大衆長寿社会における自己表現の方法
−自分史と<受葬>にみる−
Self-expression of Aged People in the Mass
Longevous Society
:self-history and self-funeral service
1.本稿の課題
現代日本において「大衆長寿」社会の到来を背景に、高齢者による新たな自己表現の機会が増大してきた(1)。その一つは自分史による自己表現であり、いま一つは自らの葬法に示される自己表現である。
1980年代後半頃から「自分史ブーム」ともいうべき現象が起きている。数多くの自分史が自費出版され、それは自分史図書館で閲覧できるようになった。さらに、全国各地には自分史友の会が活動を続け、カルチャースクールなどでも自分史講座が多く見受けられる。この「自分史ブーム」の担い手は高齢者層である。20歳代や30歳代で自分史を綴る者もいなくはないが、一般的な書き手は60歳代以上の人々である(2)。定年退職などにより時間的な余裕ができ、また、経済的にも自費出版などが可能な程度に豊かであること、そして、ワープロやパソコンなどの机上印刷(=Desktop
Publishing)の発達により、書いたものを自ら容易に印刷して活字にすることが可能になったことなどが、その担い手たちの社会的背景として指摘できる(3)。さらに、第二次大戦を何らかの形で経験している世代である彼・彼女たちは、自らの世代が死ぬ前に、自らの体験を記録として残して後世代の者たちに伝えたいという動機を持つ者も多い。
筆者は、1980年代以降に顕著なもう一つの現象として、従来の葬儀や「○○家之墓」などの家墓ではなく、生前葬や散骨などの葬法を選択する人々の存在に注目した。自分史とこれら死をめぐる問題は、一見すると別々の現象のようである。だが、筆者はこの二つの現象は全く異なるものではないと考えている。それどころか、この二つの基底には、共通した何かがあると考えている。それを考察することが本稿の課題である。
自らの葬送のあり方を模索するのも高齢者が中心である。少なくとも年齢層という点では共通している。自分史が、自らの「生きざま」を子供や孫たちへ記録として残そうとする行動だと見なすことが可能ならば、新しい葬法を選択しようとする態度は、子供たちに自らの「死にざま」を示そうとしていると見ても良いのではないだろうか。
以下、高齢者たちがどのような意図をもって、自らの人生を自ら綴ったり、自分なりの葬法を見つけようとしたりするのか、具体的な事例により検討してみたいと思う(4)。
2.自分史にみる自己表現
(1)自分史と「第二の生産者」
まず、自分史に関する基本的事項を確認しておこう。
自らの歴史をその当人が文章で著すこと自体は、アウグスティヌスの『告白録』などを挙げるまでもなく、古くから行われてきた。これら「自伝」には、有名人が書いたものという共通点がある。
だが、近年の日本において注目を集めているのは、一部の有名人ではなく、「普通の」より多くの人々が執筆した「自分史」の出版である。本稿では、有名人が自らの人生を回顧した自伝ではなく、あらゆる層の人々による自伝を「自分史」と呼ぶことにする。
以下、自分史を支えてきた「第二の生産者」を中心に述べていきたい。「第二の生産者」とは語り手からストーリーを引き出す人たち、すなわち、研究者や編集者たちのことである[Plummer,1995=1998;小林,1997]。
自分史は、口述生活史とは異なり、研究者の視点を経ることなく描かれた資料である。だが、執筆者の思いのままが述べられているのだと単純には言えない。自分史講座や自分史友の会などで、自分史の書き方を学ぶ者も少なくない。その結果、描かれた自分史にある程度の型が定まるのは否定できない。自分史研究で知られる小林多寿子は、1980年代後半に刊行された自分史が、それ以前に刊行されたものより「はるかに本らしくなって」おり、「内容も本としてのスタイルがととのってきている」と指摘した[小林,1997:98]。筆者も調査を進めるなかで多くの自分史を読んだが、その印象は小林と同じであった。形式が整ってきたということは、執筆者が何らかの制約を受けているとも言える。
自分史の出版は、先述した自分史図書館や自分史講座、自分史友の会などの「第二の生産者」が増えてきたことでより拡大したと説明できる。それ以外にも、自分史作成の実践的な方法を教示する書物が多数刊行され、自分史作成のマニュアルノートが普及し、自費出版を扱う印刷会社が増加するなど、さまざまな「物語産業」が登場し、このブームを下支えしているのである(5)。
1990年代に入ると、幾つもの自分史文学賞や自分史大賞が創設された(6)。「自分史」や「自費出版」をキーワードにホームページの検索をすると、「物語産業」の多くにアクセスできる。さらに、幾つかの地方自治体でも自分史づくりを支援している(7)。全国紙でも自分史を取り上げることが増えてきて、一般の目に「自分史」という語彙が目に留まるようになっていった(8)。さらに97年末、東京神田で自費出版図書を専門に販売する店が登場し、親族や知人に配布するに止まるばかりではなく、販路拡大の可能性が出てきた。
このように広く人口に膾炙した自分史は、全国紙の「川柳」などでは、虚飾や自己防御などが揶揄されており、資料的価値がないものと見なされがちである(9)。だが一方で、ライフヒストリー研究の一つの重要な資料として扱われることもある(10)。
近年の日本のライフヒストリー研究では、口述生活史が中心的資料だった。だが、自分史を扱った研究も多少は提出されている。その場合、必ずしも研究者の求める情報が十分得られるとは限らないという自分史の特性を鑑み、幾つかの方法が示された。自分史執筆者の生活歴を重視して、ライフコース論を援用して分析したもの[山田,1992]、自分史を出版した者たちに、後から口述生活史を得て両者を比較したもの[小林,1997]、執筆内容から幾つかに分類した上で、それぞれの典型的な事例から自分史の記述を通して、執筆者の経験を分析したもの[川又,1998a]などである(11)。このような研究の進展は、当然、自分史の質量の広がりと無関係ではないだろう。
(2)自分史友の会
全国各地で「自分史友の会」が活動を続けている。
本節はそのなかで二つの会を取り上げ、友の会活動の契機・活動内容・参加動機を中心にまとめていく(12)。
まず、1988年より活動してきた福島・自分史友の会である。この会の結成は、86年9月に自費出版センターの代表である福山琢磨が福島市で自分史に関する講演をしたことが契機となった(13)。翌年4月に地元のクサカ印刷社長が講演会参加者へ呼びかけて友の会が結成された。98年1月現在、会員は男女比は半々で、50歳代から80歳代まで約30名である。逝去者や自分史完成後に退会した者もいる一方で、地元の新聞やテレビなどで紹介されることも多く、その都度、新規会員も増えている。
会員たちは自らの自分史を制作のため会員となったのだが、会の結成当初は、文章を書くことに全く慣れていなかった会員が多かったため、国文学専攻の元大学教授に文章表現の基礎的な指導を受けていた。そして次第に慣れてきてからは独自に、自分史に関する文献を読んだり、表現の仕方を確認したりという勉強会を月例会のときに30分程度行っている。
活動の中心は、年刊の著作集『人生春秋』を制作することである。そして、その前段階として月例会では、毎月発行する『自分史友の会習作集』に掲載した短文(720字程度)を相互批評している。
会員の多くは、3年から5年くらいを目安に自分史を執筆したいと思っている。活動開始後の10年間に、のべ15冊ほどの自分史が出版されたが、まだ出版に至らない者の方が多い。自分史完成に至らなくても、文章の書き方を学んでいるうちに、新聞投稿を積極的にする会員も出てきた。自分史を刊行した者のなかには、その修正版を『人生春秋』に書き続けている者もいる。それを読み比べると、大幅な修正はないものの、語彙の用い方などで読みやすく改良されていた。会員はそれぞれに、「書く」ということ自体に楽しみや喜びを感じとっているようである。自分史友の会に在籍しているからといって、自分史の出版だけが会員の唯一の目的ではないことが判明した。
もう一つは、栃木自分史友の会である。こちらも福山の講演を契機に、1989年に宇都宮市の井上印刷が協力して結成された。98年4月現在、40歳代から70歳代までの会員が約20名おり、男女半々となっている。夫婦で会員の者も数組いる。この会でも自分史を完成させた会員は10名ほどいる。
主な活動は、年3回発行する同人誌『徒然の記』、そして年1回発行する同人誌『つれづれ栃木』の執筆・発行・合評である。月例会は第2土曜日に、主に市民コミュニケーションセンターで開催され、『徒然の記』の合評会などが行われている。年に1回講師を呼んでの勉強会もあるが、一方では、毎年4月に総会と懇親会、12月には『つれづれ栃木』の出版記念会の一泊での忘年会などもあって、会員同士の交流を重視している。
『徒然の記』は、それぞれの自分史の前段階として書かれる場合もあるが、主に日常生活で感じたことや、旅行記などを執筆する者もいる。『徒然の記』で公表するものと、誰にも見せない自分史を分けて書いているという会員もいた。確かに、出版されるものばかりが自分史ではない。一冊の自家製の自分史もあれば、数冊だけ簡易製本したものもある。その内容に優劣などはない。
自分史を出版した後に友の会に入会した会員の一人は、友の会で勉強してから書けば良かったと述べていた。だがその会員はいずれもう一冊書くつもりだという。一冊書き終えたからと言って、その人の人生は終わったわけでもない。一人で自分史を二冊、三冊と出版していく者もいる。自分史の執筆は生涯ただ一度とは限らない。
自分史執筆者全員が、他人の自分史を読んでいるわけではない。会員になれば友の会の例会で、原稿用紙2枚程度の他人の文章を批評する経験を持つ。だが、多数の自分史を読破して後に、自分の自分史を書こうという志を持つ者はいても、実行した者はほとんどいない。また、文章の稚拙さや内容の浅薄さを他人に批判された場合、素直に直す者ばかりではなく、会を退会してしまう者や、自分の個性だからといってそれを直そうとしない者もいる。一人で自分史を書くのではなく、会員たちと一緒に向上しながら自分史を完成させることが、友の会における基本的な目標だろう。だが、会員たちはあくまでも「自分が書く」ということを中心に考えているようである。
(3)プライバシーを語ることについて
前節を受けて、自分史の執筆動機について考えよう。
先述の会員たちに、自分史執筆の動機をたずねたところ、自分の生きざまを残したい、先祖を調べたい、自分の両親の記録を子孫に残したい、豊かでなかった時代を書いておきたい、などの回答があった。これは、自分史の「まえがき」や「あとがき」からその執筆動機を調べた小林の報告とも重なる回答であった。
小林はその報告の中で「伝える」と「振り返る」という2種類の動機を見出したという[小林,1997:216]。
自分史を書くことは、過去の自分自身に向かい合い、執筆時点までの生活を確認していく作業でもあるが、筆者の調査では、「伝える」という動機、すなわち、他者へのメッセージという意味合いを持つ執筆者の方が多かったように思われる。高齢者たちの自分史には「戦争体験」が大きな位置を占めていることは想像に難くない。先述した福山は、毎年『孫たちへの証言』という戦争体験集を発行している。毎号100編程度が収録されるのだが、第7集以降は1000編を超えるほどの応募があり、応募者は70歳代がもっとも多く、続いて60歳代、80歳代だという(14)。もちろん、この本は「孫たちへ」という題目で明確になっているように、他者へ語ることが目的である。
子や孫へ自分の生きざまを伝えたいと書いてある自分史は少なくない。だが、執筆者は彼らと接触が全くなかった訳ではない。同じ自分史の中に、銀婚式を祝ってもらったり、入学卒業の機会に家族で催し物をしたなどの記述もある。だが、それでも自らのことはまだ伝え足りないというのである。
では、なぜ伝え足りないのだろうか。原因の一つとして、伝えたい相手が日常生活の中では伝えることが出来なくなっているということであろう。
現代日本では世帯規模が漸次縮小している。国勢調査による一般世帯の平均人数は、昭和40年から平成7年の最新統計まで、一貫して減少し続けており、一方では単独世帯数が増えている。これは若年層の一人暮らしが増加したというよりは、高齢者たちの単独世帯が増加したものである。さらに高齢者の夫婦だけの世帯も増加している(15)。つまり、現代社会において、高齢者は子や孫に自らのことを対面状況下で語るような機会が、それ以前より少なくなっているのである。
もちろん、そればかりではない。直接口頭で述べ伝えにくいような経験もあるだろう。自らの体験を語るときに、必ずしも心理的距離が近い者が優先されるとは限らない[田口,1997:163]。近すぎるからこそ話せないということは大いにあり得る。そのために、ワンクッションおくものとして自分史が活用されることもある。口述ではなく、書き留めて文章に残しておくことで、いつか伝えられればいいという執筆者もいる。筆者が読み進めている、信仰を持った人々の自分史のなかには、一緒に生活をしていても、自らのキリスト教信仰を子や孫へ伝えられかったという反省の思いから、自分史を書いて自らの信仰を伝えたいという執筆動機を述べていた者もあった[川又,1998a]。
自分史は、他人に伝えるものとしてであれ、自分自身を振り返るためものであれ、自らのプライバシーが直接描かれることに違いはない。近年、自分史の刊行が多いという現実は、我々が平易に自らのプライバシーを公表していることも意味している(16)。その一方で、親族など関係他者への配慮の欠けたことが原因となり、諍いに発展することもある。父を引き取って病院に入れたら体調が良くなったと自分史に書いたため、それまで面倒を見ていた兄弟に反発された例や、気のいい父が叔父の借金の保証人になったため財産を取られたと書いてトラブルとなったなどの例は後を絶たない(17)。
明かな事実誤認や誤解を与えるような表現のまま出版されてしまった場合、その後の取り返しがつかなくなる。「それがこの世に存在するかぎり、まちがいだまちがいだと語りつづけることになる」というテクストの本質は、自分史執筆者にとっても重大な問題である[Ong,1982=1991]。
福山はそれを防ぐ提案として、本を制作する場合に編集者の必要性を指摘している。福山だけではなく、自分史を指導している者たちは、周囲との摩擦に十分配慮するようにアドバイスしている(18)。だが、現実に多くのトラブルは発生している。これは自分史の執筆者たちに、プライバシーの重要性に対する認識が不足していることを物語っている。自分のことを書く場合、当然周囲の人間が何らかの形で登場する。だが、主人公たる自分に重きを置きすぎ、他の登場人物への気遣いが欠けてしまっている執筆者もいる。
口述生活史のように研究者の視点が入ったり、商業出版される本のように編集者の視点が入ったりした場合は、このようなマナーは最低限確保されるだろうが、自費出版の自分史の場合、すべての確認作業を自ら行わねばならないことが多いため、見逃してしまうことも多くなる。
プライバシーの大きな要素となっている「性」についても、現代では公の場で語られることがある。同性愛者たちが、自らの性的志向を他者へ伝えることは「カミングアウト」と呼ばれている(19)。小林は、多くの者が自分史を書く、現代のこの現象を「人生のカミングアウト」と表現した[小林,1997:6]。このカミングアウトの場合、出版という形を選んだならば、自己と向き合うカミングアウトから、一気に不特定多数へのカミングアウトとなる可能性が高い。にもかかわらず、その意味を十分考えて出版している者ばかりではないために、先述したようなトラブルが発生していたのである。
それでは、戦争体験を中心にした自分史を書き終えた人たちは、その後、どうするのだろうか。この回答の一つとして、新聞投稿へのアプローチが挙げられる。1970年と97年を比較すると、高齢者による投稿数が飛躍的に伸びているという[田上,1998:18]。その中には自分史講座で培われた文章力を用いて、身近な生活の様子を新聞投稿する者もいる[田上,1998:23]。パソコンを扱う高齢者も増えてきており、自らのプライバシーを他者へ明らかにしていく機会がますます広がってきていると言えるだろう(20)。
戦争体験など「貴重な体験」を後世代に伝えたいという動機を持つ自分史執筆者は、その貴重さゆえ、自分が主人公の物語を書きあげる。続いて、自分史を書く過程で得られた「書く技術」を他へ応用するようになる。その際、身近なプライバシーを語るようになる。書くこと自体が目的になるような人も出てくるのである。もちろん、それは決して悪いことではない。
3.<受葬>にみる自己表現
高齢者たちによる新しい葬法をめぐる動向に関して議論していこう(21)。なお、本稿で筆者は、死者を弔う儀礼全体を指し示す「葬送」という用語に対して、「受葬」という語を用いた。これは、弔われる立場の者が、生前から自らの葬送システムについて主体的に取り組む姿勢を重視して用いた語である。必ずしも十全たる用語ではないかもしれない。あるいは「自分葬」と表現した方が的確かもしれない。本稿では、現代の葬送全般ではなく、その変化の部分を強調してこの語を提案しておきたい。
(1)生前に考える死後
葬儀の生前契約や生前葬は、死後になされると思われるさまざまな儀礼その他のことに関して、自らが生きている間に自らのやり方ですませようという考えに基づいている。
「Lissシステム」という民間会社は、もともと永代供養墓「もやいの碑」を運営していた者たちが、死者の意向と遺族の意志とが異なるなどの問題を防ぐために、1993年10月に自らの葬儀や墓などに関して、予算や支払い方法・形態などを生前に業者と契約しておくというシステムとして立ち上げたものである。95年には全日本葬祭協同組合連合会が同様の「ifシステム」を始め、同年には、東京海上火災保険の関連会社と葬儀社が協同出資した「日本FAN倶楽部」も結成された。いずれも、自分の望む葬儀や死後の残務整理などのための制度と言えよう。
近年開かれる葬儀社の学習会には多くの参加者が集まっている。また、「日本FAN倶楽部」では98年9月現在で約1万3000名が会員となっている。後にみる散骨のように、今後大きな潮流となる可能性もあるだろう。
1990年以降、生命保険会社では生前(生存)給付保険が注目を集め出した。その中でも、ガンなど三大成人病の治療・入院費用となる「三大疾病保障保険」の他に、余命が6カ月以内と診断された場合、保険金の前払いを請求できる「リビングニーズ特約保険」が登場すると、多くの申込者を集めている。このシステムも、生前に自らの死後のことを考える人々が多くなってきた例証となるだろう。
自ら新しい葬法を望んでも、遺族の都合が優先されるということはよく聞く話である。上記のシステムはこれを防ぐという目的もある。
現代の葬儀に関する著書で知られる井上治代は、個人の人生とその葬儀に関する意志 を残しておくために、簡単な自分史と自らが望む葬法に関する遺言を一冊にまとめられる本「遺言ノート」を著した[井上,1996]。
現代日本では、地域差もあるが、地縁・血縁関係者ではなく、葬儀社が葬儀の中心的役割を果たすことが多くなっている。生前契約も、大手の葬儀社が導入している。そして、簡単な自分の経歴や写真、葬儀に関する意志などを書き留めておくノート、いわば簡易「自分史」を発行している葬儀社が幾つもある。
現代日本では、地縁・血縁などのつながりの中にある葬送システムばかりが受け入れられているのではない。個々人と葬儀社の契約にもとづく葬送システムがある程度定着していると言えよう。そのような状況の中で、個々人が生前に、自らの死について考えるということになっていったと考えられるだろう。
(2)継承者なき葬送
散骨とは、遺灰を海や山へ撒く葬法である。現代日本においては、1991年10月「葬送の自由をすすめる会」が相模灘で船上から死者の遺灰を海に流したのが口火となる。法務省は「葬送のために祭祀で節度をもって行われる限り問題なし」という公式見解を示し、以降、この散骨つい葬法が広く知られるようになった。
この会は焼骨を粉にして海や山へ撒く葬法を「自然葬」と呼んでいる。自然破壊である墓園の拡大をやめ、葬法の自由を確立することを目的にして、それを広めようとして運動を始めたのである。会結成以降現在に至るまで、度々マスコミにも取り上げられ、それを見た人々が続々と会員になっていった。99年1月現在、全国に13支部があり約7700人の会員がいる。全国各地の海・山、さらには海外などで、269回の自然葬を行い、490人を自然へ還したという。この会は会員の希望により自然葬を行うだけではなく、会報や討論会などで、遺言の書き方や葬儀の手順などを詳細に提示し、さまざまなシステムを確立させている(22)。
現代よく見られる「○○家の墓」「代々の墓」などの家墓は、日本古来のものではなく、明治以降の公営墓地から一般化していったものである。この家墓は、同じ墓に世代を超えた同じ「家」の成員が埋葬されるという先祖観によっている。だが現在、子供のいない夫婦、独身者など、家墓に合わない人々に対して、永代供養墓なども登場している(23)。一定の管理料を支払うことで、寺や霊園などの管理者が長期にわたって管理・供養を行う契約に基づいた墓である。筆者は1996年春に首都圏約10カ所の永代供養墓を調査したことがあるが、それらの墓地の申し込みは80年代後半のいわゆるバブル経済のときと比べて沈静化しているとのことであった。だが、東京巣鴨にある「もやいの碑」などのように、現在も申込者が絶えないところもある。
散骨と永代供養墓が登場してきた背景には、従来の「家墓」に該当しないような人々、すなわち、子供のない者や家墓の祭祀を任されていない傍系の者などがその中心的な担い手であるということを無視してはならない[松本,1996]。
新しい葬法を選択する人々とて、「家墓」も選択肢の一つにあるが、世代を越えた継承の保証がない状況で、いわば「墓共同体」にその継承を委ねる形として永代供養墓や、散骨などが浸透してきたとも言える。
厚生科学特別研究事業(主任研究者 森謙二)によって「墓地に関する意識調査」が1998年2月に行われた[森謙二他,1998]。散骨は「本人の希望があれば認めてもよい」と答える者が69%あり、永代供養墓は「承継者がいなければやむを得ない」という回答が58%だった。いずれも積極的賛成といえない回答だが、これらの葬法が一般の人々の間に、少なくとも意識の上では定着していると読みとれるだろう。
(3)墓碑に託すもの
都市部の公園墓地などでは、家名と戒名と建立日だけではなく、さまざまな内容のものが刻まれてある墓碑銘(エピタフ)を、見かけるようになってきた。キリスト教信徒の墓碑には、十字架と共に、聖書の一節なども刻まれている(24)。墓碑に自らの好きな言葉や、自らの略歴を刻むことも自己表現の一つの現れと見ることは可能だろう。
在日韓国・朝鮮人の墓碑を考察した李仁子は、始祖・渡日記録・個人史・遺訓や被納骨者への賛辞などの文言が刻まれる墓碑が、李の調査した在日韓国・朝鮮人専門墓園では半数ほど見られたという[李,1996:401]。李は、その調査に着手した理由を、墓碑にさまざま個人情報を刻む在日韓国・朝鮮人にとって、墓というものが「死者を埋葬」し「祖先を記憶する装置」としてだけではなく、「様々な表現のメディア」として重要だと述べている[李,1996:394]。この墓碑銘に関する実態調査は管見ではほとんど見られない。そこで、本稿では、その数少ない報告の一つとして鈴木岩弓の調査を概観しておこう[鈴木,1997]。
鈴木の調査とは、仙台市に二つある市営霊園の一つで、墓石の建立年が明確になっている6500基を対象として平成8年に実施したものである(25)。まず、墓石の形態は、台石の上に直方体の石を乗せた「和型」が全体の4分の3を占めていた。しかし、この割合は年々減少し、台石の上に高さより長い底辺をもった板状の石を乗せた「洋型」が、平成8年には和型と同数を占めるほど普及してきた。この「洋型」は横長であり、「文字を複数行書いても空間的に無理」がなくなり、「書かれる文字内容全体に自由度が増」すという効果をもたらす[鈴木,1997:49]。
鈴木は、イエ意識の指標として、家紋と家名が墓石にあるどうかも調べている。それぞれが刻まれていない墓石は、全体の平均で、5.4%および6.4%であった。墓園開設初年度に建立した122基のうち、家紋のない墓石は1基、家名のない墓石は5基だったのが、近年では年間400基前後が建立され、それぞれがない墓石は共に10%以上を占めていた。イエ意識の変化が多少読みとれるだろう。
だが、その変化は、必ずしもすぐに墓石への自由な表記とは結びかない。「和」「偲」「心」「愛」などの単漢字は、2件以上用いられているものをまとめると合計で137件、「やすらぎ」「やすらかに」「ここに眠る」などのことばは、3件以上用いられるものをまとめると84件に過ぎない。また、特別に変わった文章が墓石に刻まれているということもない。確かに、単漢字は最近4年間で10件を超え、平成8年は39件となり、若干の増加傾向が見られるが、それとて全体の1割程度である。
「受葬」に関して幾つかの事例を見てきた。生前葬や散骨・永代供養墓、自由な記述の墓碑など、いずれも先祖とのつながりの中に自らを位置づける従来の葬送システムでは考えにくいものであった。結局、自らが自らの選択した葬法で処理するシステムが「受葬」なのである。そのため、個人たる自分というものが強く意識されるのではないだろうか。
もちろん、このようなシステムが直ちに広範に浸透すると速断してはならないことは墓碑の例を見ても明らかであろう。現代の高齢者たちを中心とする人々がその端緒となったという段階だと思われる。
4.まとめ
これまでの議論をまとめよう。
まず、自分史に関して、「第二の生産者」の状況や、執筆動機・執筆後の様子、プライバシーの問題などを考察した。そして、自らの経験を「伝えたい」という強い動機のもとに自分史が書かれることや、戦争体験などを自分史に著した人々の中には、次に身近なプライバシーを文章化し、新聞投稿や友の会の機関誌へ執筆している者が少なからずいることなどが判明した。「表現」することの喜びを味わった人々はさまざまな機会に「書く」ことを実践しているのであった。さまざまなトラブルも含めて考えると、高齢者たちは自分史を「自己」の人生を表現する方法として取り組んでいると言えるのではないだろうか。
次に「受葬」に関して、幾つかの事柄を検討した。そして、従来の葬送システムに依拠できない状況の人たちや、自らの終末に対して後継者頼みにするのではなく、自ら主体的に取り組むという人たちがその中心に存在していることが明らかになった。その際に、現代ではさまざまな死の処理法がある中で、「自分」の望む方法を選択し得る状況であることが、幾つもの事例で確認できたと思う。ただしこれらはあくまでも全体の主流とまでは言えない。本稿では、特筆すべきとして注目しているのである。
以上の検討から、自分史を執筆する高齢者たちと「受葬」に取り組む高齢者たちには、「自己の存在証明」という共通する意識があることが抽出できたのではないだろうか。
自らの人生を綴って出版したり、独自の葬り方を実現していくことは、現代日本における高齢者たちの「人生表現」の方法の一つと見てよいだろう。そしてこの「人生表現」には、「個性豊かな自分の存在」示すため、「自己」が強く表現できる手段として、文章化や新しい葬法が選択されていると考えられる。
「家」に連なる自分としてではなく、ただ唯一の存在としての自分を、自分史や「受葬」によって子孫へ示そうという人々は、文字通り自己の「人生」そのものをあらわすために、自分らしさを目指してさまざまな表現方法をとっているように見える。ただし、独創性あふれる文章の自分史に出会うことはまれだろうし、墓石に見られる自由記述では、「和」や「やすらぎ」などきわめてありふれた語が用いられているのが現状である。現段階はまだ、その第一歩なのかもしれない。
大衆長寿社会においては、「死」をめぐる自己表現が今後も多くの人々によって達成されるであろう。我々は、常にその消費者でもあり、次なる生産者となるのである。
[註]
(1)「大衆長寿」の語を提出したものとして[Plath,1980=1985]を参照。また、平成7年の 国勢調査でも、高齢化が全国的にさらに進行したと報告されている。この場合、65歳以上の老年人口の割合が高くなったことを指しているが、本稿では概ね、60歳代以上の人々を高齢者としている。なお、本稿では扱えなかったが、生涯学習という観点で自分史を考察することも重要だろう[瀬沼,1995]。
(2)後述する北九州市自分史文学賞において、5回目までの応募者データが一部公表され ているので、それを確認しておこう[吉澤,1995]。応募者の年齢は、男性では60歳代と
70歳代がもっとも多く、女性では70歳代が多かったという。自費出版されたすべての自 分史を対象とした統計的分析は不可能に近い。1980年代に刊行された自分史をランダム に60冊選択したときに、70歳代がもっとも多かったという報告もある[小林,1997]。筆者 自身の調査の実感でも、60歳代以上が多かったようである。もちろん、自分史の執筆は 必ずしも高齢者ばかりではない。NHK学園の自分史文学賞(1999年3月)大賞受賞者は 31歳だったし、北九州市自分史文学賞の応募者にも20歳代や30歳代が、ある程度はいる。
(3)筆者の調査において、ワープロによる執筆を「六十の手習い」だと言っていた自分史 執筆者がいた。また、自分史を書こうとしても、自らの悪筆から躊躇っていたがワープ ロのおかげで書けるようになったと述懐する者もいた。ワープロなどによって平易に活 字化することが可能になったため、自らの文章を読み直すのが苦痛でなくなったような 人たちの存在が、自分史の執筆者数を押し上げたことは想像に難くない。ワープロなど の存在は、筆者の調査以前の予想以上に影響力が大きいようである。
(4)本稿の基本的な「高齢者たちの二つの自己表現のあり方」というアイディアは、すで に拙稿[川又,1998c]で示している。そこで紹介した事例に、他の事例やプライバシーに 関する議論を加えたものが本稿である。
(5)小林は、自分史の出版に関連する産業をこのように名付けた[小林,1997:10]。その 「物語産業」関係者の中では、「墓石を作る前に紙の墓標を作ろう」という言葉ととも に、1984年に自費出版センターを設立した福山琢磨がとくに幅広く活動している。新聞 印刷業が本業であった福山は、50歳を迎えた84年以降、自分史の制作に積極的に携わっ てきた。『自分史ノート』という記入式の自分史マニュアルノートを作成し(98年11月 で19版)、それをもとに「自分史作り方教室」をNHK大阪文化センターはじめ各地で 開催している。さらに福山は、自分史ノートをもとに、全国の印刷業者と提携して、自 分史の自費出版をフランチャイズ制で実施した。88年10月には「本の渡り鳥」という自 分史回覧サークルを始め、読者層の開拓をはかった(99年4月現在、会員約400人)。この サークルは会員の間で年間40冊ほどを選択・回覧し、感想をノートに書いて著者に送る 仕組みになっている。
(6)もっとも有名なのは、森鴎外記念事業として行われている北九州市自分史文学賞
(1999年1月で9回目。北九州市・北九州市教育委員会主催)であろう。さらに、私の物 語・日本自分史大賞(98年10月で2回目。日本自分史学会主催)、日本自費出版文化賞
(98年6月が1回目。日本グラフィックサービス工業会主催)、自分史文学賞(98年3月。 NHK学園創立35周年記念)など幾つかの賞があり、それぞれ多くの応募者を集めている。
(7)愛知県春日井市では、1999年秋に複合文化施設「文化フォーラム」を建設し、その中 の文芸館内に日本自分史センターを開設する。そのプレ企画として98年10月25日に「全 国自分史フォーラム」を開催した。当日は800名を越える観衆を集め、自分史に関する著 書を持つ藤本義一の講演や、NHK学園自分史講座講師・自分史文学賞受賞者たちによ るパネルディスカッションを行った。一方、自分史を生涯学習の一つと見なしている自 治体も少なからずあり、例えば愛知県半田市や岐阜県穂積町のように、自分史印刷費用 の半分を助成しているところもある。
(8)朝日新聞新聞記事データベース(コンパクトディスク。収録は1985年以降)で「自分 史」関連記事を検索したところ、1985年は6件に過ぎなかったが、徐々に増え、96年で は50件となっている。だが朝日新聞では、個人の歴史を伝える資料全てを「自分史」と 見なしており、歌やドラマなどで個人の生涯をあらわした作品も「自分史」に分類され ており、本稿の定義とは異なっていることは注意しておきたい。
(9)例として「自分史はへりくだりつつ自慢する」(93年9月5日)、「別人のような自分史 できあがり」(93年11月2日)、「自分史の人に知られぬ薄化粧」(94年5月19日)、「自分 史の粉飾決算花ざかり」(95年3月12日)、などがある(いずれも朝日新聞の「歌壇」よ り)。
(10)自分史と口述生活史の異同を簡潔に述べておこう。一般の無名な人物の個人史という 意味で共通している。だが、自分史は、研究者の媒介がないので研究者にとっては間接 的な資料となる。口述生活史は、研究者が口述者との対面的相互作用の末に編まれてい る。口述の段階で研究者が関与するため、研究者の視点がその口述資料のなかに反映さ れ得る資料と言えよう。この分類は極めて単純化した説明である。主観性・自律性と客 観性・他律性、相互作用の形式における自己・他者・自我・客我、などの視点で日記・ 書簡・回想録などを比較分類したもの[大山,1988:339]なども参照されたい。なお、筆者 は別稿で、自分史と口述生活史を詳しく比較検討したので、それも一読いただければ幸 いである[川又,1999]。
(11)自分史以外のテーマを含めた生活記録文集を資料とした、エイジングの内面化の問題 を追究した研究[田名部,1997;1998]、刊行された3冊の障害者の自伝を丹念に読み込み 共通する部分を見出した考察[田中
1998]もある。さらに、学校教育の場で自分史を用い た報告は幾つもある[土井,1989;中西,1992,他]。
(12)本稿の資料は、福島自分史友の会(1998年1月)、栃木自分史友の会(1998年4月)とも、 筆者が参加した例会と、その後の会員への数度にわたる個別の面接調査によって得られ たものが中心である。また、前者においては例会以前に会長・副会長に会の歴史や現況 を詳細に説明してもらう機会を得ている。
(13)福山の講演が契機で友の会を結成した例は多い。いずれも印刷会社がバップアップし ており、自分史の制作や会報・同人誌などを発行しやすいという利点を持っている。
(14)このデータは『My-History』43号(自費出版センター、1997年)、同46号(同、1998年) を参照した。また、戦争体験世代たちの座談会の報告もある[小林,1998]。
(15)平成7年の国勢調査での65歳以上の親族のいる世帯がそれ以外の世帯に占める割合は 29.1%で増加傾向にある。夫65歳以上、妻60歳以上の「高齢夫婦世帯」は、平成7年
276万世帯となっており、平成2年と比べると40%も増加しているという。
(16)高齢者の例に限らなければ、現代ではインターネットで誰でも検索できる個人のホー ムページに日記を掲載する者もある。そこでは個人の一日の出来事が書かれてある。不 特定の他者へ見せる日記の登場である。コンサートチケットの販売や友人恋人の募集な どの情報を掲載している「個人情報誌」も若者の間では定着しており、プライバシーが 他者に知られる機会は現代社会の中で非常に多くなってきている。
さらにこの議論が進むと、ボガードが言うように「誰もが有名かつ無名」という事態も 十分に想定され得る[Bogard,1996=1998]。さまざまなメディアにより露出しすぐに皆に 知られるようになることは平易であるが、逆に、すぐそれも忘れられてしまうのである。
(17)これは福山の報告である[毎日新聞,1996年6月21日朝刊]。
(18)例えば、東京大崎で自費出版図書館を運営している伊藤晋は、今後の人生を考えて 「書けないことは無理に書くこともない」と述べている[朝日新聞,1996年9月25日朝刊]。
(19)「カミングアウト」には、自己の自覚化・同じ同性愛者へ・特定の異性愛者へ・自ら の周囲の不特定多数へ・マスメディアへ、という五層があるという[矢島,1997:465]。
(20)1991年に開設された高齢者中心のパソコン通信「メロウ・ネット」の会員は1万人を 越しているという[読売新聞社編集局解説部,1997:37]。
(21)本稿では「受葬」をめぐる事例を中心に扱った。「大衆長寿」社会の死に関しては、 [濱口・嵯峨座,1995]もさまざまな現象を扱っているので参照されたい。
(22)会員数などは、葬送の自由をすすめる会の会誌『再生』32号(1999年3月)による。
(23)本稿で取りあげた、永代供養墓や散骨など、新しい形態の「墓地」を調査した槇村久 子は、これらを「都市型共同墓所」と位置づけた[槇村,1996]。槇村は、これらさまざま な「墓地」が、社会経済構造と家族形態の現実と、「墓地」の形態システムに明治から 引き継がれた家族の理念の矛盾を克服する形で登場したと見なしている。
(24)筆者はキリスト信徒たちの墓地や教会墓地を継続して調査している。その経験から現 代の信徒たちが墓地を新設する場合、家墓より個々人の墓を建てているという傾向が指 摘できる[川又,1998b]。また、確かに信徒たちは墓石に自らの好きな聖句を刻むことが 多い。ただしこの調査はキリスト教信仰と死者儀礼という本稿とは別の視点で論じられ ているので、本稿ではこの程度の指摘に止める。
(25)鈴木の調査は都市部の霊園調査である。そこで、村落部の調査を、前田俊一郎による 山梨県南都留郡河口湖町の公営墓地調査によって補足しておこう[前田,1999]。前田はこ の地域の公園墓地が建設された昭和59年から平成10年までに建てられた墓石・木墓標
388基を調べた。すると、墓石形式の洋型は全体で23基に過ぎず、木墓標40基を除いたほ とんどが和型であった。墓碑銘も31%が「先祖代々之墓」、29%が「○○家之墓」であ った。文字などを刻んだものは1基しか見られない。したがって、まだ墓碑銘が全国的 に大きく変化しているとまでは言えないのである。
[参照文献]
Bogard,William, 1996, The Simulation of Surveillance:
Hypercontrol in telematic
societies, Cambridge University Press.(田畑暁生訳,1998,『監視ゲーム−プライヴァシーの終焉』,アスペクト)
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濱口晴彦・嵯峨座晴夫編著,1995,『大衆長寿時代の死に方』,ミネルヴァ書房.
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川又俊則,1998b,「教会墓地にみるキリスト教受容の問題−日本基督教団信夫教会の事例を中心に−」,『年報社会学論集』,11,191-202.
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Technologizing of the Word, Methuen.(桜井直文・林正寛・糟谷啓介訳,1991,『声の文化と文字の文化』,藤原書店)
Plath,David W., 1980 Long Engagements: Maturity
in Modern Japan, Stanford
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: Power,Change and Social Worlds,
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《 英文要旨 》
Self histories are written by many aged
people in modern Japan said as
the mass longevous society. On the other
hand, there are people who choose
new style of funerals and cemeteries. It
seems they are some methods of aged
people's self-expression .
People who write their self histories
wolud to hand down their
characteristic thought to their posterity,
and to express unique exictence.
People do not to be buried cemeteries of
their own ie-no-haka, want to scatter
their bones and to choose eternal memorial
service cemereries, appeal thier
peculiar style.
Aged people think both actions as proof
of their own existences. It
considers that these phenomena are as the
various forms of the self-expression.
The two are fundamentally similar ways.
《 Key words 》 self-history, self-funeral
service ,mass longevous society