信仰の境界線
−キリスト教の「信者」類型を中心に−


1.本稿の視点
 日本の宗教社会学における「信者」研究を概観すると、次の三つを指摘できるだろう(1)。
 まず、「宗教意識・宗教行動」などの質問紙調査が多いことである。宗教の「受容者」と見なされた一般信者に対して、所属教団の教義をどのくらい理解し、その教えに基づいた儀礼をどの程度実践しているのか、などが問われていたのであった。
 次に、信者の具体的な信仰生活に関しては、信仰体験談や個別のインタビュー資料などで考察されているが、とくに近年は、ある教団に「入会」した信者の信仰が深化し「入信」に至るような過程に注目した研究が多いことである[伊藤 1997;菊池 1998;兼子 1999など]。これは、信仰の「入り口」の研究と言えるだろう。
 最後に、とくに1990年代になると、教団・教会などの宗教集団以外を対象に、例えば自己啓発セミナーやセルフヘルプグループ、そして精神世界などに関する研究が進められ、それに関わる人々への研究が進められていることである(2)。これは、いわば「宗教周辺」研究と言えるだろう(3)。
 筆者は、これらを指摘した上で、もう一つ重要な対象があることを主張したい。それは、「宗教集団の境界上にいるような人々」である。具体的には、教団行事にはあまり参加しないものの教団に帰属意識のある信者や、所属教団がなくとも「宗教周辺」ではなく、何らかの宗教の信者だと思っている者たちである。
 さらに筆者は、信仰の「出口」あるいは「迷い道」の研究は、「入り口」研究に比すとあまりにも少なかったことも述べておきたい。たしかに、特定教団に関する「脱会」の研究は散見する(4)。だが、教団から「自然消滅」的に離れた者や、教団から一時離れた後に戻ってきた者などについては、これまであまり問われてこなかったのである。
 明治期の代表的なクリスチャンである内村鑑三は、後に多くの研究者たちが指摘するように、回心に二段階があったという。一回目は、札幌農学校時代であり、これは外から「強制された」ものだったと自ら回顧している[内村 1958:26]。二回目は米国アマースト大学での留学中、シーリー総長との出会いを通じて実現された回心であり、日本に帰った内村は、周知のようにキリスト教伝道にすべてをかけて挑んでいった。
 信仰が段階を経て深まるというのは、何も内村のように希有な宗教者にのみおこるのではない。仏教系新宗教教団の妙智会で調査した西山茂は、信仰活動が休眠する「ねぼけ」と再び熱心になる「めざめ」という妙智会特有の語彙を用いつつ、信仰の螺旋的な深化過程を示した(5)。むしろこの考え方が私たちには親しみやすい。ある人が信仰を持ったとしても、そのときから突然、熱心な「よい」信者になるというわけでもないだろう。
 筆者は本稿で、これまであまり問われなかった「宗教集団の境界上にいるような人々」を研究対象に提案すべく、まず、信者という用語自体を検討する。そして「境界上」の人々をとらえることが、信仰の「出口」や「迷い道」などの研究を進めるために有益であることを、取り上げる事例によって示したい。
 本稿の構成は次の通りである。まず、2節では、さまざまな宗教のなかでキリスト教を中心に扱うことの意義を論じ、3節で「信者」を筆者なりに類型化し、4節ではそのうち3つの類型に適合的な事例を紹介する。結局、本稿は信仰の多様性を考察するための一試論と言えるだろう(6)。

2.キリスト教を取り上げる意義
 本稿では、日本のキリスト教を中心に議論していくが、それは、主に二つの理由による。
 まず、キリスト教は、信者(believer)と非信者(un-believer)の区分において、洗礼を受けたかどうかという明確な基準が用意されているからである。新宗教教団のなかには「入会」が比較的平易なところもあるのに対し、キリスト教では教会員となるために洗礼を受ける必要があり、「入会」は必ずしも簡単ではない(7)。
 次に、筆者は本稿で提案する「信者」類型が、とくに日本のキリスト教をとらえるために必要だと考えているからである。従来行われていたキリスト教の教会調査では、たとえ順調ではなくとも、教会生活を継続している信者たちが対象になっていた。他の宗教と同様に、キリスト教信者の中にも、何らかの理由で教会から離れた経験のある者が少なからずいることは、筆者の調査経験でも分かっている。だが、そのような教会離脱者を対象にした考察はあまり見られなかった(8)。
 そこで、さまざまなキリスト教信者たち(あるいは、これまで信者と認められなかったような人々)について、どのような対象なのかを明確にするため、「信者」類型を検討し、具体例で示そうというのである。
教会離脱者に関して、東京都大田区にある日本基督教団大森めぐみ教会で調査がなされた(9)。それによると、この教会は昭和2年の創設以降現在まで70年以上の歴史があるが、これまでに受洗者の4分の1ほどが、消息不明になってしまったという[岩村/森岡 1995]。
 もちろん筆者のこの主張に対して、教会生活を送ることが信者として必要不可欠だとの見方もあるだろう。受洗していない「非信者=ノンクリスチャン」を対象にしたのでは、キリスト教の調査ではないとの批判もあるかもしれない。
 「クリスチャン」はもともと「キリストに属する者」という意味のギリシア語である。ある者がクリスチャン、すなわちキリスト教の信者として教会の一員になるためには、洗礼という儀式が必要になる。また、キリスト教では、神とキリストによって召し集められた信仰共同体である「教会」と切り離して信仰は成り立たないと考えられており、従来の考え方からすれば、教会へ来ない者は、信者とは到底認められないだろう。
 しかし、日本のキリスト教は、教育や文学、美術などの面ではかなり社会に浸透しているとも言えるだろう。日本のカトリック教会が1977年に実施した質問紙調査の結果から、ほとんどの日本人はキリスト教について何らかの知識をもっており、また、教会学校やキリスト教主義学校、書籍などで直接キリスト教に接触する機会を持つ日本人も多いことが指摘されている[スィンゲドー 1981]。
 上記のような教育や文学などを文化的受容と見なすならば、日本社会においてキリスト教は文化的にかなり受容されていると言えるだろう。だが、教勢面を宗教的受容とするならば、相変わらず人口の1%前後の信者数しかいないという状況にあるのも事実である。
 したがって、このキリスト教受容のアンバランスを追究するためにも、教会での熱心な信者以外に関する調査研究が、今こそ必要なのではないだろうか(10)。前節で述べたように「境界上」の人々をとらえたいという本稿の視点は、とくにキリスト教において必要だと思われるのである。

3.「信者」類型の提案
 鈴木範久はすでに今から20年以上も前に、日本のキリスト教について、信者・非信者だけの区分の有効性に疑義を唱えた[鈴木 1978]。そして鈴木は、「教団とは結びついていない」がキリスト教関係の文学作品をよく読んでいる者や、キリスト教主義学校出身の者たちなどを「周辺信者」と見なした[鈴木 1978:17]。
 前節で述べたように、文化的受容が中心となっている日本のキリスト教を考える上で、鈴木の指摘は重要である。だが、信者・周辺信者・非信者の区分では、教会を離れた者や洗礼を受けていなくても信者と自覚ある者などをどこに分類できるのかは不分明である。
 そこで筆者は、信者とその周辺の人々を少し細かく類型化することにした。
 すでに拙稿では「信徒周辺」という概念を提示している[川又 1998]。本稿では、クリスチャン以外も視野に入れて、これを「信者周辺」(marginal believer)と換言して議論を進めよう(11)。
 ではまず、信者とは何かを確認しておこう。一般には、何らかの信仰を持っている者のことであり、宗教集団においては「教祖」「聖職者」などに対して一般のメンバーを指している。本稿では限定的に、ある宗教集団において「入会」と「入信」を兼ね備えた者のみを信者と見なすことにする。キリスト教のように、メンバーシップを得ることが比較的厳しい宗教においては、この二つは同時に獲得されることが多い。
 例えばプロテスタント教会の場合、日曜礼拝に継続して通うようになると、次には説教をより深く理解するため、また自らの信仰を深めるために、聖書研究会でキリスト教の教えを学び始める。そして、ある程度学んだ後、キリスト教信仰を受け入れることを決意・自覚した上で、牧師や教会役員などによって信仰の試問を受け、クリスマスやイースターなどのときに洗礼を受け、そこで、正式な教会員となるのである。
 信者を上記のように狭く規定した上で、さらに、信仰生活を中断した者と継続している者に二分し、「継続信者・断続信者」としておこう。この区分により、信者の中にもさまざまな信仰生活があることを、後の事例で確認できるだろう。
 「信者周辺」とは、「入会」「入信」の一方が欠けている、もしくは双方とも途中である者を指す。換言すれば、教会側が信者として認知しているか、本人が信仰を持っているとの自覚があるか、という両者が整っていない状態の者のことである。
 宗教集団への加入が簡単な場合、「入会」しただけの者はまだ「信者周辺」である。そして、その宗教の信念体系を受容するに至った、つまり「入信」した場合、信者になったと見なすのである。
 キリスト教の場合は、礼拝に出席していても受洗前の者は「求道者」と呼ばれる。これは「入会」「入信」とも途中の者であり、「信者周辺」と見なしてよいだろう。「求道者」以外にも、受洗した後に教会を離れてしまい、教会に通わずに、だが、個人的に信仰を持っているとの自覚がある者や、受洗に至らず教会へも通わないが、クリスチャンとしての自覚がある者は「信者周辺」に含めることにする。
 キリスト教ではよく「棄教者」という語も使われる。受洗した後に、信仰を棄てた者のことである。これも「信者」類型において重要である。
 また、武田清子はかつて、「キリスト教とある程度の接触をもっただけで、福音との決定的な対決・回心を持つことなしに、ある期間を経てキリスト教から離れる人々」を「卒業クリスチャン」と呼んだ[武田 1967:15]。このような、キリスト教に触れる機会を持った人々は、近代日本のプロテスタント史を通観するときに、数多く発見することができる。これらは「信者周辺」のさらに外延にある「接触者」と見なすことができるだろう。この「接触者」には、キリスト教主義学校の卒業生や、教会学校経験者、キリスト教文学の愛読者などのうち、信者にも「信者周辺」にもなっていない者が含まれる。
 以上の通り、筆者は「信者」類型として「継続信者・断続信者」、「信者周辺(キリスト教の場合は、受洗した信者周辺・受洗しない信者周辺)」、そして「棄教者」、「接触者」を提案する(12)。これまでは「継続信者」の研究が多かった。そこで本稿は、「断続信者」「受洗した信者周辺」「棄教者」、という3つの類型に対応した事例を提示する。それぞれの信仰生活を概観することで、これまであまり研究されなかった「信者」研究の一部を示したいのである。

                 【 図 】

4.3つの事例
(1)資料としての自分史
 本節では自分史の記述を中心に扱う。そこで、自分史について若干説明しておく。
 自分史とは、執筆者が自らの無数にある人生上の出来事のなかで、当人が重要だと思われる出来事群を自分自身で取捨選択し、それらを主観的に連関させてまとめたものである。
 「転職」を考察した大久保孝治は、「転機という主観的な現象を分析しようとするとき」、「人生の客観的な記録ではない」がゆえに、自分史を「重要度の高いデータ」だとして取り扱うと主張した[和田/大久保 1991:73]。筆者はこれに同意する。「信仰」という主観的な現象を分析するために、自分史は適切な資料だと思う。
 日本の社会学において、近年、ライフヒストリー研究が多く公表されるようになってきている。その代表的な資料である口述生活史は、対象者たる口述者と研究者との対面的相互作用によって得られた口述資料をもとにした個人史である。これと自分史を同等の価値ある資料と見なしている筆者は、すでに両者を比較検討したことがある[川又 1999]。それぞれ長短がある資料だが、本稿では、教会における調査ではなかなかとらえられないような対象を扱うためにも、自分史を中心的な資料として扱ったのである。
 これまでの自分史研究は、いろいろな方法で進められてきた。まず、多くの自分史を集め、個人の生活歴の部分を量的に分析する方法がある。次に、生活歴だけではなく、個々人の生活過程を考察するために、個々の表現を引用しつつ、彼らの思考を追っていく形で分析を試みる方法がある。さらに自分史執筆者へ面接を行い、口述生活史を得て、その二つの資料を軸に何らかの考察が加えられるという方法がある。
 本稿で筆者は、基本的には二番目の方法を採用する。
 自分史の選択方法を述べておこう。まず、自分史を収集している二つの図書館(BOOKギャラリー上六、自費出版図書館)へ行き、そこで所蔵していた自分史をすべて読むことから始めた。蔵書数はいずれも徐々に増しているが、筆者は99年5月現在で2500冊弱の自分史を読み、その内容を調べて、キリスト教信仰について書かれてあるものを探した。
 この作業の際、自分史執筆者の年齢など重要な基本属性が記載されていないものや、短歌や写真などがメインテーマになっているもの、遺稿集として他の編者によってまとめられたものなどは除いた(13)。この結果、得られた自分史は、全体に対してその1%程度であった。
 なお、取り上げた自分史執筆者の一人には面接調査も実施し、その内容を確認したり、書かれていないことなども聞き取った。さらに、後の議論のときには、自分史以外に、筆者がこれまでに行ってきた教会での調査で得られたデータなども援用した。

                【 表 】


(2)事例
 キリスト教「信者」の自分史を、筆者は現在22冊収集している。参考として上記の表に執筆者の基本属性などをまとめた。本節ではそのなかから3つの事例を取り上げ、信仰に関わる部分を中心に自分史を引用しながら、その生活歴を簡潔に記述した(14)。その後、それぞれの問題点を論じよう。

(A)断続信者
 Aは1930年に仙台で生まれた。小さい頃より、月2回ほど原因不明で発作を起こすので、良い病院に通うため、小学校高学年のとき、親共々仙台から東京へ転居した。そして家の近くの日本基督教団の教会へ通うようになった。病気もだいぶ良くなり、49年19歳のときにその教会で受洗すると、翌年の50年には両親も受洗。大学卒業後は、幼稚園の保母として勤務した。
 そして、何度かのお見合いの後、熱心な仏教徒のZ家で脊椎カリエスに罹っていた男性と60年4月に仏前結婚式を挙げた。結婚する際、「嫁として尽くす」ことを強く決意したAは、結局、日曜日に教会へ通うことは断念した。
 義父母が仏壇でお経をあげるとき、Aは「嫁として同じように手を合わせる」ものの、心の中では聖書の「コリントの信徒への手紙一」の第13章を思っていたという。
 Aは家事のときに「讃美歌を口ずさ」むことがあったが、夫が次第にそれに関心を示し出した。だが、すぐに二人で信仰の話をするには至らなかった。
 その後、夫が体調不良のためカトリック系の病院に入院した。すると夫は病床で、「本当の神はイエス・キリストと思う」と述べた。退院後、78年には二人で日本基督教団の地元の教会へ通えるようになったのであった。夫は同年12月に、娘も翌年に受洗した。
 だが、いまだに熱心な仏教徒である義父母に、教会へ通っていることは言えず、百貨店へ買い物に行くと言って、日曜礼拝へ通っているという。

(B)受洗した信者周辺
 Bは1916年に生まれ、尋常小学校高等科を卒業後、見習工として就職した。37年満州部隊へ航空兵として新京へ行き、40年に現役除隊となり、41年5月に結婚した。
 4人の子供と妻を抱えた52年35歳のとき、Bは結核に侵された。その入院中、ラジオで日本ルーテルセンターの放送を聴き「なぜか心引かれるものがあり、そのままじっと聞き入」り、「希望者には聖書通信講座と新約聖書を無料で送る」と聞いて、早速申し込んだ。贈呈された聖書を読み始め、隣室の学生から勧められた内村鑑三伝に深い感銘を受けると、「いつのまにか神に祈るようにな」り、「朝の起床前と夜の就寝前にはベッドに横たえたまま祈った」という。
退院後も聖書を読み続けたBは、「長いあいだ私の中に眠っていた罪が、聖書を通し、神のみ霊によって目覚め」、8月にはプロテスタント教会へ行った。だが「初めて見る教会の異教的雰囲気にはなじめなかった」という。
だが、書物を読み進めるなかで、十字架の贖いを理解したBは、ついに11月、牧師の勧めで洗礼を受けた。同時に、それまで家にあった仏壇を仏具屋に売却した。だが、「相変わらず儀礼的な説教や儀式ばかりで、信仰上益するものは何もなく、教会に対する失望は増すばかり」で、結局、教会を離れた。
Bは謄写印刷の自営がうまくいかず、ついには自宅を売却した。だが、「思いがけない大量の印刷注文」のおかげで「入学金納入の締切りまぎわに無事に手続きを済ませる」など、子供たちはなんとか高校や大学へ進学させた。やがて「タイプ印刷に取って代わられ」たので、50歳のとき印刷業を諦め、生命保険などの外交販売の仕事を始めた。
42年4月頃、51歳のときに無教会の聖書研究会に通い出す。だが、そこでの「聖書講義」は形式的で、「みたまによって燃やされた講義や信仰体験」が聞けず、さらに「余りにもさっぱりしていて冷たい」という雰囲気に不満と失望の情を抱き、一年余りで去った。自分自身は無教会であり「十字架の贖罪信仰」と「自由と独立の信仰」を持っているという。

(C)棄教者
 Cは1932年生の三男である。父は大手電気会社の専務取締役を経て退職後、キリスト教信仰に晩年の安心を求めた。キリスト教主義中学へ入学したCは、47年に日本基督教団の教会へ同級生たちと共に礼拝へ通うようになった。そして、戦後復興したその教会で初めての洗礼式が4月20日行われると、通い始めてまだ40日後にもかかわらず、受洗した。そのとき、Cは「洗礼を受けたという自覚をバックボーンにして、自分の生活を正しく律」しようと思ったのだという。
 その後しばらくは教会に通っていたが、50年に転居し、51年に私立大学商学部へ進学するようになると、Cは教会から「疎遠」になっていった。
 大学卒業後はスポーツ新聞社へ勤務したCは、記者となりますます多忙になる。58年に結婚したときは、司式を出身教会の牧師に頼んだものの、教会にはついに継続的には通わなかった。62年に30歳で退職し、その後、職を転々として、67年には商事会社を経営した。
 84年に脾臓の開腹手術を行い、その療養中に自分史執筆を思い立ち、85年53歳のときに刊行するに至った。
 Cは教会生活について、「宗教との交わりであると同時に、つまるところ、人間との出会いの場」であると、また若い頃にキリスト教と出会ったことについては「後年の精神面に多大の影響を持ち続け」たと述べている。

 Aのように嫁いだ先の「家の宗旨」が仏教だったため、義父母に遠慮して、あるいは「嫁の立場として」、自らの信仰するキリスト教の教会の礼拝に通えなかったと記述した断続信者の自分史は、筆者の手もとに4例ある。家族で一人だけ信仰が異なる場合の苦労は、教会における調査でも度々耳にする。Aのように後に家族を伴って教会へ戻れる例もあれば、晩年までずっと戻れない者もいることは、他の自分史などから判明している。
 Bのように教会生活に馴染めなくて「信者周辺」となる者もいる。もちろん、教会を離れると同時にキリスト教信仰から離れる者もいるだろうが、Bのように個人的に聖書を読み続ける者もいる。
 筆者の出会った断続信者に教会を離れていた理由を聞くと、男性の場合は仕事による多忙を述べる者が多く、女性の場合は結婚後の環境の変化を述べる者が多かった。男性の断続信者の一人は、しばらく教会から離れていたが、定年退職後、配偶者の死去を契機に元の教会へ戻ってきた。ただし彼の場合、新しく赴任してきた牧師がそれを可能にしたようである。教会から離れている彼に対して、牧師は度々、彼の家を訪問し、交際を続けていた。このような、牧師との個人的な関係なしでは、教会復帰はなかったと彼も述べている。
 青年時代に受洗し、その後、仕事が忙しくなるにつれ教会から離れたCの父は、晩年同じ教派の教会へ戻ったとCの自分史に記述されていた。そこで筆者はCに、現在の状況を問うたところ、「今は無神論者」であり「人と人との結びつきがないとなかなか信仰を守るのは難しい」と答えた。もちろん、信仰は個人的なものだが、教会生活には当然、それぞれに規律があり、ほとんどの教会では信者に何らかの役割分担を課している。教会内の人間関係が悪化したため教会から離れたのだと自分史のなかで述べている者もいる。
 Cのように、進学や就職などの転機は、信仰生活における転機にもなり得ることが示された。移動によって教会を離れることは教会指導者側からよく指摘されていたことだが、棄教者自らの記述によって再確認できただろう(15)。

5.若干のまとめと今後の課題
 本稿で筆者は、キリスト教を中心に議論し、信者とその周辺の人々について、「継続信者・断続信者」「受洗した信者周辺・受洗しない信者周辺」「棄教者」「接触者」に類型化した。その中で、教団・教会側による「入会」という基準以外に、「入会」と「入信」の組み合わせという基準を示し、「信者周辺」という新しい概念を提案した。そして、従来の研究などではとらえきれていない、「信者周辺」や「棄教者」などについては、自分史を資料に信仰生活を概観し、若干の考察を加えた。
 自分史の事例は3例しか紹介できなかったが、それでも、それぞれの特徴はある程度示せたのではないだろうか。
 基本的に筆者は、クリスチャンかどうかは、教会側の基準と同様に本人の自覚が重要だと思っている。教会を離れたからといって、ただちに信仰を失った者ばかりではないし、それぞれの状況においてさまざまな信仰生活をおくっていることは、幾つもの自分史で確認できるし、その一端は本稿で紹介できたと思う。教会での信者への調査と同様に、自分史など執筆者の意図が強くあらわれた資料を今後も重視したい。
 今後の課題で締めくくることにする。
 筆者の次の課題は、本稿で提示した類型を補強・修正するためにも、事例をさらに数多く収集することである。そのためには、自分史の収集だけではなく、さまざまな教会に赴いて、「継続信者・断続信者」などへの調査も継続するべきだろう。
 そして、現代日本のキリスト教をより多角的に見ていくためにも、「信者周辺」や「棄教者」の研究を少しでも進展させたい。そして、この「信者」類型が、他の宗教にも適用可能かどうかも、今後検討していきたい。

【註】
(1)筆者はこれまで「クリスチャン」を、一般的な邦訳としてキリスト教「信徒」と記述してきた。だが本稿では、その他の宗教も意識して、より一般的と思われる「信者」を採用した。ただしキリスト教が議論の中心なので、「クリスチャン」という語や、教会の一員という意味で「教会員」「会員」という語も、文脈によって用いている。また、信者ではなく「信者」と記述している場合、後の類型化で示す「信者・信者周辺・棄教者・接触者」などをすべて含めた概念として用いている。また「信者周辺」などの概念は、筆者が類型として新たに提示したものとして「」で括っている。
(2)自己啓発セミナーについては、芳賀/弓山[1994]や小池[1998]、セルフヘルプグループについては葛西[1998]、精神世界に関しては島薗[1996]、などを参照。
(3)これに関連して、社会の近代化にともなう「宗教」の機能の変化に注目した「世俗化」の問題も重要だが、本稿では紙幅の制限を考慮し、その重要性の指摘に止める。「世俗化論」の総括的な議論はDobbelaere[1981=1992]を参照。近年の日本の研究者たちの議論は、欧米の研究を論じた沼尻[1995]や藤原[1998]、日本社会の「世俗化」を論じた芳賀[1989]や林[1992]、などを参照。
(4)「脱会」研究の例として、天地正教に関する櫻井[1998]、ヤマギシ会に関する黒田/竹ノ山[1998]を参照。また日本以外では、世界基督教統一神霊協会を扱った[Barker 1984][Galanter 1989]、などを参照。
(5)西山は主観的事実である「入信」をとらえるために、「教団に対する諸種の宗教的コミットメントの観察」により間接的に確認した[西山 1976:2]。その際、実践的項目として、「過去帳への戒名記入」「おつとめ」「お導き」「お役」という4つを取り上げ、会員をタイプ分けして検討した。
(6)筆者は拙稿[川又 1998]を提出した後も、「信者周辺」に関する調査を続行し、また本稿に関連した口頭報告を何度か行った。「信者」類型について、いわゆる「データ対話型理論」を実践した結果が本稿だと筆者は認識している[Glaser & Strauss 1967=1996]。
(7)キリスト教信者の子供が「幼児洗礼」を受けた場合、後に、自らの信仰表明の儀式である「堅信礼(信仰告白式)」を行うことで、正式な教会員として認められる。
(8)死亡・転出以外に教会を脱落した者が1950年から60年までに増加したと指摘した例もある[日本基督教団宣教研究所関西ブランチ 1963:11]。また、今から20年前に、教会に行かなくなっても「私はクリスチャンです」などと述べ、信者という自覚のある者自体は多いという指摘があった[安齋 1979:72]。
(9)岩村信二牧師は会員名簿を調べ、「疎遠会員率」を割り出した。すると、戦前19年間の疎遠会員率は31%、戦後直後の平均は38%、60年代から70年代半ばまでは22%、その後調査時点までは9%であり、全体平均は25%だったという[岩村/森岡 1995]。
(10)キリスト教の伝道には、かつて多かった路傍伝道や、現在行われている文書配布、ラジオ・テレビ放送などの他、近年はインターネットを使ったものも見受けられる。少なくない数の教会・教団はそれぞれホームページを持っている。その掲示板の書き込みなどを見ると、非信者にもある程度受け入れられていることが分かる。これらについても、今後何らかの方法でアプローチしていきたい。
(11)鈴木との差別化、厳密には信者ではないとのニュアンスを含める、などの理由から、筆者は日本語としては、「周辺信者」ではなく「信者周辺」を提案する。
(12)武田は著名なクリスチャンたちを文献資料で検討し、クリスチャンのタイプを「埋没・孤立・対決・接木(土着)・背教」の5つに分けた[武田 1967]。例えば、「接木(土着)」は、その個人がそれまで持っていた信仰形態から何らかの要素を選択し、キリスト教の真理を受肉しようとするタイプで、賀川豊彦や内村鑑三が含まれるという。筆者の「信者」類型は、武田のようにキリスト教信仰に対してどう応対した信者かという観点ではなく、信者という用語自体を検討して、「入会」「入信」などを指標に用いて導き出したものである。
(13)キリスト教に関する記述があっても、他者が綴った伝記や記念文集など自分史ではないものも筆者は20冊ほど収集している。
(14)自費出版をしている自分史執筆者のなかには、研究対象になることは認めても、実名公表を望まない者もいる。本稿では、扱う事例はすべて匿名とし、その自分史の題名なども伏せておく。
(15)農村教会に通っていた若者が、その後都市へ進学・就職などで離れてしまう例がすでに報告されている。それによると、秋田県のある教会では、1960年から23年の間に約60名の会員を得たものの、84年時点の会員は約20名に過ぎず、他のほとんどが都市へ出て、消息不明になった者もあるという[星野 1984:40]。

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西山茂 1976「宗教的信念体系の受容とその影響-山形県湯野浜地区妙智会員の事例」『社会科学論集』(東京教育大学)23:1-73.
沼尻正之 1995「近代社会における『宗教』の位置-世俗化論・再考」『ソシオロジ』123:89-107.
櫻井義秀 1998「新宗教教団の形成と地域社会との葛藤-天地正教を事例に」『宗教研究』72(2):289-313.
島薗進 1996『精神世界のゆくえ-現代世界と新霊性運動』東京堂出版。
鈴木範久 1978「拡大する第三層を前にして」カトリック広報委員会『キリスト教に関する調査報告書』中央出版社:12-18.
ヤン・スィンゲドー 1981『「和」と「分」の構造-国際化社会に向かう宗教』日本基督教団出版局。
武田清子 1967『土着と背教-伝統的エトスとプロテスタント』新教出版社。
内村鑑三 1958(1938)『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫。
和田修一/大久保孝治 1991「ライフコース論とコーホート分析」『理論と方法』9:61-87.


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