「宗教と社会」学会・プロジェクト:「日本社会とキリスト教」第4回研究会
2000.3.27(mon) 於:駒沢大学
「日本社会とキリスト教」に関する社会学的研究のサーベイ−成果と課題
明治大学
孝本 貢
成城大学民俗学研究所
川又俊則
・・以下、文責川又
1.報告の範囲と文献収集方法
今回の報告は、いわゆる社会学的研究(とくに事例研究中心)に限定した。したがって、神学・思想史などの研究は省いている。また、キリシタン研究の蓄積も見逃せないが、宮崎賢太郎の著書・論文[宮崎
1996;1998]以上のことは、報告者たちには述べられないのでこれも省略している。
今回の報告の目的は、「日本社会とキリスト教」の研究でとくに重要な研究を紹介し、現時点でどのような対象・アプローチにより、どのような研究史的展開をしたのかを確認することである。
今から30年以上前の研究史的概観を試みた[森岡
1967]では、キリスト教関係では、18名の研究者が挙げられていた。それと比べるとこの分野における研究もある程度の進展はわかる。そこで、現在の状況を教派別研究ごとに概観し、さらに個別テーマ別にみた後、今後の課題も示そうというのである。
@森岡清美「日本における宗教社会学の発達」『宗務時報』17号、1-17頁、1967年
A森岡清美「家・家族と宗教−わが研究遍歴の回顧と展望」
森岡編『近現代における「家」の変質と宗教』新地書房、376-394頁、1986年 →【孝-資料1参照】
B森岡清美『年譜・著作目録』1986年 (1976年までの著作は『現代社会の実証的研究』東京教育大学 社会学研究室、192-206頁、1977年にも収録)
C森岡清美「宗教社会学への道−社会学から」
宗教社会学研究会編『いま宗教をどうとらえるか』海鳴社、23-40頁、1992年
D森岡清美『私の歩んだ道』1993年
E文部省調査局宗務課『戦後における宗教調査の実状』(謄写)、1960年
F大濱徹也・圭室文雄・宮田登・根本誠二編『日本宗教史研究文献目録1』岩田書院、1995年
G大濱徹也『大濱徹也著作目録』1997年
H『社会学評論』掲載の、年度ごとの文献目録
I『宗教研究』73(2)、1999年−−特集既刊宗教研究総目次・索引(1916-1999)
J永井美紀子「研究文献目録」國學院大學日本文化研究所編『宗教と教育』弘文堂、299-311頁、1997年
別紙の文献目録は、上記リストや、それ以外にもさまざまな方法で情報を得て文献を収集し、それらを読み、精査した後に作成した。川又が原案を出し、孝本が補充した。単なる調査報告だと思われたものなどは外した。
漏れがないとは言えないので、参加者にいろいろなご指摘をいただければ幸いである。
2.概観−−教派別・研究成果 【教派名:著者/発表年、対象調査地・教会名、対象時代】
(1)カトリック (ハリストス正教会含)
[泉 1972;1974] 和歌山;日高郡竜神村
1950(教会建設)69
[鈴木 1974] 和歌山;日高郡竜神村
1949・50〜72
京都;何鹿郡佐賀村
1949・50〜72
[伊藤 1986] 宮城;東和町米川 1954・55(集団洗礼)〜69
↑[堀一郎 1959「発表要旨」『宗教研究』35(3):143]を引き継ぐ
→以上は「3大カトリック村」の「集団改宗(洗礼)」について
その要因として:1.リーダー層の受容 2.戦後の混乱期における精神的統合
3.既存宗教の没落
4.経済的貢献、などが指摘される
[安齋 1984] 奄美:加計呂麻島西阿室 1891(渡来)・1963〜75・78 【川-資料1,2参照】
[安齋 1984] 沖縄;宮古島保良 1947(戦後布教)・1971〜73
信仰実践調査:奄美の伝統的神観の崩壊。神観念の差による対立はみられず、一神と多神、神と 仏は連続線上にとらえられる
[鈴木・スパー 1968] 東京;吉祥寺教会 1946〜67
[波多野 1976] ハリストス正教会・宮城;石巻伊望教会他
1877〜1890
(2)プロテスタント (伝統的教派) 【川-資料2参照】
【森岡・大濱・西山については、
孝本「明治期プロテスタントの受容と定着に関する研究および[孝-資料1〜10]を参照】
メソジスト教会 [岡部 1977] 青森;弘前教会 1873(伝道)
同 [新屋 1976;77] 青森;藤崎教会 1886(講義所設置)〜1912
同 [森岡 1953] 群馬;佐波郡島村教会 1883(伝道) 〜1911
同 [工藤 1959;80] 同 同
〜1911
同 [工藤 1959;80] 千葉;君津郡竹岡教会 1891(伝道) 〜1911
同 [森岡 1965] 山梨;日下部教会 1890(講義所設置)〜1912
組合教会 [森岡・新保 1959] 群馬;碓氷郡安中教会 1878(初受洗) 〜1936
同 [大濱 1979] 同
同 〜1898
同 [孝本 1978] 岡山;高梁教会 1879(演説会) 〜1918
※大濱は北海道・群馬・滋賀各県の教会に、工藤は千葉・埼玉・岡山各県の教会にも言及
聖公会 [西山 1972;73;75]千葉;成田福田聖公会 1881(初受洗)〜1897・1971
同 [磯岡 1999] 同上 同
1977・98
同 [磯岡 1999] 千葉;安房郡大貫教会 1887(初伝道) 〜1998
【川-資料3参照】
(3)土着型キリスト教
無教会、原始福音(幕屋) [カルダローラ
1978]集会参加や面接、質問紙調査、1968
同、イエス之御霊教会、他 [マリンズ 1998] 前々回の研究会参照
イエス之御霊教会 [安齋 1984] 沖縄(八重山他)、1897(開祖誕生)・1971〜76
沖縄キリスト福音センター [池上 1991]
沖縄、1948(牧師誕生)・1986〜91
【川-資料4参照】
※池上[1995;1999;2000]にも見られる「救済論」としてのキリスト教
「民衆キリスト教=個々の民衆によって具体的に担わされた宗教」という視角
「周縁からのリバイバル」
3.個別テーマへの展開
(1)信徒構造、教会人口
[井門 1954] M20以降の日曜学校、M40年頃の明治学院・フェリスでの学生増加=新しい信徒
[片子沢 1956] 男女比(M14)4:3→(S13)4:6 平均受洗年齢:牧師23歳、教会員31歳
[川崎 1959] 教会の所在地(1951):市に65%、町に26%、村に9%
[森岡・熊谷 1966]東京・長野・山梨における地域人口の増減と教会信者数の増減
(2)先祖祭祀への対応
前述の研究でも報告されている
埋葬をめぐる仏寺との衝突、仏壇・神棚への対処、教会側の死者儀礼への対応
2,3代目の信者になり、キリスト教がイエの宗旨となると、初代が切り捨てた習俗を逆に取 り込むようになることもある。徹底的な対決姿勢を示す教派もある。
[沼 1965] 明治期の仏基の諸突。再審でも敗北した信徒は自由党員の協力で共同墓地購入へ
[奥村 1987] 昭和初期の納骨堂建設に対する仏寺の反発
[Reid 1991] 仏壇保持・非保持によるキリスト教徒の差異 【川-資料4参照】
25%の信者は仏壇あり→その他の宗教的所有物保持の差
仏壇の有無・・死を経験した家かどうか
[川又 1998b] 教団信夫教会の事例。伝統的習俗に接近した試みの受容と無宗教墓地への志向
(3)外来新宗教/主流派からキリスト教と見なされていない教派
モルモン教会 [竹村 1996;1998]
山形・長野・新潟など、入信動機など、1994
同 [杉山 1997] 仙台・盛岡・福島で、民俗宗教への対応、1994〜96
エホバの証人 [ウィルソン 1978] 東京での質問紙調査、1975
【川-資料5参照】
同 [兼子 1999]
信者の布教活動、1992〜98
統一協会 [塩谷 1986]
自らの修養会体験
(4)ミッション・スクール
[北川 1995;1997] カトリック系学校の教職員などへの質問紙調査
[磯岡 1997a;1997b]、[佐々木 1997] 明治期のキリスト教教育を学校設立などからとらえる
(5)家族、ジェンダー
[工藤 1984] 井深梶之助の家族 [小檜山
1992] 婦人宣教師の影響
[川又 2000] <牧師夫人>自身の調査
(6)<信者周辺> 【川-資料4参照】
[川又 1998a;1999] 教会に通っていない<信者周辺>の信仰生活を自分史で探る
信者・非信者以外の概念という提案は、鈴木範久「拡大する第三層を前にして」(カトリック広 報委員会『キリスト教に関する調査報告書』中央出版社、12-18頁、1978年)にもある。
Aのように嫁いだ先の「家の宗旨」が仏教だったため、義父母に遠慮して、あるいは「嫁の立場として」、自らの信仰するキリスト教の教会の礼拝に通えなかったと記述した断続信者の自分史は、筆者の手もとに4例ある。家族で一人だけ信仰が異なる場合の苦労は、教会における調査でも度々耳にする。Aのように後に家族を伴って教会へ戻れる例もあれば、晩年までずっと戻れない者もいることは、他の自分史などから判明している。
Bのように教会生活に馴染めなくて「信者周辺」となる者もいる。もちろん、教会を離れると同時にキリスト教信仰から離れる者もいるだろうが、Bのように個人的に聖書を読み続ける者もいる。
筆者の出会った断続信者に教会を離れていた理由を聞くと、男性の場合は仕事による多忙を述べる者が多く、女性の場合は結婚後の環境の変化を述べる者が多かった。男性の断続信者の一人は、しばらく教会から離れていたが、定年退職後、配偶者の死去を契機に元の教会へ戻ってきた。ただし彼の場合、新しく赴任してきた牧師がそれを可能にしたようである。教会から離れている彼に対して、牧師は度々、彼の家を訪問し、交際を続けていた。このような、牧師との個人的な関係なしでは、教会復帰はなかったと彼も述べている。
青年時代に受洗し、その後、仕事が忙しくなるにつれ教会から離れたCの父は、晩年同じ教派の教会へ戻ったとCの自分史に記述されていた。そこで筆者はCに、現在の状況を問うたところ、「今は無神論者」であり「人と人との結びつきがないとなかなか信仰を守るのは難しい」と答えた。もちろん、信仰は個人的なものだが、教会生活には当然、それぞれに規律があり、ほとんどの教会では信者に何らかの役割分担を課している。教会内の人間関係が悪化したため教会から離れたのだと自分史のなかで述べている者もいる。Cのように、進学や就職などの転機は、信仰生活における転機にもなり得ることが示された。移動によって教会を離れることは教会指導者側からよく指摘されていたことだが、棄教者自らの記述によって再確認できただろう。
[川又 1999:191-192]
4.さらなる課題
教会指導者ではない信仰者たちをどうとらえるか?
実証研究が進んでいない伝統的教派・新しい教派への視座
ラジオ、テレビ(地上・CS)、電話、インターネットなどのメディアとの関連