究』二十四(二)号、昭和二十七年)、松川成夫「現代宗教教育における訓育の問題」(『教育学研究』四十七(二)号、昭和五十五年)、長納円信『公教育と宗教』(勁草出版サービスセンター、昭和六十二年)、などにおいて宗教教育の重要性が議論されている。
(2)本多繁『続・米国のプロテスタンティズムと日本人』(明治プロテスタンティズム研究所、平成六年)では、東奥義塾、北越学館、山形英学校など東北地方を中心に、教育面でのキリスト教の受容と展開の問題が論述されている。質問紙調査に関しては次節を参照。
(3)幼児教育は教育に重点を置きつつも、幼児の生命維持保障を追求するもの、保育は養護的機能を重視しつつも教育を施すものという区分も可能だが、本稿ではとくに区分していない。
(4)例えば、幼稚園全体に占めるキリスト教系幼稚園の比率を調べると、明治四十五年は十八パーセント、大正五年は二十五パーセント、昭和十五年は二十九パーセントとなっている。だが、戦後になると、キリスト教系幼稚園の増加に比べ、その他の幼稚園の増加の方がはるかに上回った(基督教保育連盟編『日本キリスト教保育八十年史』基督教保育連盟、昭和四十一年、三百二十頁)。
(5)西元宗助『教育と宗教のあいだ』教育新潮社、平成三年、九十四頁。
(6)本稿の「四 事例」の部分で荒川区内の各幼稚園をまとめたが、神愛幼稚園も参考として以下の通り記述しておく。
[神愛幼稚園] 東日暮里五-十八-八
日本聖公会神愛教会附属幼稚園。昭和二十年四月の空襲で教会が半焼し、二十六年に再建、二十七年から幼稚園を再開する。「キリスト教の信仰に基づく幼児保育を加味し、その心身の健全な発達を助長すること」を目的とし、少人数教育を実施していた。「キリスト教主義に基づく、宗教教育を加味し、幼児時代より国際的教養の根基を育む」ことが教育方針となっている。平成二年三月をもって休園、三年七月二十三日付けで廃園となる。施設の老朽化と経営困難がその主な理由である。
(7)今回は対象を限定させるため、保育所は取り上げず、幼稚園のみを議論する。周知の通り、幼稚園は文部省、保育所は厚生省と所管行政庁が分かれており、幼稚園は学校教育法、保育所は児童福祉法に基づき設置・運営されている。大正期から昭和初期にかけて都市の低所得者対策として開設された託児所が、戦中戦後の変容を経て、二十二年十二月に制定された児童福祉法により保育所に名称が統一されて、児童福祉施設の一つとして制度化されている。その他の差異については、岡田正章「保育所と幼稚園との関係についての研究」(『教育学研究』三十五(三)号、昭和四十三年)や、森楙「就学前教育」(新堀通也編『日本の教育地図』ぎょうせい、昭和五十五年、所収)が詳しい。この幼保一元化を求める声は戦前から続いているが、いまなお実現していない。また、荒川区内には平成八年三月現在で合計二十七カ所の保育所がある。
(8)その意味で、井上順孝他「宗教系学校における宗教教育の現状」(『國學院大學日本文化研究所紀要』七十六輯、平成七年)で示されたように、参与観察や教職員との面接などを踏まえることにより、今後さらに知見を深めていくことが急務である。この報告書は、先述の『宗教教育資料集』同様、「宗教と教育に関する調査研究」プロジェクトによるものである。このプロジェクトでは、基礎的資料の収集に始まり、学生・生徒への質問紙調査、学校での参与観察、面接調査などを通じて、明治期から現代に至るまでの宗教教育の歴史と現状を総合的に分析し、宗教教育が抱える課題を分析しようとするものである。そして、その成果は、國學院日本文化研究所編『宗教と教育』(弘文堂、平成九年)にまとめられた。
(9)宗教教育の文献探索には、小野泰博「文献目録」(日本宗教学会『宗教と教育に関する委員会』編『宗教教育の理論と実際』すずき出版、昭和六十年、所収)と永井美紀子「研究文献目録」(國學院日本文化研究所編『宗教と教育』弘文堂、平成九年、所収)などが利用しやすい。各宗教の教団・宗派が、自らの宗教教育をどのように体系づけているかは、それぞれの教団や宗派のテキストを参照すればいいだろう。例えば、浄土真宗本願寺派では『まことの保育体系』全三巻(浄土真宗本願寺派保育連盟編、本願寺出版社、平成元・二・三年)を出版している。
(10)研究成果はそれぞれ論文として発表されたが、本稿ではそのまとめとも言うべき著書、真野一隆『日本における宗教教育の可能性』(キリスト教新聞社、昭和五十七年)を参照した。
(11)北川直利「『ミッション・スクール』の宗教社会学」(『日本私学教育研究所紀要』二十三(一)号、昭和六十三年)、同「『ミッション・スクール』の宗教社会学(二)」(『日本私学教育研究所紀要』二十四(一)号、平成元年)、同「『ミッション・スクール』の宗教社会学(三)」(『日本私学教育研究所紀要』二十五(一)号、平成元年)、同「伝道と教育」(楠木正弘編『宗教現象の地平』岩田書院、平成八年、所収)、などを参照されたい。
(12)青山学院大学キリスト教文化研究センター編『現代におけるキリスト教教育の展望』ヨルダン社、平成八年。これには、英米独の宗教教育についての議論とキリスト教学校教育同盟加盟の法人本部および幼稚園から大学、合計三百九十八を対象とした質問紙調査の結果がまとめられている。
(13)西元、前掲書、九十三-九十四頁。
(14)艸香秀昭「東京の仏教主義高校における宗教教育」(國學院大学日本文化研究所編、前掲書、所収)。また、本稿では取り上げないが、仏教の幼児教育に関しては、浄土宗の日曜学校に関する研究(永井隆正「浄土宗の日曜学校」『佛教文化研究』三十八号、平成五年)も参照されたい。
(15)田島の調査は「宗教系高等学校における宗教教育の実態調査報告」(『明の星女子短期大学紀要』九、平成三年)や「宗教系高等学校生徒の『宗教意識』調査結果について」(『明の星女子短期大学紀要』十、平成四年)を、井上の調査は「大学生の宗教意識」(『國學院大學日本文化研究所紀要』七十二輯、平成五年)などを参照。
(16)吉田昇「宗教教育」(『教育基本法(新装版)』宗像誠也編、新評論、二百四十八-二百五十九頁)を参照。
(17)本稿の歴史的記述は以下の著書を参考にした。古木弘造『幼児保育史』(日本教育史基本文献・史料叢書三十七、大空社、平成八年)、穴戸健夫「近代日本の保育思想の形成」(『教育学研究』三十五(三)号、昭和四十三年)、勝部真長他『年表幼稚園百年史』(国土社、昭和五十一年)、高橋洋代「日本における幼児教育」(立教女学院短期大学『紀要』二十一号、平成二年)、上笙一郎・山崎朋子『日本の幼稚園』(ちくま学芸文庫、平成六年)、『荒川区教育史(通史編)』(荒川区役所、平成八年)、『荒川区教育史(資料編T)』(荒川区役所、平成五年)、『荒川区史(下巻)』(荒川区役所、平成元年)、などである。また幼稚園数や園児数などは各年度の『文部省年報』『学校基本調査報告書』などを参照した。
(18)以下の荒川区内の幼稚園に関する記述は、『荒川区教育史(通史編)』、二○九-二一八頁、三四一-三四八頁、四六九-四七八頁、五五八-五六二頁。『荒川区教育史(資料編T)』四八四-五一一頁。『荒川区史(下巻)』一三六八-一三八一頁。そして、各幼稚園の入園案内などを参照した。また幼稚園数や園児数などは各年度の『区勢概要』を参照した。
(19)西光寺の記述は『南千住の民俗』(荒川区民俗調査団編、東京都荒川区教育委員会、平成八年、所収)も参照されたい。
(20)仏教系幼稚園の具体例として、朝の集会時の「おつとめ」や昼食時の仏に対する合掌・礼拝などにともなう敬虔な祈り、報恩講、園独自の行事としての子育て地蔵まつりなどを紹介している安井昭雄(「仏教系幼稚園における宗教教育の実践例」日本宗教学会『宗教と教育に関する委員会』編、前掲書、所収)を参照。
(21)あるプロテスタント・キリスト教会では、教会教育を受けた信徒がその後、どのように教会と関わりながら生きてきたのかをとらえるために、質問紙調査や面接調査、座談会などを通して考察した(岩村信二・森岡清美『教会教育による教会形成』新教出版社、平成七年)。また、幼稚園教育では保護者および家庭教育との関連も考察せねばならないだろう。保護者に対する調査例として、田島忠篤「宗教系中学における保護者および生徒の宗教調査」(國學院大學日本文化研究所編、前掲書、所収)がある。