第1回研究会の記録

 【案内文】
 去る6月の学会総会にて承認された新規プロジェクト「社会的コンテクストのなかのキリスト教」最初の研究会が、以下の要領で開催されます。
 今回は、沖縄でキリスト教会の調査研究を進めているお二人による「米軍統治下の沖縄におけるキリスト教」というテーマに基づいたご報告です。
 この研究会は、本学会の会員はどなたでもご自由に参加できます。キリスト教の実証研究はもとより、沖縄研究や米軍統治などに関心のある方など、どうぞ、ふるってご参加下さい。また、会員外でも関心のある方は、ご自由にご来聴下さい。
 今後も年数回の研究会を実施いたしますので、ご発表を希望される方は、世話人へご連絡下さい。

日時 10月20日(土) 14:00〜18:00
場所 明治学院大学(白金校舎本館9階、北ウィング92会議室)
交通 地下鉄都営浅草線「高輪台」駅下車、徒歩6分、
   営団南北線、都営三田線「白金高輪」駅下車、徒歩7分、
   JR品川駅、目黒駅、五反田駅よりバスで「明治学院前」下車
   交通案内は http://www.meijigakuin.ac.jp/info/trainmap.html もご参照下さい。
報告者とタイトル
 一色哲氏 (甲子園大学)
   1950年代米軍統治下沖縄の地域形成とキリスト教
     −社会福祉・土地問題等を中心に−

 小林紀由氏 (日本大学)
   米軍統治末期の沖縄社会と諸教会
     −社会派台頭の背景をめぐって−


なお、今回の報告に関連する文献に以下のものがあります。

石川政秀
 1994『沖縄キリスト教史−排除の容認の軌跡』いのちのことば社。
一色哲
 2001「戦後沖縄キリスト教史のなかの地域と教会−占領軍の統治政策とキリスト教児童福祉   施設・愛隣園の研究」『キリスト教史学』55:185-198.
小林紀由
 1997「沖縄バプテスト連盟と『祖国復帰』」『精神科学』(日本大学哲学研究室)36:31-43.
 2000「『日本復帰』後の沖縄バプテスト連盟と米国教会−宣教師解任事件をめぐって」
『研究紀要』(日本大学人文科学研究所)59:21-35.
2001「沖縄聖公会と『祖国復帰』」『精神科学』(日本大学哲学研究室)39:55-76.
日本基督教団沖縄教区編
 1971『二七度線の南から−沖縄キリスト者の証言』日本基督教団出版局。(2000年再販)
日本基督教団宣教研究所教団史料編纂室
 1998「第4篇 沖縄キリスト教団関係資料集」『日本基督教団史資料集』第3巻。
大城実
1979「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同−資料によるその成立と問題」
『沖縄キリスト教短期大学紀要』7:1-16.


【概要】

1950年代米軍統治下沖縄の地域形成とキリスト教−社会福祉・土地問題等を中心に−

                                              一色 哲

 戦後沖縄では、収容所にいたクリスチャンたちが米軍関係者によって集められ、指導的立場にあった信徒たちが牧師となり、彼らは沖縄諮詢委員会文化部の職員として伝道をはじめた(報告者の戦後沖縄キリスト教史の時期区分仮説による第1期。以下同じ)。これらはいわば戦後沖縄キリスト教の創世“神話”であり、ことの細かい経緯は不明のままであるが、沖縄教会(沖縄人による教会)は占領軍と密接な関係をもち、本来政府や行政がやるべきことを肩代わりしていたのは事実のようである。その後、1950年前後には米国の沖縄統治政策が確定し、本格的占領体制の発足にともなって沖縄教会もその体制に巧みに組みこまれる(第2期)。しかし、1953年4月の「土地収用令」の布告から本格化した米軍によるいわゆる「軍用土地問題」をきっかけに、沖縄教会は米人宣教師団や占領軍から経済的政治的神学的自立を模索するようになる(第3期)。
 本報告では、1950年代(上記時期区分仮説の第2期と第3期の前半)、沖縄キリスト教会(のち沖縄キリスト教団、日本キリスト教団沖縄教区)を中心に報告を行った。まず、前半は、キリスト教児童福祉施設「愛隣園」の創立過程とその社会的背景を題材に、社会福祉事業への沖縄教会の関与と占領体制との関わり議論した。1950年代になって『琉球新報』『沖縄タイムス』等地元新聞や『守礼の光』『今日の琉球』等米軍政当局による広報誌のメディアでは、在沖米軍関係者・民間人による沖縄人に対する「善意」の数々が「美談」として盛んに報道されている。その背後で、米本国政府・沖縄の軍政当局は「琉球列島奉仕委員会(Ryukyu Islands Voluntary Agency Committee、RIVAC)」や「琉米福祉協議会(THE RYUKYUAN-AMERICAN WELFARE COUNCIL)」など民間団体をつくり、琉米の社会福祉事業を組織し、それらを間接的に操作する体制を確立した。沖縄教会は、その体制に結果的に組みこまれることになった。社会福祉問題は地域住民の生活と行政的行為の接点あると同時に、統治の生活への介入である。沖縄教会は、官民あげての「善意の動員」のなかで、「治者」たる米軍政統治機構のまさに“末端”として地域住民とむきあい、意図せぬまま占領体制の温存に手を貸すことになった。
 報告の後半は、軍用土地問題に対する沖縄教会・米人宣教師団の米軍政当局への働きかけとその背後にあった両者の教会(教団)運営をめぐる深刻な対立を中心に議論を行った。軍用土地問題は戦後沖縄の地域形成に関わることであり、基地・軍用地は沖縄の地域住民の安全と経済的発展の阻害要因であった。軍政当局は教会を通じて沖縄住民に対する土地問題解決のための合意形成を試みた形跡がある。しかし、沖縄教会は、宣教師団や「日米宣教各派合同委員会(Interboard Committee for Christian Work in Japan,IBC)」に働きかけて、琉米の“紐帯”となるべく行動をしている。その結果、オーティス・W・ベル(Otis W. Bell) ‘Play Fair with Okinawa!’(“The ChristianCentury” 1954.1.20)により沖縄問題が日米両国ではじめて認識されることになり、大きな反響を呼んだ。また、1955年10月のプライス調査団来沖の際、沖縄キリスト教会はIBCの現地委員会主事ダーリー・ダウンズ(Darley Downs)を招聘し、調査団の公聴会で発言をさせた。しかし、同時に、沖縄キリスト教会内部では米人宣教師団と沖縄クリスチャンの間に深刻な対立が起きていた。沖縄教会が沖縄の地域社会の宗教的土壌に根ざした伝道をするという一種の宣言でもあった「沖縄キリスト教会信仰告白」は、宣教師団の猛反発を受け、廃棄を余儀なくされる。この対立は、表面的には「信仰告白論争」という形をとってはいた。しかし、ほとんど神学論争はなされず、その問題は宣教師団によって教会の財政の問題や沖縄教会の運営をめぐる主導権争いへとすり替えられていった。沖縄の地域社会が軍用土地問題をきっかけに米軍支配からの自立闘争を開始したこの時期に、教会もまた米人宣教師からの神学的経済的自立を試みて、挫折を繰り返し、「沖縄の主体性」への議論を欠いたまま日本本土の教団への「復帰」志向へと傾斜することになる。この時点では、沖縄教会は軍用土地問題では地域住民の安全や地域社会の発展についての視点を欠いていたことは否めない。また、神学的自立の挫折で沖縄地域社会への浸透する重要な契機を失うことになった。
 沖縄教会は、一方では米本国政府・民間団体、占領軍・軍政当局と宣教師団・軍教会関係者と関係を保ちつつ、他方では沖縄人行政府と補完関係にあり、沖縄の地域住民に対して伝道する使命を負った。「社会的コンテクスト」から戦後沖縄キリスト教会を読み解くことで、当時の沖縄の地域形成の一端が明らかになる。沖縄教会はそのまさにその地域形成の「結節点」の役割を担わされていたといえる。


【概要】

米軍統治末期(1965-1972年)の沖縄社会とプロテスタント諸教会−「社会派」台頭の背景をめぐって−

                                        小林紀由

 沖縄の米軍統治時代末期(1965-1972年)、大衆的政治運動の高揚する沖縄社会の中にキリスト教の立場から社会に対して発言し活動する一群の人びとがあらわれた。キリスト教会の中で「社会派」と呼ばれることとなるこの人びとの発言や活動はその後も沖縄キリスト教のひとつの特徴をなすこととなる。この報告は沖縄キリスト教「社会派」出現の背景をさぐり、その台頭の社会的文脈を明らかにしようとの試みである。
 この報告の資料としては米軍統治下沖縄にて活動したプロテスタント主要3派(沖縄キリスト教団、沖縄聖公会、沖縄バプテスト連盟)の発行した機関紙、および同時代を生きた各教派指導者たちに対する報告者自身による聞き取り調査を用いている。
 戦後米軍統治時代に活動したプロテスタント・キリスト教諸派はいずれも米国同系教団の人的、経済的支援の下、また在沖米軍基地内外のアメリカ人キリスト教指導者、信徒との密接な結びつきの下に発展し、沖縄が「島ぐるみ土地闘争」にあった時期、またその後の「復帰運動」の高まりの中にあった時期にも、米軍の沖縄統治に対し政治的発言・行動を取ることはなかった。
 この沖縄プロテスタント諸派の姿勢が大きな変化をむかえるのが1965年以後の米軍統治末期である。諸派の中、とりわけ沖縄キリスト教団(1969年日本基督教団と合同)を中心として、「社会派」と呼ばれる指導者たちが台頭し、世俗の運動とともに「復帰」「基地撤去」の発言・行動を展開しだした。
 この報告においてはこれら米軍統治末期の沖縄社会に台頭したキリスト教「社会派」の指導者たちが受けた影響を、1)1960年代を中心とする日本留学により受けた影響、2)アメリカ人キリスト教指導者より受けた影響、3)沖縄社会の変化から受けた影響の3点に整理し、その出現と台頭の背景を論じた。
 1965年米軍のベトナム戦争への本格介入以後、沖縄社会では「復帰」運動に加え「基地撤去」の運動が盛んとなり、政治運動の高揚期を迎えた。沖縄プロテスタント諸派「社会派」の出現と台頭はこの沖縄社会の大きな動きの中にあった。戦後、米軍統治体制との密接な結びつきの中政治的発言・行動をなし得なかったプロテスタント諸派が日本留学を経験した若い世代を中心に沖縄社会の政治的動きに促され一気に政治的発言・行動へとむかった、それが米軍統治末期に生まれたプロテスタント「社会派」であった。その意味では、同「社会派」の活動は沖縄の米軍統治からの、そして基地からの解放を目指すキリスト教活動であると同時に、米軍統治下キリスト教会の在り方からの自己解放の活動でもあった。


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