論文以外の要旨(概ね800字) (03.08.11)


4.書評、報告書、辞典の項目など

サブタイトル付き題目 (400字詰め換算枚数)
15  NEW!! 日本の教会における死者の記念−仏壇・墓地・記念会の現況から 新刊につきご購入下さい!17枚
13 『東京・横浜のキリスト教会調査』(2001年度社会調査および実習23調査報告書)東洋大学社会学部社会調査室
12 評・Mullins,Mark “Christianity Made in Japan” 発表全文 20枚 
11 新刊紹介・大谷信介他『社会調査へのアプローチ』 発表全文 5枚 
10 森岡・宗教社会学と研究資料 発表全文 18枚『現代社会学研究』16号、143-146頁
目次 1.『わが歩みこし道』
2.一次資料への接近
3.キリスト教会調査
4.ライフヒストリーへの志向
09 書評・磯岡哲也著『宗教的信念体系の伝播と変容』  発表全文 10枚
08 新刊紹介・磯岡哲也著 『宗教的信念体系の伝播と変容』   発表全文 5枚
04 大衆長寿時代の自己表現−自分史と葬り方にみる
02 キリスト教信徒における死者儀礼の問題−教会墓地を中心に レジュメ & 発表全文(85枚57KB)
全文掲載   従来の実証的なキリスト教研究は、日本社会へ伝播・定着する過程における文化変容をテーマの一つとした。そして、個人的帰属が原則であるキリスト教も、特に先祖祭祀の影響を受けることや「家の宗教」化が信仰の安定を促すことなどの指摘があった。報告者は、家族墓が多く見られる現代日本において、教会指導者側の「死者儀礼」への対応と信徒たちの実態を分析することで、キリスト教の宗教的受容の一側面が理解できるのではないかと考え、特に墓地という宗教施設を分析対象に据えて研究を続けている。
 まず1994年春(1-3月)に東北地方の日本基督教団所属全149教会を対象(有効回答率64.4%)に実施した郵送法の「教会墓地調査」の結果、次のような平均像が見出された。「教会墓地は複数ではなく一教会単独で、教会の記念行事や教会員の寄付などの理由から保持する。1970年代以降に完成し、公営霊園内の区画を確保するが、実施の使用状況は4分の1以下である」。さらに指導者たちは教会墓地を「キリスト教会として」あるいは「信徒の実際的な要請への応答として」欲することが判明した。
 そして典型例として福島市の信夫教会を検討した。この教会では前任の小林牧師が40年間の在任中、キリスト教的な死者儀礼を色々と試みてきた。遺族に高さ20pの木製十字架を渡してきた。これは位牌代替物と見られなくもないが、そのため既製の仏壇を購入しなかったと述べる信徒もいる。毎月第一日曜日の礼拝では、その月誕生日を迎える教会員と共にその月に逝去した教会員の名前を読み上げている。教会墓地においては、最初に納骨堂を建設し、その後共同埋蔵のカロートを設けた。前者は家族墓を建設するまでの一時預かりとして利用され、後者はほとんど利用されていない。墓地に記帳ノートを置き、墓参者の記録も残している。信徒たちへの面接調査も踏まえ、以下のことが結論づけられた。
  「家の宗教」でなくてもキリスト教信仰を守れる現代では、墓地を家族の施設ととらえる者が多く、信仰の継承を子供たちに強制しない限りは、教会墓地を積極的に受容するには到らない。ただ、現時点では教会墓地というハード面の準備がようやく整いつつある状況だとも言えるので、今後、キリスト教信仰に基づく死者儀礼のあり方を、キリスト教信徒がいかに実践するかというソフトの問題になってきたとも言えるかもしれない。
 もちろん今後は他地域・他事象により上記の知見を確認していかねばならない。



5.学会発表

サブタイトル付き題目
11 昭和初期の宗教結社−荒川区の教会講社資料にみる
要旨   昭和一四年四月に成立し、翌一五年四月に施行された宗教団体法において「宗教団体」に認定されていない「宗教結社」に関する「教会講社資料」をもとに、時代社会的背景を考慮した上で、その「宗教結社」に関する若干の考察を加えることが本発表の目的である。東京都荒川区の現代の宗教法人に関する調査を長年続けてきた発表者は、本発表では、第二次大戦前の荒川区内に所在した宗教結社を対象とする。本発表は、昭和一五年時点の「宗教世界」を描きたいと思っている発表者にとって、基礎的作業の一つの成果と言える。
 宗教団体法は近代日本初めての統一的宗教法である。神道・仏教・キリスト教の各寺院・教会などが宗教団体として認定されたのに対し、いわゆる類似宗教などは、この法律でも「法人格」は与えられなかった。ただし「宗教結社」にはなり得るとされたため、各結社は届出をしている。その届出は宗教団体法に則って、宗教結社届、宗教結社規則、教義・儀式・行事、教典、布教所の位置、代表者の履歴書、家屋使用承諾書、信徒名簿、建物見取図がほとんどの「教会講社資料」に記載されていた(資料の散逸により一部欠けているものもあった)。幾つかの教派・宗派ではすでに雛形が印刷されていて、空欄となってある布教所名・代表者名・所在地のみ埋めていくものも見られた。
 荒川区は昭和七年に東京市へ編入する前は北豊島郡に属していた。明治末期頃には南千住地区などにさまざまな工場が進出していった。一方では農地が次々に宅地化され、関東大震災の後には東京市内からの被災者が多く流入し、人口が増加していった。
 発表者の共同研究者・磯岡哲也淑徳大学教授が天理教を担当している。それら(七五結社)以外、荒川区には合計一六一の宗教結社があった。宗教宗派別結社数は次の通りである。神道は合計七五。御嶽教二二、神道天善教一○、扶桑教八、神道修成派八、他である。仏教は合計七三。真言宗三○、日蓮宗二一、浄土真宗一一、他である。基督教は日本基督教会、日本聖公会など異なる教派が五あった。他に心霊界教会五、生長の家二があった。
 天理教の次に多い御嶽教の宗教結社届・宗教規則の一部を見ておこう。
 まず宗教結社届は、「御嶽教所属教師トシテ教義ノ宣布儀式ノ執行ニ従事シ居候処其ノ結集ニ関シテハ未ダ許可ヲ受ケズ依テ宗教団体法施行ニ際シ同法第二十三条同法施行規則第五十八条ニ準ジ規則並ニ添附書類相添ヘ及御届候也」とあり、その後、住所、昭和十五年×月×日、代表氏名、捺印、東京府知事」が記載されていた。次に、宗教結社規則は「宗教結社規則 (御嶽教所属)」の後に、「一 名称 第一條 本結社ハ御嶽教○○ト称ス、二 事務所 第二條 本結社ノ事務所ヲ○○ニ置ク」と続いていた。
 宗教結社の代表者・信徒・建物に関しては、次のようにまとめられる。
 代表者は全体の七割が男性だったが、神道においては女性が四割とやや多かった。また、神道の代表者は、学歴が他宗教に比してやや低かったが、それは、第二次大戦以前における日本での男女の学歴の差が反映していると思われる。信徒数は、神道において、少人数の結社が多かった。一方、仏教の結社は、宗派の区別なく、信徒数が多かった。これは荒川区内の各地区(尾久、町屋、南千住、日暮里、三河島)ごとに顕著な差は見られなかった。また、信徒たちの職業は実に多種多様であった。自営を中心にさまざまな職業を持つ者たちがいることが判明した。建物は、御嶽教の場合、二二結社の半数以上において、代表者は自宅を各結社の布教所にしていたことが判明した。そのうち持ち家は四人であり、二割に満たない。つまり代表者の借家を布教所として利用していることが判明した。
 これまでの考察により概観はとらえられたので、今後はより詳しい検討を試みたい。
09 ジャパニーズ・クリスチャンと墓地−東北・関東の事例を中心に
08 戦後ブーム期の受洗者たちに関する一考察−自分史を中心にして
07 ライフヒストリーに見られる回心−キリスト教信徒の事例より
06 宗教共同調査の検討
要旨   報告者は、日本の宗教社会学において、これまで看過されがちだった「宗教調査」に関心がある。そこで、1996年6月15日に開催された「宗教と社会」学会第4回学術大会において、<宗教研究における「調査」の問題>という大きなテーマについての個人報告を行った。その中で報告者は「調査倫理・分析枠組や記述・理論と調査の乖離」という問題に関して、社会調査における現在的な議論を概観した後に、「先行研究の調査の<再調査>と<Grounded Theory の利用>」を提案した。ただし、あまりにも問題設定が大きすぎたため議論が拡散してしまうという批判もあった。自らを含めた宗教研究者たちへの問題提起にはなったかもしれないが、質疑応答や自らの考察自体が消化不良気味だったという点は否めず、今後はもっとテーマを絞り、個別の問題に関して議論を積み重ねていく必要があるとの認識を持った。同時に、専ら「社会調査」という文脈で議論を展開させていたため、実際にこれまで行われた数多くの「宗教調査」についての丹念な検討を行っていなかった点が、報告者にとっての、もう一つの課題であると思われた。そこで今回は、これまでに実施された調査報告に関する検討を主たるテーマとした。
 しかし、すでに先の報告のときの質疑応答の際、「これまでの(宗教研究における)調査報告の中で議論に値するものは非常に少ないのではないか」というフロアーからの意見もあった。確かに、報告者がこれまで若干の検討を加えてきた、日本のキリスト教に関する調査報告においても、杜撰と言って過言でないものも確かにある。等しく「調査報告」と括っても、調査者自身が熟練しているかどうかなどの要因で、さまざまなレベルの報告になってしまうのは言うまでもない。学会報告において検討するに値しないと思えるようなものも当然出てくるだろう。しかし、それらをすべて黙殺してしまっては、「宗教調査」という問題を考える際にはあまり有益ではないのではないだろうか。というのは、それらをすべて無視して(報告者が有益だと思う)ごくわずかな調査報告のみを対象とすると、これまで看過されてきた「調査」に関して目を逸らすことになるとも思えるからである。既出の調査において欠点があるのならば、その欠点を明らかにする作業も、今後「宗教調査」の問題を考察していくには必要だろう(もしかしたら、報告者の読みが誤ったため、誤った評価を下すという可能性もあるだろう。そのときは、厳しい指摘をしていただきたい)。
 もちろん、報告者がこれまでに実施された(宗教現象を対象とした)すべての調査報告に目を通したとは言えない。どんなに網の目を張り巡らしていたとしても、くぐり抜けてしまう調査報告の類はあるだろう(だから杜撰なものあるのだろうか)。そこで、今回検討の対象としたのは、以下の調査報告である。すなわち、<柳川啓一・森岡清美他のハワイ・カリフォルニアでの日系人宗教調査>、<宗社研メンバーによる浜松調査>、<宗教社会学の会の生駒宗教調査(及びその周辺調査)>、<森岡他の湯野浜調査>、<宮家準他の解脱会調査>、<島薗進のゼミによる修養団捧誠会調査>、<九大比較宗教学研究室の新宗教調査>である。
 これらを選択した理由は、「何らかの形で出版されている調査」という点と、「共同調査」という点にある。ある研究者の単独調査についても多少言及するだろうが、今回の報告では、主に共同調査の報告に関して考察していきたい。その理由として、膨大な単独調査を選択して検討していくとなると、どのような選択基準であろうとも、抜け落ちるものが多過ぎるだろうということ、共同調査の報告を読んでいくと、いろいろな調査方法を用いているため、今回の「宗教調査」という大きなテーマについての検討ではより有益と考えられることが挙げられる。また、今回の検討対象として挙げた調査報告より古いものとして、九学会連合による調査報告など幾つかが挙げられるが、それは概観するに止めた。
 本報告で取り上げる「宗教調査」がいつ行われたものかという時系列的な視野からも検討したいと考えている。森岡清美が「(実証的研究)の傾向が本格化したのは1935年頃以降」(森岡「日本における宗教社会学の発達」『宗務時報』17号、1967年)と述べて、それまでの実証的な研究をまとめてから約30年を経ている。すべての調査は、時代的な拘束がどうしてもつきまとうものであろう。そこで、「宗教調査」がどのような変遷を遂げたのか(あるいはただ、何の進展もなく同じところを旋回しているのか)を確認していきたい。先に挙げた今回の対象は、日本の宗教社会学において基本的な調査報告であろうと思われる(これらはすべて、宗教社会学のテキストとして著された、磯岡哲也「社会調査としての宗教調査」井上順孝編『現代日本の宗教社会学』世界思想社、1994年。において参照されていた調査報告である)。
 近年「社会調査史」への関心が高まってきている。例えば1985年に発足した<社会調査史研究会>は、その成果を『社会調査−歴史と視点』(石川他編著、ミネルヴァ書房、1994年)にまとめたし、川合隆男らは『近代日本社会調査史(T)(U)(V)』(川合編、慶應通信、1989・91・94年)を公刊した。今回の「宗教調査」に関する議論が、これら優れた成果を不十分ながらも踏まえたものであることは、最後に申し添えておきたい。
04 「キリスト教の受容」研究の展望−先行研究の再検討と日本基督教団信夫教会の事例報告
要旨   報告者は既に、一昨年は日本基督教団東京教区所属の大森めぐみ教会における死者儀礼 の事例報告、昨年は日本基督教団奥羽・東北教区全体の質問紙調査と幾つかの教会におけ る、特に墓地に関する報告を行った。
今回はその総括的内容として、まず先行研究の再検討を行い、更にそこから引き出され た問題点に対する報告者なりの研究を提示する。
 日本でキリスト教が受容されていく過程は、一つの教会における徹底的な調査研究とい う方法や、受容されたキリスト教の全体像(渡来以降の歴史の概観や日本人による神学理 解など)を検討する方法などで追求されてきた。報告者も二度の報告を通じて、カトリッ ク教会調査やプロテスタント教会調査に関しては、その先行研究の一部を検討している。 社会学者や人類学者によって「文化変容」の考察として進めれた教会調査では、外来宗教 であるキリスト教と伝統的な宗教習俗との対峙、受容されたキリスト教の変容などが明ら かとなり、そこから幾つかの結論が導かれた。一方、前報告では詳しくは検討していない が、日本での伝道が(戦後すぐも、現在でも)信徒数で見るかぎり進んでいない状況につ いて、多くの教会指導者たちが議論している。
 キリスト教の受容を再検討する意義がどこにあるのか、さらに、この研究は何を視野に 入れているのか、先行研究には何が課題として残されているのか。報告者はこれらを明確 にし、この研究を整理しようと思っている。
 当然、再検討しただけでは不十分である。そこで明らかとなった現代的課題に関して一 つの事例研究を報告する。今回事例としてとりあげるのは、日本基督教団東北教区に所属 する信夫(しのぶ)教会である。報告者はこの教会で、昨年以来牧師や信徒への自由面接 などの調査を行っている。そこで得られたデータをもとにして、「墓地」に焦点を当てた 研究を提示したい。報告者は昨年より「墓地」にこだわっているが、それは「墓地」がキ リスト教の受容、そして定着という過程においては、重要な意味を持つ施設と考えるから である。昨年の課題だった信徒への調査を進め、更に「教会墓地」以外の墓地、という点 についても考察を行った。
 なお、検討した先行研究は報告当日配付するレジュメに参照文献リストとして提示する ので、ご覧頂き、もし不足があれば、ご教示賜りたい。
03 キリスト教信徒と墓地−日本キリスト教団の事例による考察
要旨   これまでの「日本におけるキリスト教研究」では、「キリスト教が日本社会へ伝播・浸 透・定着する過程における、相互の文化変容」の考察をテーマの一つとしてきた。その成 果として、明治初期のプロテスタンティズムの農村部への受容やカトリシズムへの集団改 宗などの事例報告が幾つも見られる。さらに研究が進展し、信徒と非信徒の宗教的態度の 比較や、二代目・三代目以降の世代の信徒を対象とした調査なども見られ、対象時期につ いても明治期から現代までと広がってきている。
 しかし、これらの先行研究では、キリスト教の受容を総合的に観察分析していたせいも あろうが、特に、記念会等の儀礼や墓地問題に対しては、わずかな例外を除いて余り触れ られていなかった。そこで、報告者は「死者儀礼」に関する調査を行っている。本報告で は、その中でも特に墓地に焦点を絞った。キリスト教信徒としてのアイデンティティ確立 のため、またその信仰を貫徹するためにも、教会は墓地を自ら建設することが要請される。 一方、日本社会では墓地は一般に各家族の宗教施設である。そこで、宗教集団として、キ リスト教会がどのように墓地に関して対応しているか、また、信徒が墓地に関してどのよ うな言動をとっているかを明らかにすることで、その宗教的受容の一側面が理解できるの ではないかと思ったのである。
 今回の報告では、先行研究で多かった各個教会へのインテンシヴな調査ではとらえられ ない全体像を把握したいと思い、共時的な実態調査から考察した。歴史的背景を押さえ、 かつ複数の教会でのより詳細な調査は今後行うとして、現段階までの考察を報告する。
 一九九四年一月に日本基督教団の奥羽・東北教区全教会を対象に実施した質問紙調査に よれば、牧師たちは、積極的か消極的かという差異はあるものの、ほぼ全員が教会墓地の 必要を述べている。また、その調査による教会墓地保持教会の平均像は次の通りである。 「教会墓地は、複数ではなく一教会単独で、創立何周年かの記念行事や教会員の寄付など の理由から保持する。また、墓地は一九七〇年代以降に完成し、公営霊園内の区画を確保 するのだが、実際の使用状況は四分の一以下である」。また、実際の見学などにより、教 会墓地を「埋蔵形態・保持形態・場所」によって、以下のように分類した。
 〔埋蔵形態で〕@分譲式、A共同埋蔵式(以上、墳墓型)B棚式、Cロッカー式(以上、 納骨堂型)。
 〔保持形態で〕a単独保持、b複数保持〔場所で〕x寺院、y共葬墓地、z造成地。
 さらに、信徒への面接など含めた考察から、キリスト教信徒とその墓地に関して以下の ような仮説が立てられた。
 @教会指導者はキリスト教の伝道という広い意味で教会墓地を必要だと思っている。し かし、実際に教会墓地を保持しても、信徒の利用頻度は高くない。
 Aその理由の一つは、信徒が墓地に対してキリスト教信仰の証であるという観点に立つ のではなく、個々の家族で保持・継承すべき施設だという規範を持つことによる。
 Bもう一つの理由としては墓地の形態と関連する。墳墓型分譲式では、家族の個々の墓 とあまり変わりなく、信仰の継承がうまく行かないときに問題が発生する。墳墓型共 同埋蔵式では、心理的違和感から利用されないこともある。納骨堂型は一時的利用以 外には信徒にあまり受け入れられていない。
02 キリスト教における墓地−日本基督教団奥羽・東北教区の事例より
要旨   本報告は、昨年に引き続き、キリスト教の死者儀礼を問題にしている。昨年は日本基 督教団東京教区所属の大森めぐみ教会における事例研究を行った。死者儀礼というと一 般には仏教的な儀礼が多いが、それに対してキリスト教的意味付けをした儀礼を信徒に 提案する牧師と、その意向に沿いつつも、なお一方では家の中に仏壇を放置したり無宗 教霊園を求めたりという現実的な対応をしている信徒との意識・行動の相違を指摘した。 そこで、今年は他の教会を扱う。
 死者儀礼へのアプローチとして今回は主に墓地という宗教施設を扱う。墓地は信徒が 各々持つ他、教会自体が保持する場合がある。そしてその決定には教会指導者の意向が ある程度反映されよう。人間の生死と関わる宗教組織である以上、自身が墓地を保持す るか否かは大きな問題である。かつ、死者儀礼を論ずる場合、家庭内宗教施設の保持管 理や儀礼の実修より、墓地の方が他教会との比較を容易にする。そこで本報告ではキリ スト教教会における墓地保持へのプロセス、現状等を考察する。
対象は東北地方の教会とした。東京は他と比べても公営霊園が整備されており、それ を保持する教会も多い。しかし、他の地方では行政側が墓地に関してそれほど充実した サービスをしているとは考えにくい。そこで教会の墓地保持に関する問題点がより表出 しやすいだろう。また、教会調査が東京およびその近郊では幾つかあるが、私見では殆 どないこともあり東北地方を扱うことにした。大森めぐみ教会との比較も考慮して、日 本基督教団所属の教会を対象とする。
 方法はこの地方全体の実態と教会指導者の意識を把握するために質問紙による郵送法 の調査、それをもとにした事例研究を行った。まず、1994年1月に「教会墓地」に関し てその実態と保持意識を尋ねた質問紙の調査を教会代表者(主に主任牧師)に対して行 った(有効回答率は64.4%)。それを下敷きに二三の教会についての具体的な事例を報 告する。
 本報告では、その質問紙の分析とそれに基づいた事例の報告をする。詳細は当日配布する。
01 現代キリスト教信徒の死者儀礼
要旨   キリスト教渡来以降、信徒は伝統的宗教習俗に対峙していた。特に江戸末期、或いは 明治初期における先祖祭祀への明確な対決姿勢は、多くの資料により示されている。そ れは、キリスト教の信仰にとって先祖祭祀が、相反するものだったからに他ならず、当 時の信徒は純粋に、仏教様式の先祖祭祀が自らの信仰に矛盾していると考えたからであ ろう。しかし、現代の信徒においては、対決姿勢といったものが顕在化してはいないよ うである。それが事実なのか、それとも潜在化しているのか、或いは消滅してしまった のかという点について、一つのプロテスタント教会を事例に報告する。
 今回調査した大森めぐみ教会は、東京都大田区にある日本キリスト教団所属の教会で、 65年の歴史を持っている。また、信徒数は約600名であり、教団に所属する東京都内の 約400の教会の中でも上位であり、大規模な教会と言えよう。ここで行った教会員に対 するアンケート調査に基づく統計が本報告の基礎資料となる。
 前述の対峙というものが、キリスト教信徒の中でも主に初代に多いことは想像に難く ない。彼ら以前の世代は伝統的宗教習俗を受容していたのに対し、彼らはそれを拒否し ているからである。一方、二代目以降は環境が初代とは大きく異なる。家族の中でも信 徒が多数を占めている場合もあり、環境が整っていると言えよう。よって、それらを考 慮すると、今回の研究において、特に初代信徒に注目する必要があると思われる。そこ で、分析では主に、初代信徒と二代目以上の信徒とに区分した。また、幾つかの儀礼の 中でも、死者儀礼は家族・親族を無視して行えるものではない。従って、これに関する 対決的状況は他の儀礼にもまして大きいと予想される。そこで、その他の儀礼や家庭内 の宗教教育等の事柄ではなく、死者儀礼に焦点を据えた分析を心掛けた。具体的には、 仏壇・墓地という家庭内外の宗教施設の保持とそれに関する実修、死者儀礼の出発点と なる葬儀と法事と対応する記念会という儀礼の方法・実修等についてをみることにした。 調査票による206名の統計分析が中心となるが、先祖祭祀との関わりについて座談会や 面接を行っているので、信徒の具体的な意識や行動についてより実態的に捉えた。
 だが、一つの教会調査の分析は、そこに属する信徒の実態を明らかにすることが主な 目的であるから、現代の初代信徒と以前との比較ができない。そこで、他の調査との比 較、及び明治期の資料に拠って初代信徒の意識の変化について、若干の考察を試みる。 まず、他の調査に関してだが、都市の教会における調査は私見では数少ない。そこで、 それと農村での調査報告を、大森めぐみ教会調査と比較した。農村での調査は1960年代、 70年代のものを一つずつ見る。だが、この二つはいずれも農村でのキリスト教の受容を 中心概念としている。従って、私の資料である大森めぐみ教会の事例とは、視角が異な っているため、全面的な比較というわけではなく、便宜的に幾つかについて見た。そし て、更に初代信徒の意識に変化があるかという点に関して、『植村正久と其の時代』等 の著作、資料によって、明治期の信徒をもう一度見直す。これらについて、歴史的・社 会的環境の異なっているものなので、単純に結論付けられないと留保した上で、なお、 今後の研究の深化のために、この比較ということを考えたのである。勿論、今後の課題 として、他の教会の調査等を実施してみる必要があろう。
 最後に、大森めぐみ教会調査の分析結果の一つとして、死者儀礼に対する牧師側の 「キリスト教的意味付け」が、信徒に十分に浸透していないということを挙げておく。 この教会には納骨堂が敷地内にあるにもかかわらず、利用数は少ない。また、キリスト 教式祭壇も仏壇より保持している世帯が少ないのである。この教会では初代信徒が6割 程である。そこで、家族・親族との関係上、すべてをキリスト教式にできないというの が代表的な意識である。明治初期のキリスト教を、仮に日本において黎明期と呼ぶなら ば、それから100年以上経過した現代のキリスト教は成熟期或いは定着期と呼べるかも 知れない。しかし、依然として、仏壇や寺院墓地との関わりにおいて、特に初代信徒の 葛藤は止んでいないのである(葛藤ではなく、自ら意味付けをして、仏壇や寺院墓地を 保持しつつそれで解決している信徒や、未解決のまま放置している信徒もいる)。

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